三百六十八話 牙は抜かれても心は『虎』


「それで、いきなりどうしたんだい? わざわざワタシを訪ねてくるなんて、珍しいじゃないか」


 まるで何事もなかったかのように、メアリーさんは襟を正しながら立ち上がる。

 しかしそんな彼女を、背後の胡桃沢さんがジトっとした目で見ていた。


「……ねぇ、なんであんな無様を晒しておきながら、中山には偉そうな顔してんの?」


「黙れ。時代遅れのツンデレめ……引っ込んでてくれよ」


「減給」


「……ご主人様! どうか、彼と二人きりでお話させてください!! お願いします!!!」


 俺の前でだからなのか、最初は取り繕う努力をしていたけれど……状況的にそれは難しいのだろう。ついにメアリーさんはプライドを捨てて、胡桃沢さんに土下座していた。


 かつて、あんなに偉そうで不気味だったメアリーさんはもうどこにもいない……今、目の前にいるのは、面白くてかわいいだけの愉快なキャラクターだった。


「そんなにお願いするなら、仕方ないわね。あたしは寛大なご主人様だから、席を外してあげる」


「……くそがっ」


「いつでもあんたの代わりは用意できるけど」


「……ありがとうございます、ご主人様!!」


「それでいいのよ。あたしに対してはそうやって媚びなさい。そうしていれば、寵愛を施してあげるから。じゃあ、中山……そういうことだから、少し部屋から出てるわ。終わったら呼んでね」


 メアリーさんには終始冷たい胡桃沢さんだけど、俺に対してはどこか甘い……と、いうか、かなり優しい。その温度差に戸惑いながらも頷くと、彼女は小さく笑って部屋から出て行った。


「死ね死ね死ね死ね死ね――」


 完全に胡桃沢さんが出て行ったあとで、メアリーさんが聞こえないように呪詛をまき散らす。土下座の体勢のままぶつぶつと『死ね』を繰り返す彼女は、とても怖かった。


「えっと……メアリーさん?」


 いつまでも頭を上げてくれないので、少し心配になって声をかける。

 それでも反応がないので、恐る恐る手を伸ばしてみたら……いきなり、その手をガシッと掴んできた。


 あまり触らないでほしいなぁ。

 しほ以外の女子と触れ合うのは、ちょっと抵抗があった。


「コウタロウ……ワタシはもう終わりだ」


「……いや、話の前に離してほしいんだけど」


「うぅ、やっぱりイヤだ……ポンコツ無能メイドキャラは無理だっ。お色気要員ならまだしも、ギャグキャラなんてワタシに似合ってない! コウタロウもそう思うだろう!?」


「うーん。まぁ、いいんじゃないかな? それよりも離してくれない?」


「薄っ。反応が薄すぎる……! ワタシにもっと興味持ってくれてもいいだろう? ほら、ちょっと前までワタシとバチバチにやり合ってた仲なんだしっ。元敵キャラとして、ライバルとして、同士として、何かしら思い入れがあるのが普通だろうっ」


「思い入れはあるけど、あんまり触られたくないだけだよ」


「はぁ!? ワタシみたいなエロくてスケベな体つきしている美女に触れられて喜ばないとか、正気かな?」


「正気だから、離して……」


 いつまで経ってもメアリーさんは手を離してくれない。

 少し興奮しているのか、握る力も強くて痛かった……彼女、スペックが高いから握力が強いのである。しほの華奢な手と比べたらゴリラみたいに逞しかった。


 なので、メアリーさんに関してはあまり『可哀想』という感情がない。

 どうせ何があっても自力で乗り越えるだろうし、それだけの能力としたたかさがある人間なので、同情するだけ無駄である。


「ちっ。ワタシにドキドキさせてシホから寝取ろうとしたのに……それでワタシに惚れさせてコウタロウを支配できれば、また面白ことができると思ったのにっ。一途なコウタロウなんて嫌いだ」


 ……ほら。こうやって隙あらば何かを狙っている。

 虎視眈々と、返り咲くチャンスをうかがっている。


 こういう一面を知っているので、俺はメアリーさんを好きになることは絶対にないと、断言できた――

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