第9話『隣人は静かに微笑んだ-①-』


(温かい……)


 まるで毛並みを正すように撫でる柔らかな手の感触。


 サラサラと髪と手の擦れる音が手のひらの温もりと共に体を伝う。


(もう少しこのままで……)


 そう言ってしまいそうになる程それは気持ちの良いものだった。


「ん……」


 微かな物音が聞こえ目が覚めた。


 薄暗い中でも良くわかる華奢きゃしゃなシルエットが窓の外に薄ら見える。


 こんな朝早くからステラは何をやっているのかとアスターは気になりそれを追って外へ出る。


「寒っ」


 外は予想以上に肌寒くブランケットを羽織るべきだったと身震いしているとステラが気が付き振り向いた。


「おはようございます」


 庭の隅でハサミ片手に微笑むステラ。

 カゴの中にはトマトが二つ転がっている。

 野菜を収穫していたようだ。


(昨日はよく見てなかったけど……)


 アスターは改めて辺りを見渡した。

 玄関周りは白い薔薇や小さな花の咲く可愛らしい植物が多いが、少し奥に入るとハーブの他にも様々な野菜や果樹が植えられており、それぞれ実や花をつけている。


「凄いな……。お、それいい感じに熟しててすげぇ美味そう」


「まだまだ趣味の域を超えませんけどね。でも今年のは自信作ですよ~」


「おー、楽しみだ」


 そんな話に花を咲かせているとアスターはある事に気がついた。


「……あれ? なんかこの辺だけ暖かい?」


 今いる畑周りだけが妙に暖かいのだ。


「この時期は朝と夜は特に冷えるので収穫が終わるまでの間、精霊さんに温度調整して貰ってるんですよ」


「ほー」

(便利だなぁ)


「そうだアスターさん!」


「ん?」


「丁度良いのでレグさんご紹介しますね!」


「レグさん?」


「はい! キングレグホンのレグさん。我が家のもう一人の家族です」


 微笑みながら彼女が指さすその方向に目を向けると白い鶏が一羽、我が物顔で庭を闊歩かっぽしていた。


「お……おぉ?」


 アスターはすぐに違和感を感じた。

 そしてそのおかしさに気がついた時には既にソレは目の前にいた。


「デカっ!?」


 そこいらの中型犬より大きな鶏であった。

 もちろん仔犬なんて生易しいものではない成犬サイズ。とにかく馬鹿デカイ鶏なのだ。


「コォォォォ……」


「ちょ、何か威嚇いかくしてくるんだけど!?」


 低い唸り声も鶏が発するものではない。

 禍々しいというか恐ろしいオーラをまとい羽を広げて静かにそれは忍び寄る。


「クワァアー!!」

「うわぁあああ!?」


 突然の事だった。

 レグはアスターの足元をしつこく狙い、残像が見える程素早い首の動きで土が掘り返される程強く、黄色いくちばしで地面をえぐるようについばんだ。


「見てないで止めてくれ!」


 アスターが叫びながらステラを見ると、彼女は実に楽しそうにその光景を眺めていた。


「仲良く出来そうで良かったです」


「!?」


 何を寝ぼけたことを。

 そう思うアスターだったが、実際にそれは正しくレグはアスターのひざ下に体を擦りつけ猫のように頭をグイグイ擦り寄った。


「それがその子のスキンシップなんですよ」


「えぇ……」


 恐怖すら覚える求愛行動である。






「……」


 家に戻ると丸襟の白シャツに茶色の短パン、それとサスペンダーを手渡された。


「サイズはどうですか? 調整が必要であれば言ってくださいね」


「ちょうどいいかも」


「それはそれは、靴も持ってきましたのでこちらも試してみてください」


「え、靴まであるのか」


 差し出された小さな革靴もサイズピッタリだった。


「この靴もお前が使ってた奴なのか?」

(物持ちいいんだな)


「靴は昨日の晩に作ってもらったんです」


「作ってもらった?」


「はい」


 曰く、彼女の家族にそういう事が得意な妖精がいるのだという。


「へぇー」

(妖精とかも家族にカウントされるんだな)


