僕がやるべきこと ③
僕は慌てて弁解した。絢乃さんへの下心が、僕にまったくなかったかと言えばウソになる。が、彼女の方から連絡先交換を言い出してくれたのも事実だった。
「何をそんな慌ててんの? 桐島くんがウソつけない人だってことくらい、私だって知ってるってば。――そっか、絢乃さんの方からねぇ……」
「……はあ」
小川先輩は、何やら面白がってニヤニヤしていた。今にして思えば、女性同士だから絢乃さんの僕への気持ちにもピンと来ていたのかもしれない。
「先輩は、会長についてて差し上げなくていいんですか? 会長、今日は病院で検査を受けられるんでしたよね?」
「うん、そうなんだけど。私も一緒に行きたかったんだけどね、奥さまからお電話で頼まれたの。『夫の検査が終わったらキチンと一番最初に連絡するから、あなたは会社で待機してて』って」
「そうだったんですか……」
僕は頷きながら、「いや、一番最初に連絡する先は絢乃さんだろうな」と思った。
それにしても、会長のお話をされる時の、彼女の
その真相を知ったのは翌年の夏のことだったが、彼女が会長に対して何か複雑な感情を抱いていただろうことだけは薄々感じていた。
「――それで? 桐島くん、この会社辞めるって言ってた件はどうするの? あなたこの非常事態に、それどころじゃないでしょ」
「はい。ですから退職じゃなくて、転属も視野に入れてるんですけど……。あの、秘書室って、今のところ人員に空きあります?」
この状況は、あの時の僕にとってはまさに〝渡りに船〟だった。秘書室への転属も考えていたところに、僕のよく知っている秘書室所属の人物が現れるとは。
「う~ん、私に訊かれてもなぁ……。でもどうして?」
「あー、えっと。秘書室に異動することも考えてるんで、一応念のために」
もちろん、万が一のことがあり、絢乃さんが会長に就任することになった時のことを考えて、である。が、それはまだ口に出して言うべきではないと思い、僕はあえて言わなかったのだが。
「ふーーん? ねえ、それって絢乃さんのためでしょ?」
「…………ブホッ!」
先輩からあからさまに指摘され、ラーメンをすすっていた僕は盛大にむせた。お冷を一気に飲み干してどうにか落ち着くと、彼女を正面から恨めしげに半目で睨んだ。
「ああ、ゴメン! 図星だった?」
「先輩ぃぃぃぃ~~~~」
やっぱり彼女は、後輩である僕の反応を見て面白がっているようだった。会長の容態を案じていた時の沈み込んだ表情はどこへやら、まったくもって喜怒哀楽の激しい女性である。
「……ホントごめん。んーと、さっきの質問の答えなんだけどね。ウチの部署は元々少ない人数で回してるんだけど、年内いっぱいで社長秘書の人が
「それに?」
僕が首を傾げて問うと、先輩は急にまた深刻そうな表情になった。
「私、もしかしたらもうすぐ会社辞めるかもしれないから……。だから桐島くんが来てくれるなら安心かな、って。ウチには男性の秘書もいるし、
「……えっ!? 先輩、辞めちゃうんですか!? まさか、先輩も僕みたいに嫌がらせを?」
僕が考え直すことに決めた〝退職〟という道を、思いがけず彼女の口から聞いてしまった僕は気が動転してしまった。とっさに、その原因として自分と同じくパワハラを思い浮かべてしまうと、即座に「違う違う!」と否定された。
ちなみに、広田
「ちょっと事情があってね。まぁ、女には色々あるものよ。だから
「…………」
やっぱり、先輩は会長との間に、僕が知る由もなかった何かがあったらしい。
……まさか不倫!? と思ったが、僕が学生の頃からよく知っていた彼女は他人様の
ましてや、妻子ある会長と不倫なんて論外だ。
「やだなぁもう! そんな暗い顔しないで? まだホントに辞めるって決めたワケじゃないんだから」
いつの間にやら、僕までつられて深刻な顔になっていたらしい。見かねた先輩が僕を安心させようと、いつもの明るい様子で僕に世話を焼いてくれた。
「桐島くん、ラーメンだけじゃ体力もたないでしょ? ただでさえハードワークしてるんだし。私の唐揚げあげるから、これもう食べちゃって」
「えっ、いいんですか? でもそれ、先輩のおかずじゃ……」
ビックリして彼女のトレーを見れば、メインの唐揚げはほとんど手つかずで、それ以外のごはんや味噌汁・小鉢のお浸しやポテトサラダはきれいに平らげられていた。
「いいからいいから。私もうお腹いっぱいだし、早く自分の席の戻んないと。奥さまからの連絡、もうすぐあると思うから。――じゃね」
「……分かりました。そういうことなら、ありがたく頂いときます」
僕が唐揚げの皿を引き寄せると、先輩は満足そうにトレーを手に、席を立って行った。
昼休みはまだニ十分くらい残っていたが(ウチの会社の昼休みは正午から午後一時までの一時間である)、僕は課長への意地もあり、早く食べ終えて部署に戻り、仕事を再開しようと思った。
****
――午後の仕事が始まって三十分ほど後、僕のスマホに絢乃さんからのメッセージが受信した。
本当は電話にしたかったのだが、僕が仕事中であったことを考慮してメッセージにしたのだろう。そんなところからも、彼女の
きっと、お母さまからお父さまの病名を告げられたので、僕にも知らせようと思い立ったに違いない。――そこまでは僕にも予想ができたが、それはただの義務感からかもしれないとも思い、彼女の僕への好意には気づかなかった。
文面を開いた僕は、そこが職場であることも忘れて茫然となった。
―― 〈桐島さん、さっきママから連絡がありました。
パパは末期ガンで、余命はもって三ヶ月だそうです。ショックです。
ガンって苦しいんでしょうね……。パパの苦しみを考えただけで、わたしは胸が張り裂けそうです。さっき、泣いちゃった。
このメッセージに気が付いたら、何時でもいいので連絡下さい。 絢乃〉 ――
「――余命三ヶ月!? ウソだろ……?」
イチ社員でしかない僕があれだけのショックを受けたのだ。実のお嬢さんである彼女が受けたショックはどれほど大きかっただろう。
源一会長はその前日に、四十五歳のお誕生日を迎えられたばかりだった。そういえば、絢乃さんのお
奥さまの加奈子さんもまだお若いし、絢乃さんに至っては当時まだ現役の高校生だった。源一会長だって、そんなに年若くして加奈子さんを未亡人にしてしまうことや、絢乃さんが自分亡き後に背負っていく苦労を思うとつらくてたまらなかっただろう。
僕は仕事なんて途中で放り出して、すぐにでも絢乃さんの元へすっ飛んでいって慰めてあげたかった。僕がついていることで、少しでも彼女の心の癒しになれたらと思った。
けれど、絢乃さんは優しい反面、思いのほか厳しい人でもあった。この日の夕方電話をした時、このことを打ち明けたら「お仕事はちゃんとしなきゃ」とのお叱りを受けてしまったのだ。
そもそも、当時の僕は彼女の恋人でも何でもなかったので、彼女を慰めるなんておこがましいことはできそうもなかった。
それに……、スマホに気を取られている間の、島谷課長からの視線がグサグサと痛いほど突き刺さってので、僕は仕方ないと肩をすくめて仕事に集中しようとした。
そして、翌日にでも早速、人事部長のところへ転属の相談に行こうと決心していた。
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