命の水

URABE

現代版サバイバル


現代をサバイブできるのは、この私だ――。



そう確信したのは今朝のことだった。朝5時、そろそろ寝ようとトイレに行き手を洗おうとしたところ、バスンッという音とともに水が止まった。


(あぁ、断水か)


このようなことはたまにあるため、マンションのどこかに掲示されていたのを見落としたのだろう。とくに気にも留めず私はベッドへと滑り込む。



毛布に包まり目を閉じるが、ジェットラグのせいでうまく寝付けない。帰国後の軟禁により体を動かすことができず、体内時計の調整が鈍っているのだ。汗をかき疲労を感じてこそ、正常な健康を確認できるというのに。

まだ8時前だが仕方なくモソモソ起き上がると、コーヒーを淹れにキッチンへ向かう。そして3時間前と同じく水道のレバーを天井に向かって軽く小突く。


(あれ、まだ出ない)


レバーを最後まで押し上げるも、チョロッと垂れたかと思うと水は消えてしまった。その後は何度上げ下げしても一滴も垂れてこない。



平日の朝に断水とはいい度胸だ。早速、東京水道局のサイトへアクセスし港区の断水状況を確認する。すると、港区白金台の一部と港区新橋の一部で配水管布設工事を行っており、23時から5時の深夜の時間帯で断水が実施された様子。

ここで疑問は2つ。まず一つは私は断水が行われた地域に住んでいない。そしてもう一つは、この時間帯はとっくに終わっている。


――ダブルで違うではないか。



仕方なくマンションの管理会社へ連絡をすると、他の居住者からも同様の連絡がありクラシアンへ手配済みとのこと。だが到着時刻は不明で、復旧するかどうかも当然わからない。


キッチンも洗面所もシャワーも使えないが、もしかするとトイレの水も出ない可能性がある。そうなればちょっとしたサバイバルを強いられる。なんせ今は外出禁止の身のため、コンビニでトイレを借りたり水を買うことはできても、シャワーを浴びに友人宅へ行ったりジムを訪れたりすることはできない。



こんなときに限って突如、潔癖症の私が顔を出す。顔も洗えない、歯も磨けない、髪の毛も洗えないということは他人と顔を合わせることなどできない。身体の汚れは日に日に増し、加速度的に俗世から離れることとなる。


その先に待ち構えるは、孤独死――。



首を強く横に振ると、スマホを放り投げてゴロンと寝ころんだ。こんなにも不運が重なるとは、どんな試練を与えられているというのだ。



とその時、視界にあるものが映る。おもむろに起き上がった私の口元は、自然と緩んでいた。なんと我が家には水道などひねらずとも水を生み出す装置がある。24時間365時間せっせと新鮮な水を誕生させるマシン、そう、除湿器だ。


コンクリートに囲まれたこの部屋は季節を問わず常に多湿。ちょっと目を離すと窓やサッシはビショビショになる。さらに放置するとその水分により黒カビが発生する始末。

ペット不可の部屋だが、カビという生き物は勝手に生息するわけで、ずいぶんな矛盾といえる。



そのため、我が家では2台の除湿器をフル稼働させている。洗濯物は永遠に乾かず、エアコンはベランダに向かって吹きつけるというおかしなつくりのこの部屋で、少しでも快適に過ごすためには除湿器の存在が必須。

室内の湿気を吸い込んではため込み、およそ2リットルの水を毎日作り出す優秀な相棒。この水が飲料水としてどうなのかは分からないが、沸騰させたら問題なく飲めるだろう。


私はすぐさま除湿器のタンクを外し、タプタプと波打つ新鮮な水を恍惚のまなざしで眺める。



――勝った。



豊かな生活が保障される現代において、インフラが途絶えることなど想像だにしない。すぐに復旧するだろうし、いつかは戻るだろう。いつだって都合よく他人任せで、無責任に生きるのが我々イマドキの人間だ。


たとえ電気やガスが止まっても、水が出ればなんとかなる。だが水が消えた場合、果たしてどうやって生き抜くのか。



少なくとも我が家は、電気さえ通っていれば無限に水を生み出す装置と、生きる上では十分といえる潤沢な湿気がある。この「命の水」こそが現代における非常事態をサバイブするカギとなるわけで、言うなれば私は勝ち組ということだ。



除湿器のタンクの水をトポトポとティファールに流し込みながら、私は一人、勝ち組の余韻に浸るのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

命の水 URABE @uraberica

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