第20話『黒犬達の円舞曲-③-』


「――何事ですか!?」


 部屋に向かっている途中、アスターの絶叫を聞きつけたステラは急いで扉を開けた。


「おや、おかえり」


「ステラおはよう~」


「お、おはようございます」


「み、皆さんお揃いで……おはようございます??」

 

 何事も無いと安心したのか、ごく自然に持っていた物をテーブルへ置き、リドから彼を受け取るともしかしたら元の姿に戻れるかもしれないとアスターに報告した。


「あぶぶ!?」

 訳:マジで!?


「あくまでも可能性なんですが」


 詳細を早くと彼は急かすが、何せ今はバブバブとしか言えぬ身、流石のステラもそこまでは分からなかった。


 そんな時、先ほどステラが机に置いた物をメリッサがひょいと摘まみ上げる。


「何これ、飴玉?」


「えと、それは――」


「あ」


 ステラが言い終える前にジッパーの閉じ方が甘かったのか、中身が半分床に零れ落ちてしまった。


「うわごめん! すぐ拾うから!」


「ううん、大丈夫」


「あ、わ、私も手伝うよ」


 アスターを抱えているステラに代わり、慌てて拾うメリッサとクロエ。


「わぁ……この飴凄い」


 拾っている最中にクロエがある事に気が付いた。


「光を当てたら、ほら、凄く綺麗なの……」


「あ、ホントだ」


 透明な小袋に一つ一つ個別包装されていた丸い飴に電飾の光が反射して、まるで真っ青な空に星が浮かんでいるかのような、不思議な輝きを放っていた。


「それを食べれば元に戻るかもしれないってドクターに貰ったの」


 そう聞いた瞬間メリッサは顔をしかめ飴を顔から遠ざけた。


「……ゴミみたいな味がしそう」


「質だけは保証するって、ドクターが」


「絶対ヤバイ奴じゃんそれ」


(……俺はこれから何を食わされるんだ?)


 もはや恐怖しかない。

 そんなアスターをほっといて二人は会話を進めていく。


「でも、このまま食べて喉に詰まらせちゃったら大変よね」


 そう不安がるステラを横目に「砕けばよくない?」と淡々と言い放つメリッサ。


 それに彼女は納得といった表情をしてみせた。


「じゃあ帰ってさっそく――」


「これで」


「え?」


 メリッサは飾り棚に置かれた置時計に手を伸ばすと、小袋に入ったままの飴目掛け思いっきり振り下ろした。


 何度も何度も何か恨みでもあるのかという程何度もだ。


「備品!」


 スターチスの制止むなしくテーブルと時計にはキズが付き、飴はすっかり粉々になっていた。


「あうー……」

 訳:怖ぇー……。


「ほら、出来たわよ」


 そう言ってメリッサが差し出した飴は外装はボコボコで、叩きすぎて小さな穴が何か所か開いている状態だった。


「これならいけるでしょ?」


「うーん。あんまり急速に魔力を注がないほうがいいかもって話だから、ミルクに溶かして少しづつあげたほうが――」


「粉を少し舐めさせるだけなら変わらないわよ。ほら食べさせてあげるから口開けなさい」


「!?」


 メリッサはアスターの顎をガッと掴むと、そのまま指で両頬を押し上げ無理やり口をこじ開けた。


 砕かれた飴がザラザラと喉元へ流し込まれていく。まさに鬼畜の所業である。


「あが、うががが!」


(((うわぁ……)))


 スターチスをはじめ、リド、クロエの三人はその光景にドン引きだ。


 その後メリッサによる公開拷問ショーを受けたアスターはというと……。 


「……そいつ、大丈夫なのか?」 


「え?」


 リドの指差すその方向には泡を吹きすっかり廃人と化したアスターの姿があった。


「わわわっアスターさんっ!?」


「……ぶぶぶ、ぶぶぶぶぶ」

 訳:すっげぇ……くっそまじぃ。


 あんなにも鮮やかで幻想的な輝きを放っていた飴の味は甘味なんてものは微塵もなく、苦味と辛味、そして後から来る強烈な酸味が舌を痺れさせ、吐き気を催す程、激的に不味い代物であったという。


「ほら、もうペッしなさい、ペッペッ」


「ぶえええぇ……」

 訳:気持ち悪ぃ……。


 差し出されたハンカチに彼は舌を擦り付けるように唾を吐き出した。


 けれどそれは粉になっている分、中々口の中から無くならず、舌を動かせば動かす程、苦い酸っぱいビリビリするという無限地獄が続いていく。


「でも、何もない、ね? 先生のお薬、効かなかったのかな……?」


「えー、つまんない。元がどんななのか、笑ってやろうと思ったのに」


「うーん……まだ足りないのかな……」


 女子三人の会話を右から左へ受け流しつつアスターは口の中の遺物をあらかた吐き出し終えた。


 しかしまだ舌がビリビリ気持ち悪く、溢れる唾液は止まらない。


 そんな折、彼は目の前で哺乳瓶片手に待機していたリドと目が合った。


「あうあう」

 訳:それくれ。


「……飲むのか」


 アスターは受け取った哺乳瓶をスターチスに支えられながら、まるでラッパでも吹くかのように高らかに飲み干した。


 中のミルクは既に冷え切っていたが、口の中をどうにか出来るのならば鉄臭かろうがマシだと判断したのだ。


「ゲェップゥ……」


「や、やさぐれてる……」


「君達がイジメるからだよ」


「ふん。根性無しが、って」


「エレレレレレ――」


「また吐いてる! めっちゃ吐いてる!」


「あららら」

 

