第25話『おもひでクライシス-①-』


【魔道士協会・第二医務室】

 部屋の中に漂う薬品の匂い。

 暑くもなく寒くもない、整った空調と飾り気の無い純白の寝具。


 窓から見える景色はあまり変わること無く、ただただ時が雲と共に流れていく。


 事件後、ルドラの判断により近くの総合病院へと搬送され精密検査と治療を施されたアスターは警察ヤードの事情聴取を受けた後、再び協会へ戻っていた。


「普段は検尿用として使うんだけどトイレはここのを使ってね。それと食事は皆が持ってくるらしいから、とりあえず貴方はこの部屋を動かず、お利口さんにしてて~。あ、私今から購買部に行くけど、何かいるものある?」


「特には……」


 その返答を聞きルドラは購買部へと向う。

 アスターの左腕はやはり折れていた。


 ただ不思議な事に盛大に切っていたはずの頭部は傷ひとつ無く、腕以外は健康そのものだった。


 しかし魔力値が非常に不安定でステラが不安がった為、魔力濃度の高い土地“レイライン”の上に立つ、ここ魔道士協会に二~三日泊まり込む事となった次第である。


「ギプスが取れるまでひと月か……」

(結構掛かるんだな……)


 泊まり込んでいる間、夜は誰かしら顔を出すとスターチスから聞いていたが、いかんせん娯楽が無いのが問題だ。


「ずっとベッドの上だしなぁ……本でも頼めば良かったかな」


「何? アンタ本読みたいの?」


 独り言に不意に答えた生意気そうな声。


「鬼畜ツインテ!」


「ドタマかち割るわよ」


「スミマセン」


 そこには呆れ顔のメリッサが居た。

 なぜここにと訊くと、頭痛薬を取りに来たという。


 慣れた手つきで薬品棚を漁るメリッサ。

 その後ろ姿を見ながらアスターは、どうせならルドラに診て貰えばいいのにと声を掛ける。


「調子が悪いのはリドよ、私じゃないわ」


「なんでリドの薬をお前が――?」


 そんな疑問が浮かんだアスターであったが、すぐにある事に思い当たり、ポンと手を叩き納得といったポーズを取った。


「痛っ!」

 

 硬くて小さな何かが、物凄い速さでアスターの顔面に投げつけられた。

 勿論、それを投げたのはメリッサである。


「何すんだよ!」


「アンタがムカツク顔してるからでしょ。感謝しなさい、目は外してあげたわ」


「そういう問題じゃねーっての。大体何を投げてって、あれ、これ……」


 投げつけられたのは、ルドラ特製の例の飴だった。


「談話室の机の下に一個落ちてたのよ」


(あー、そういや盛大にばら撒いてたな)


 メリッサは次に会った時にでも渡そうと、ポケットにしまいこんでいたという。


「じゃ、用は済んだから」


「あ、あぁ。これ、ありがとな」


「ふん!」


 引き戸の扉は乱暴に閉められ、不機嫌そうな足音が部屋の外から漏れる。

 かなり機嫌を損ねたようだ。


(メリッサはリドが好きだったのか。でもアイツが好きなのって……)


「三角関係って奴なんだろうか」


 そんな事を考えているとルドラが戻る。

 

「はい、これ」


「?」


 両手には、パンパンに膨らんだ荷物が二つぶら下がっていた。


 中身は菓子にパン、トランプとナンプレ、ノートとペンといった謎のラインナップで、アスターは首を傾げた。


「お腹がすいた時用と暇つぶし用ね。ここテレビないから辛いでしょ~?」


「もしかしてこれ、全部俺に?」


「そうよ~。あ、もしかしてエッチな本とかの方が良かったかしら~? そうよねぇ毎日ずっとステラちゃんに魔力供給してもらってたんだもんねぇ。しかも生殺し。男として辛いわよねぇ~」


 突然のセクハラである。

 しかし――。


「あら、どうしたの? そんな顔して」

(もしかして、この手のジョークはNGな人なのかしら……)


 ルドラ的に慌てるか恥ずかしがるかの、そういう反応を期待していたのだがアスターはキョトンとした顔で呆けていた。


「あ、いや……こっちの人って、皆良い人ばっかりっていうか。正直こういう経験、俺はあんまりなくて……。物を沢山貰ったり、こうやって優しくしてもらっても金も持ってないし、お返しとか出来ないから、何だか申し訳なくて」


