五百七十三話 退屈な駄作

『現実は物語なんかじゃない』


 胡桃沢さんが教えてくれたその事実は、俺の意思をハッキリとさせてくれた。


 おかげで俺は、現実と向き合えるようになった。

 現実と物語の区別がついていなかった俺にとって、その真実は薬となって正常に戻してくれたのだ。


 だけど……最初から現実と物語の区別がついていた彼女にとってはどうだろう?


 異常な状態だった俺と違って、メアリーさんは正常だった。

 現実を物語と思い込んでいたわけじゃなく、本当にそう認識していたメアリーさんには……その真実は、薬効を発揮せず、逆に『毒』になっていた。


「――違う」


 メアリーさんが、首を横に振る。

 そんなわけないだろと、嘲笑おうとしているのかもしれない。

 だけど、表情が引きつっていてうまく笑えていないように見えた。


「現実は、物語だ。いや、物語にできるんだ……そうじゃないと、ありえない」


 俺に馬乗りになってはいるものの、押さえつける力はあまりにも弱く、振りほどこうと思えば簡単に振りほどくことができるだろう。


 しかし、そうする気にはなれない。

 今、俺が彼女を振り払ったら……多分、もう二度とメアリーさんが立ち直れないと思ったから。


 そして俺も、この悲痛な表情を二度と忘れられない気がした。


 メアリーさんとは色々あった。苦しめられたこともあるし、助けてくれたこともある。友達……とは呼べないけど、理解者ではあるんだ。


 このままお別れになるのはごめんだ。

 だから、彼女から離れられなかったのである。


「現実は物語にできる。できないと、ダメだ。物語みたいになってくれないなら……そんなの、酷すぎる。だって現実は、あまりにも――退屈だ」


 押し黙る俺とは対照的に、メアリーさんは次々と言葉を紡いでいた。

 そうしていないと自我が保っていられないのかもしれない。俺に言い聞かせているように見えるけど、実際は自分に言い聞かせているようにも感じた。


 あるいは、言い訳をしているのだろうか。

 いずれにしても、それくらいメアリーさんは追い詰められている。


 現実が、現実であることを受け入れられないみたいだ。


「違うに決まってる。ワタシが生きる世界が、こんなに退屈であっていいわけがない。物語みたいに、夢と希望、そして絶望に満ち溢れているはずなんだ……!」


 そうであってほしいと、メアリーさんは心から願っている。

 祈りにも似たその願いを、しかし肯定してあげることはできない。


 だって俺はもう、現実を生きているのだ。






「こんな駄作を、受け入れられるわけがないだろ!?」






 ごめんね。

 メアリーさん。


 もう、キミの思いに共感してあげることはできない。


 俺は、この『現実』という駄作を受け入れてしまったから。


 退屈で、つまらなくて、面白くなんてないこの現実こそ、幸せだと思うから。


 だから、ごめん。

 メアリーさん……もう俺には『物語』を見ることはできないんだ――。

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