 ポンプ式の蛇口のように次から次へと飲み干したミルクが胃から口へと上がっていき、フローリングの床に白い水たまりを作っていく。


「あぶぅ、あぶぶぶぶ」

 訳:くそぅ、ままならねぇ。


「……絶対怒ってるよぅ、あれぇ……」


「でも、ほっぺたぷくぷくしてて可愛い」


 アスターのパンパンに膨らんだ頬をステラは指でぷにぷにつつく。


 小さな頬から空気が漏れ、つつく度に音が鳴る。


 それからどれだけ待っただろうか。

 アスターが元の姿に戻る気配なぞ一向に見せずクロエとリドは業務の為に退出し、ステラとスターチスも話したいことがあるからと出て行った。


 そして今、談話室に残っているのは、アスターとメリッサという異様な組み合わせだ。


(絶望しかない……)


 先ほど受けた拷問めいた光景がフラッシュバックする。


 また虐められるのではないかとアスターは内心ビクビクだ。


「……ねえ」


「!」


 ずっと無言で携帯端末を弄っていたメリッサが不意に口を開く。


「アンタ、あの子の家に居候してるのよね?」


「あ、あい」


「変な事、してないでしょうね?」


 声のトーンを落とす所まで落とし、メリッサが凄む。


 アスターはブンブン顔を縦に振り、身の潔白を主張した。


(むしろされてる方だし!)


「ふーん、そう」


(な、何なんだ一体……)


 本当にビクビクである。

 けれどそれからは静かなものだった。


 彼はソファに仰向けで寝かされていた為、暫く天井を眺めるだけという少々拷問めいた時間を過ごしたが、メリッサが彼にちょっかいを出す事も無く平和そのものであった。


 チクタクチクタク。

 傷物にされた置き時計が時を刻む小さな音と、時折風が窓をノックする音だけが室内に響いている。


(……腹減った)


 アスターは凄まじい空腹感に襲われていた。


(食って吐いての繰り返しだったもんなぁ)


 むしろ胃液も出してマイナスなのではなかろうかと彼が思った時、残ったままのゼリー飲料がソファの肘掛に置かれていることに気が付いた。

 

(もう少しで手が届く、もう少し、

もう少し――)


 伸ばした手の指先がゼリー飲料の蓋部分に届いたとき。


「!」

 

 寸でのところでメリッサに没収されてしまった。


「何よその不満そうな顔は」


「ぶー」

(どうせまた俺の事いじめるんだ)


 そうに違いないと彼が思って絶望しているとメリッサはアスターをひょいと抱え、膝の上に座らせた。


「う?」


「お腹減ってるんでしょ? 開けてあげるっていってんのよ」


「ううー!」

 訳:マジか!


 やっと普通のものにありつけると彼が喜び、それが手渡された瞬間。


 アスターは背筋にゾクゾクとした何かを感じた。


「え」

 

 メリッサの瞳が猫の様に丸く見開く。

 見下すようなメリッサ視線が、いつの間にか“同じ高さ”になり、喉元は圧迫され、骨がキシキシ悲鳴を上げ始めた。


「ぐっ!」


「えっちょっ! ちょっと!?」


 肌を伝うは繊維の裂ける乾いた音。

 頭に響く甲高いメリッサの声は彼の耳元へ更に近づき――。

 

「っぶは!!」


 アスターが全ての痛みから開放された時、彼の目線はメリッサより高く、そして彼女の黒い短パンとニーハイから望む絶対領域に、膝をつくような形で自身の右膝が挟まっていた。


「いっ」


 捻り出した涙声がアスターの耳に直に届き、次の瞬間には悲鳴に変わっていた。


「イヤアアアアアアアアアア!!」


「バカ、変態!」という罵声に混じり、慌ただしい靴音が聞こえたかと思えば、ブチ破るように扉を開いて険しい顔したリドが部屋に飛び込んでいた。


「何事だ!」


「こっこれは、そのっ違くてっ!」 


「イヤー! どいて! 早く離れて! バカバカッ変態!! 露出狂!」


 駆けつけたリドが目にした光景は、床に散らばるベビーウェアの残骸と全裸で今にも少女に覆いかぶさろうとしている挙動不審なアスターだった。


 そして心の底から嫌がり、ジタバタと暴れている同僚の姿。


「……言い訳は後で聞く。とりあえず、お前は今すぐリサから離れろ」


「……はい」


 淡々とドスの効いた声をリドが発する。

 その眼差しはゴミ虫を見るかの如く冷たく、そして怒りのオーラを放っていた。


 アスターは殴られるのを覚悟でゆっくりソファから降り、そのまま床に正座した。


「リサは室長を呼びに行って。……お前はまず、ソレを隠せ」


「はい……」


 投げつけられたリドの上着で半身を隠し。

 アスターは冷たい床の上で、尻から体温を抜かれながら懇懇とリドの説教を受けるハメになった。

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