 それはとても純粋で、穢してはならない領域だとルドラは察した。


「まぁ確かに、貰ってばかりの立場にいると、息苦しく思っちゃうことはあるかもしれないけど」


「そ、そういうわけじゃ!」


 首を振るアスターに、ルドラは人が人に優しくする理由というのは割と単純な理由だったりもすると続けた。


「誰かに優しくすると、その優しさって返ってくるのよ」


「……?」


 ルドラはおもむろに白衣をまさぐると、胸ポケットから携帯端末を取り出した。

 アスターに一枚の画像を見せる。


「こ、これ! なんで先生が!?」


 その画像は、つい先日彼がヒナ達と撮ったお誕生日会のものだった。


「ヒナは私の妹だから」


「えっ!」


「色々あって、私はあの家に帰れないんだけど。でもやっぱりヒナの事は心配だったから、毎日ばあやと連絡を取ってたのよ。それで貴方の事も、ヒナ達の事も聞いて……私もちゃんと会ってお礼がしたいな~って思ってたの。まさか、こんな形ですぐ会えるなんて思ってなかったけど。本当世間は狭いわね」


 ルドラは暫く、画像を愛おしそうに眺め、改めて彼に向き直る。


「あの子達を救ってくれてありがとう」


「あ、いや……俺はなにも」


「ううん、貴方のおかげよ。だって、私達はあの子をただ閉じ込めていただけだもの。それもヒナ自身はとっくに真実を知って、一人で傷ついていたなんて知らずにね。……私はそれが最善だと、優しさだと思ってた。酷いお兄ちゃんよね」


「そんなこと!」


 ないと言おうとしたアスターに、彼は首を振り笑顔を見せた。

 じわり、ルドラの目尻に涙が溜まる。


「もう駄目ね。最近涙腺緩くなっちゃって、恥ずかしいわ」


「……あ」


 白衣の袖で涙を拭い取り、そろそろお腹が空いただろうと、間もなく夕食が運ばれてくるから用意しようと言って、ルドラは備え付けの棚やベッド脇のキャビネットへ、買い物袋の中身を詰め込んだ。


 泣き顔をあまり見られたくないのだろう、耳は赤く色付き、鼻をすすると同時に肩が大きく上下している。


(何か、声を掛けた方がいいんだろうか)


 けれど、掛ける言葉は思いつかない。

 何も言わないのも優しさなのだろうか、そんな事をふと考える。 


「失礼します」


 そこへ食欲を刺激する良い香りと共にステラとリドが現れた。


「ちょうど良かった。今準備してたとこよ」


「それはそれは。……あ、アスターさん、お夕飯持ってきましたよ」


 ステラの持つトレーの上には、ハンバーグと野菜のスープ、それに彼が好きだと言った甘いパンが二つ、皿に盛られていた。


 さぁ冷めない内にとステラに促されるが、フォークを取ろうとした彼の手が、ピタリと止まる。


「アスターさん?」


「片手じゃ食べにくいわよね」


 ルドラの言葉でステラも察した。

 もしかしてステラが食べさせてくれるんだろうか。なんて淡い期待を彼が抱いたのも束の間――。


「何をしている、さっさと口を開けないか」


「……」


 いち早くナイフとフォークを手に取り、ハンバーグを切り分けたのはリドだった。


 



***

 一方その頃。


「よっ!」


 執務室で書類整理に明け暮れるスターチスの元へ星室庁特捜班“ナインズ”の班長ルドベックと、その部下ユリオが現れた。


「珍しいな、君達がこちらへ出向くなんて」


「まあ、ちょっとな~」


 見回りか何かかとスターチスが尋ねるが、ルドベックはそうじゃないと豪快に笑った。


「何、たまにはお前の間抜けな面でも拝んどこうと思ってな」


「君はそんな事をわざわざ言いに来たのかい?」


「はっは、まあ嘘は言ってねぇよ。半分本当、もう半分は冗談だ」


「君ねぇ……」


 呆れ顔のスターチスに、ルドベックが一人かと尋ねる。


「今は私一人だよ」

「そうか、なら都合がいい」


 ルドベックは、ユリオに外を見張るよう命令すると扉を閉めた。


「なるほど、内緒話をしに来たか」


「ま、そういう事だ。……カーター、昼間の事件の事なんだが、報告書にはもう目を通しているか?」


「一通りは」


「そうか」とルドベックは呟き、一呼吸置くと、神妙な面持ちで口を開いた。


「バスの運転手、カーゴ・ガームが消えた」


「消えた?」


「というより、そんな奴は元から存在していないんだと」


 その奇妙な言葉に、スターチスは眉をひそめた。


「それだけじゃねぇ、鑑識の話によるとトラブルがあったとされるバスの無線機は音量調節されてただけで何もかも正常、勿論ブレーキ系統の故障も無しで、魔力残渣も残ってなかったんだと」


