総務課最後の仕事 ④
車内ではお二人の気持ちを
というのも、斎場を出る少し前に、彼女たちと親族との間で交わされたある会話を僕はたまたま耳にしてしまい、その内容が気になっていたからだ。
『――加奈子さん。我々はあんたの娘が後継者だってことに、まだ納得してないんだからな。振る舞いの席で改めて話し合おうじゃないか』
『あなたたち、まだそんなこと言ってるの!? この子の気持ちも考えてあげなさいよ! 父親をこんな形で亡くして、一番ショックを受けてるのは絢乃なのよ! それに、これはあの人の遺志で決まったことなんだから、今更どうしようもないことくらい、あなたたちだって分かってるでしょう!?』
『いや、そんなことはないさ。会長が正式に決まるには、理事会で三分の二以上の賛成を得なきゃならん。こちらはこちらで対立候補を立てさせてもらうからな。これ以上、あんたら親子の好きにはさせんよ。あんたの婿さんには、グループをめちゃくちゃに引っ掻き回されたからな』 ……
――僕ははらわたが煮えくり返る思いだった。
言うに事欠いて、そんな言い方ってあるか!? 死者に
源一会長が生前このグループのため、会社のためにどれだけ尽力してくれたか、どれだけその身を削って働いてこられたのか、あの人たちはまるで分かっていなかったのだ。彼らはその姿を見ることもなく、何の努力もせず、好き勝手言っているだけだった。
絢乃さんはきっと、僕以上に腹立たしかっただろうし、それ以上に傷付いていたに違いない。お父さまのご病気を知って、ご自身のことのように心を痛められていた人だ。
それでも、彼女は泣いていなかった。お母さまとともに、親族と闘うつもりでいるようだった。それなら、僕も微力ながらお二人の力になろうと思った。
「――桐島くん、あなたにお願いがあるんだけど」
僕の決意にお気づきになったのか、加奈子さんが後部座席から僕に話しかけてこられた。
「……はい?」
「夫の火葬の間、座敷で仕出しを振る舞うことになってて。その時に、今後のことについて親族会議をすることになったの。それで、申し訳ないんだけどあなたにも同席してもらいたいのよ。いざという時には、絢乃のことを守ってあげてほしいの」
僕にとってその頼みは、願ったり叶ったりの話だった。もちろん、断る道理はない。
「ムリにとは言わないわ。もし小川さんが同席してくれるなら、彼女に頼んでもいいんだけど……」
「いいですよ。僕なんかでよければ」
僕がそう答えた瞬間、
****
――火葬場に着き、棺が
「――桐島くん、私は奥さまと絢乃さんにご挨拶してからタクシー呼んで帰るね。絢乃さんのことはあなたに任せたよ。……じゃあまた」
「はい。先輩、……今日はお疲れさまでした」
そう言って僕の肩をポンと叩いた小川先輩に、本当はお亡くなりになった源一会長への気持ちを訊きたかった。が、彼女だってつらいに違いないと思い留まり、僕は無難な挨拶だけを返すことにした。
そして先輩も引き上げ、総務課以外の会社の関係者もみんな帰っていき、親族一同と僕だけが火葬場に残った。この日はたまたま他の葬儀がなかったのか、それとも午後からしか入っていなかったのか、火葬場は篠沢一族の貸切り状態になっていた。
絢乃さんと加奈子さんも含めた親族一同はそのまま待合ロビー奥の座敷へゾロゾロと移動し、僕もそこに加わった。
座卓の上には高級そうな仕出し料理が並べられており、こういう淀んだ雰囲気の中でなければさぞ美味しく頂けただろう。が、この料理をつつきながらここで繰り広げられていたのは、何とも
「加奈子さん、アンタの婿さんもとんでもないことをしてくれたモンだな。死んだ人のことを悪く言いたかぁないが、篠沢財閥を思いっきり引っ掻き回してくれた挙句、後継者はこんな小娘なんて。ったく、何考えてたんだか」
「絢乃ちゃんはまだ高校生だろう? 会長なんて務まるのかね」
斎場で耳にしたような悪態をまだ同じように繰り出し、親族の数人が絢乃さんや加奈子さん、さらには源一会長のことまで非難し始めた。
言うまでもなく針の
横から母親である加奈子さんが必死に絢乃さんを擁護し、絢乃さん自身の目からも闘争心のカケラが窺え、彼女もまたお怒りの様子だった。どう見ても、穏やかではない光景。
僕は元々平和主義者で、争いごとがキライだ。兄とも
ただ、この時の状況にだけはガマンがならなかった。グッと握りこぶしを作りつつも、絢乃さんが親族と
考えを巡らせた僕は、彼女をあの場から遠ざけることを思いついた。
「――みなさん、ちょっと失礼します。絢乃さん、席外しましょうか」
僕は他の人たちに断りを入れ、絢乃さんをそっと連れ出した。座敷では僕への怒号が飛び交っていたが、加奈子さんがそれを当主らしく
待合ロビーはしんと静まり返っていて、座敷ほどではないが暖房も効いていた。僕たち以外、誰もいなかった。
彼女をソファーに残し、僕は自販機まで飲み物を買いに行った。その時のリクエストが温かいカフェオレだったことから、彼女も僕と同じくコーヒー好きだということが分かったのは収穫だったと思う。
僕の分の微糖の缶コーヒーも買い、彼女の元へ戻った。彼女は黒いウールのコートをひざ掛け代わりにして、バッグから取り出したスマホを見ていた。後から聞いた話では、スマホには里歩さんからのメッセージが受信していたそうだ。
彼女は僕が差し出したカフェオレを受け取ると、スマホをローテーブルに一旦置いて、バッグから財布を出した。
「ありがとう! ……あ、お金――」
「ああ、いいですよそれくらい」
小銭入れを探り始めた彼女を、僕はやんわりと制止した。これくらいで遠慮されても困る。僕が好きでやったことなのだから。
彼女は財布と一緒にスマホをバッグにしまってから、缶のプルタブを起こしてカフェオレすすり始めた。それを見届けてから、僕も彼女と適度に間隔を空けてソファーに腰かけ、自分の缶を開けて飲み始めた。
僕が美味しいコーヒーを淹れることに
「その望みが案外すぐに叶うかもしれない」と言ったのは、決して冗談ではなかった。
彼女は親戚に対して苦言を呈しながらも、「自分に会長なんて重責務まるのか」と僕に弱音を吐いた。それは嘘偽りのない彼女の本音だったのだろう。
……打ち明けるなら今だ! 心の中で、もう一人の僕が背中を押した。
「……もう、お話ししてもいい頃かもしれませんね。部署を異動することは、もうお伝えしてましたよね? その転属先は、実は秘書室なんです」
僕はそう言ってから、小川先輩の後任は自分なのだと改めて彼女に告げた。彼女の驚いた顔を、僕は今でも忘れられない。
でも、何だか源一会長の死を望んでいたように聞こえた気がしたので、僕は慌ててそんなことはないと弁解したのだが。それを聞いた絢乃さんが吹き出したので、僕もホッと安堵した。
「――桐島さん。わたし、どこまでパパのようにできるか分からないけど……、頑張って会長やってみるわ。だから、これから先、わたしのことしっかり支えてね。よろしくお願いします」
「はい、もちろんです! こちらこそよろしくお願いします、絢乃会長」
――こうして、僕の総務課としての最後の務めは無事終わったのだった。
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