第八話 主人公様が初めてモブキャラを認識した瞬間

 ああ、こいつは俺のことなんて知らなかったんだ。

 主人公様は、モブキャラなんて視界にすら入れていないのだ。

 そのことが悔しくて、それから……イライラした。


「名前、分からないのか? もう入学式から一カ月以上も経つのに、クラスメイトの名前も分からないのか?」


 声が、荒れる。

 自制できない。言葉の棘で、竜崎を刺し殺そうとでもしているのだろうか。

 苛立ちが抑制できずに、言わなくていいことを、俺は言いそうになっていた。


「俺は、あんたのことを知っているぞ? 竜崎龍馬だろ? そこそこイケメンで、成績もまぁまぁ良くて、料理が上手で、友達が多い奴だ」


 主人公様のことは、モブキャラなんだから分かっている。

 というか、クラスメイトなんだ。主人公とか、モブキャラとか、関係なく名前くらい知っている。


 一応、俺とお前は対等な立場にいるんだ。同じ人間で、高校一年生なんだ。


 名前くらい覚えろよ。クラスメイトに対して失礼だろ――と、普段は言わないでいいことを、口にしそうになった。


 喧嘩を売るような真似がやりたいわけじゃない。

 だけどこいつには、つい余計なことを言いそうになってしまう。


 それくらい俺は、竜崎のことが嫌いだから。

 でも、そんな俺を止めたのは――やっぱり、あの子だった。


「はいっ!」


 まるで、間に入り込むように。

 人見知りのくせに、勇気を振り絞って大きな声を張り上げたのは、隣で俺の様子をうかがっていた霜月だった。


 彼女は俺の様子がおかしいことに気付いたらしい。

 割り込んで、それから俺に何かをギュッと握らせた。


「これ、返すね?」


 握らせたのは――昨日貸した、ハンカチだった。

 寝起きでよだれが垂れていたから、貸したことを思い出す。

 それから彼女は、耳打ちでこんなことを言ってくれた。


「落ち着いて? そんな顔してたら、不幸になっちゃうわ。ほら、私の気持ちも分けてあげるわ……じゃあ、また後でね?」


 それだけを伝えて、彼女は自分の席へと戻っていく。

 その後ろ姿を眺めて、ハンカチを握りしめると……微かに、霜月の温かさを感じた。そのぬくもりが、荒れた心を癒してくれた。


 ハンカチを通して、彼女の優しい気持ちが俺の体に流れ込んでくるような……そんな気がしたのである。


 そうだ。イライラをぶつけたところで、何も解決はしない。

 こんなところで怒っていても、何も生み出すことはないのだから。


「……えっと、どういうことだ?」


 何が起きているのか分からないのだろう。竜崎が困惑した顔で、俺と霜月を交互に見ている。

 そんな顔を見ているとまたイライラしそうだったが、小さく息をついて冷静さを取り戻した。


 うん、大丈夫だ。

 こんなところで争っていても、意味はない。

 俺はどうせモブキャラなのだ。主人公様に歯向かったところで、何かが変わるわけでもない。


 だからいつも通り、はぐらかそう。

 曖昧な笑顔で、モブキャラらしく……背景の一部になる。

 それで、いいんだ。もう、大好きだった人たちへの思いが報われることはないのだから。


「昨日、ハンカチを貸したんだ。それを返してもらっただけで、特に何もないよ」


 適当なことを言って、肩をすくめる。

 それから、今度は少しだけ語気を強めて。


「俺は中山幸太郎。竜崎と同じクラスの一員だ……覚えてくれると、嬉しいよ」


 そう宣言して、竜崎を睨む。

 あいつはこの時に、ようやく俺という存在を認識したらしい。


 正面から、強く睨み返してきた。


「ああ……覚えた。これからよろしくな、中山」


 それだけを言って、竜崎も自分の席へと戻っていった。その後ろ姿を眺めて、息をつく。


 危なかった……思わず、爆発しそうだった。

 そもそも、竜崎に怒るなんて見当違いも甚だしいというのに。


 俺はただの負け犬なのだ。

 モブキャラらしく、大人しくしていないといけないというのに。


 それに、霜月にも迷惑をかけそうになってしまった。

 助けてくれた彼女に、後でお礼を言わないといけないなぁ――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る