 ※魔力残渣=魔法や魔術を展開した際、その付近や対象に残る魔力痕。


「それは、つまり……」


「ああ、通信トラブルからバスの暴走まで、全部ソイツの演技だったってこった」


 偶然ではない、人為的に作られた環境の中でライネック事件が起きていた。


 セントラルを中心にライネック被害が急増する昨今。それの意味するものとは――。

 

「なんだか嫌な予感がするな」


「ああ俺もだ。この辺りがジリジリして、どうも落ちつかねぇ」


 ルドベックは、こめかみに残る古傷を指でなぞった。

 





***

【魔道士協会・第二医務室】

 その夜、ステラも一緒に泊まると言い出したのを全力で止め、久しぶりの一人の夜を満喫していたアスターは……。


(静かすぎて辛い)


 孤独と戦っていた。

 協会内が無人になるという事はないものの夜も十時を過ぎると足音一つ聞こえない。

 

(最近は特に賑やかだったしなぁ……)


 今ならミスターのだみ声も心地よいBGMとなりそうだと思いつつ、あの顔を思い浮かべ、やっぱりそんなこと無かったと首を振る。


「にしても、いつもはこの時間になると眠くなるのに、今日は全然眠くならないな」

(昼間の件で興奮しているのか?)


 今宵のアスターは目が冴えていた。

 窓の外を見る。

 珍しく雲一つない夜空に、蒼く光る満月がふたつ浮かんでいた。


「……そういや、ノートとペンを貰ったな」


 ルドラに貰ったノートを机に広げ、久しぶりに何か描こうかとペンを持った。


 人、物、動物、一通り悩んで、結局アスターは人を描くことにした。


 脳内に浮かんだ人物の顔を、紙の上に描き起こそうと薄くあたりを描いて、細部へとペンを走らせるが、線はガタガタでバランスが取れない。


「これじゃ子供の落書きだな」

(そういえば“あの時”も――)


 アスターの脳裏に“ある男”の姿がチラついた。


『練習すればすぐに描けるようになるさ』


 そう彼に言った男。

 それが誰だったか、顔を思い出そうとすると酷く頭が痛む。

 

「っ――!」


 まるで頭を両側から押しつぶされているような、とても激しい痛みだ。


 アスターは耐え切れず、急いで薬棚に向かい手を伸ばした。

 けれど――。


「あれ?」


 薬瓶を開ける前に頭痛は治まってしまった。


 今日は朝から大変だった、もしやその疲れが出たのかもしれないと、アスターは大事をとってもう寝ることにした。


 ベッドに入る前に、トイレを済ませるべく、部屋の一角にある便所のドアノブを握って回す。


「む」


「???」


 しかし、そこには先客が居た。

 長いヒゲを蓄えた鷲鼻の老人と目が合うも、あまりに突然の事で理解が追い付かず、アスターは幻覚でも見たのだろうかと、そっとドアを閉める。


「何故閉める」


「うわぁああああああ!!」


 声と一緒にアスターは心臓が飛び出るかと思った。


 突然の登場にも驚きだが、その人物は頭に羊のような角を生やし、尻から細長い尻尾を伸ばしていた。


 一目で人間では無いと分かる程の特徴的な外見だ。


「まったく、用足しくらい静かにさせんか」


「なっ、えっ、ええ!?」


「ふう」


 慌てるアスターをよそに、老人はもそもそ服のシワを伸ばし、悠長に水を流す。


 そしてその後、さも当然かのように便所から出て、彼が先程まで使っていたベッドに潜っていった。


「いやいやいや!」


 何事も無く目を瞑り、寝る体勢の老人にアスターは焦り布団を剥ぎ取った。


「何をする」


「いやいやいや! 意味がわからないんですけども!?」


 このままでは埓があかない。

 瞬時にそう判断したアスターは、その者がどこの誰で、何故そこに居たのかストレートに尋ねることにした。 


「我はベルフェゴール、久遠の探求者よ」


「ベル……フェゴール……?」


 驚いたことに、その者はある“悪魔”の名を口にした。

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