第三百十話 『物』


 ――あの時の彼は、どんな顔をしていただろう?


 イメージは、文化祭で見た幸太郎。

 あの時、彼はキラリを奮起させるために、わざと煽るような言動をしていた。


 声、表情、言葉、態度、全てを使ってキラリを怒らせた結果、失恋に嘆いていたキラリは闘志を燃やした。


『――今に見てろよ』


 そう言って以降、キラリの世界は見違えて変わった。

 最初は、幸太郎を見返してやりたい一心で立っていた。しかし次第に怒りは薄れていって……連動するように、頭の中に満ちていたもやが、晴れたのだ。


 視界がクリアになって見えた景色は、何もかもが鮮明に見えた。

 見えなかったものが見えるようになって、気付けなかったことに気付けるようになって、自分自身の在り方も分かるようになれた。


 その感覚を、龍馬にも味わってほしかった。

 今、彼の視野は極端に狭い。いや、今ではなく『今まで』と表現する方が適切だろうか。


 竜崎龍馬の目には、過去から現在に至るまでずっと『霜月しほ』に固定されてしまっている。それ以外に見える物は、自分だけだ。


 そのせいで竜馬は、自分の周りにあるものの視点を合わせられない。映ったとしても、ぼやけてしまっているのだ。


 だから彼は、身の回りの人を大切にできない。

 だから彼は、いつも自分自身のことばかりを考える。

 だから彼は、しほのことを忘れることもできない。


 だって、自分としほしか見えていないのだから、当たり前だ。


 そうやって、龍馬の視界を悪くしているもやを晴らすためにも、キラリは『煽る』ことに決めたのだ。


 一つの視点ではなく、違う視点から物事を見てほしい。

 自分の考えを絶対とするのではなく、他者の意思を考えられる想像力を手に入れてほしい。

 それこそが『思いやる』ということなのだから――





「いいかげんにして」


 文化祭の時の幸太郎を参考にする。

 幸太郎は意外と演技がうまい。だから、彼ほどうまくはやれていないが……今、視野の狭い龍馬を騙すには、十分だったようで。


「別に、しほのことなんて……ひ、引きずって、ねぇよ」


 露骨に、狼狽えていた。

 彼女の名前を耳にしただけで、おかしくなりそうなくらいに戸惑っていた。


 そもそも、そうやって変化することさえ、おかしいのだ。

 客観的に見て、しほは龍馬とただの幼馴染でしかなく、関係性は浅い。しかし彼はまだ、彼女のことを深く思い続けている。


 その粘着じみた執着に、キラリはハッキリとこう断じた。


「気持ち悪いよ。振られたくせに、まだ好きなの? あんなに冷たくされてるくせに、なんでまだ可能性があると期待してるわけ? やめてあげて……霜月しほのためにも、彼女に拘るのはダメだよ」


 一途と表現するにはあまりにも一方的すぎる感情だ。

 愛しているから――なんていう理由で片付けるには、気持ち悪いとキラリは感じている。


「ち、違う……別に、好きなんかじゃねぇよ。ただ、やっぱり俺にとって、彼女は幼馴染で、だから忘れられないだけだ……よ、よくあるだろ? 振られても、すぐには感情を整理できないなんて、普通だろ!?」


「普通じゃないよ」


 こんなの、異常でしかない。

 なぜ、龍馬がこんなにもしほのことを忘れられないのか。


 それは、彼の歪んだ考え方が、大きく影響している。


「竜崎龍馬。あのね、霜月しほはあんたの『所有物』じゃない。ただの幼馴染だから、過去だってあんたの所有物じゃなかったんだよ? だけど、あんたは彼女を『持っている』と、そう錯覚していた。だから、手元から失っても、未だに『俺の物だったはずなのに』って考えてるんだよ」


 前々から、その気配はあった。キラリはそれに薄々感づいていた。

 だが、ハッキリと言語化できたのは、ついさっきのことである。


「そんな、所有物だなんて思ってねぇよ! しほは物なんかじゃない!!」


「……本当にそう思ってるの? だって、アタシたちのこと『おさがり』って言ってたじゃん。それって、女の子を『物』として認識していたってことでしょ? 人間として、ではなく……自分の価値を高める『所有物』として、考えてたってことじゃないの?」


 それが、竜崎龍馬が抱えている問題の根っこだと、キラリは分析していた。


 だから彼は、他人を思いやることができない。

 だから彼は、自分しか考えることができない。


 なぜなら、自分以外の人間を同等に見ていないから。

 彼がハーレムのような状態でも何も思わなかった理由も、それだ。


 自分を彩る装飾品(アクセサリー)は、多ければ多いほど好ましいのである。

 そして、最も価値の高い装飾品(アクセサリー)が、霜月しほだった。

 彼女を手放すと自分の価値が下がる。


 だから彼は、彼女に異常なほどの執着があるのだ――

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