 材料の関係で簡易的になり、長歩きには向かないと今日また衣類を買いに行くついでに靴も見に行こうと彼女は言う。


「買って貰ってばっかで悪いし当分これで頑張るよ。この体も案外すぐ元に戻るかもしれないし」


「だといいのですが……」


「……?」


 ぼそりとつぶやかれた彼女の言葉は、小さすぎて彼には届かなかった。

 それから朝食と家事を済ませ家を出る。


(そういえば)


 今日は一度もミスターを見ていない事にアスターは気が付いたが、すぐに静かなことはいいことだと気にしない事にした。



 他愛のない話をしながらバスに揺られ協会へ向かう。


 ガーゴイル達は彼の姿を見るなり面食らった顔をし、扉を潜るや否や既に出勤していたカレンに見つかり爆笑されてアスターは朝から散々だ。


「ウケる! ねね一枚撮っていい? 撮っていいよね!」


 まだ人気の少ないエントランスホールにカレンの賑やかな声が響き渡る。


 そこへ出勤してきたばかりのスターチスがいつの間にか合流していた。


「これは……えらくっ縮んだねぇっ」


 口元に手を沿え笑いを堪えようとはしているが……。


「めっちゃ肩震えてますけど」


「ごめ、ちょっと、ふふふ予想外でククっ」


(もういっその事普通に笑えばいいのに)


 なんて思っているとやっと落ち着きを取り戻したカレンがステラに声を掛ける。


「シロウさんから依頼……ですか?」


「うん。ステラちゃんとアスターくんに是非だって~」


 二人は顔を見合わせた。


「昨日会った時はそんなことひとつも……」


「ですよね……」


 依頼内容は藤四郎の自宅兼店舗の掃除だ。

 さほど大変では無いという事で昼過ぎには終わるというが……。


「依頼って魔物退治だけじゃないんだな」


「協会への依頼はお手伝い系が多いですよ」


「そうなんだ……」


 依頼があれば何でもやる姿勢にまた一つアスターのファンタジー像が崩れていったのは言うまでもない。





【雑貨屋グリシーヌ】


「お待ちしておりました」


 店に向かうと店先を掃いていたシオンに出迎えられた。


 協会での事もありアスターはシオンにさえ笑われるのではと身構えたが、シオンはアスターの姿を見ても何の反応も示さず至って冷静だった。


「なんとまぁ……」


 しかしカウンター付近で品出しをしていた藤四郎は違う。


 どうやったらそうなるのかと興味津津で、アスターは対応に困ってしまう。


「あ、あの! それで今日は――!」


 早くこの話を終わらせたいと話の腰を折るように今日の依頼について詳しく訊ねる事にした。


「そうでした、そうでした」


 間延びした声でポンと手を叩く藤四郎。

 要約すると掃除する部屋は店の奥、前の住民が置いて行った物と趣味で集めた物を保管していた物置部屋だった。


 藤四郎もシオンもその部屋に関してはどうも億劫で、あまり掃除という掃除をしてこなかったのだという。


「ふと思い立ったのですが……、まさかそんな事になっているとは夢にも思わず」

「ですよね。俺もです」


 本当に大丈夫か? と不安がる藤四郎を店に戻し、シオンを含む三人で早速掃除の支度をし取り掛かる事にした。


 くだんの部屋には魔術や魔法に関する書物や物が所狭しと積まれていた。


 湿気た埃に古い本が放つ独特の臭い、マスク越しでもきつく感じる程の淀んだ空気に耐え切れず、三人はまず窓付近の物を片っ端から裏庭へと運んでいく。


「結構片付いてきましたね」


「ですね」


 作業は順調に進み、この調子ならば昼過ぎには終わるだろうとステラとシオンが話していた時。

 

「……?」


 部屋の隅で雑巾片手に屈んでいたアスターの目にキラリと光る“何か”が見えた。


 アスターはキャビネットの下に手を伸ばしそれを取ろうと試みるが、それは固く固定されているのかビクともしなかった。


「どうかしましたか?」


 不自然な格好の彼を見てステラは問う。


「ここに何かあるんだが……取れないんだ」


 ステラとシオンは顔を見合わせた。

 どうせ掃除をするのだ。いっそ動かしてみようと全員でそのキャビネットを移動させることにしたのだが……。


「なんだこれ?」


「床下収納ですかね?」

 

 そこには宝石が埋め込まれた取っ手と怪しげな札のついた小さな収納扉があった。

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