第32話 別人だとしても許してくれますか?

 人は動機がないと動かないものだ。

 大抵の場合それは報酬であったり名誉であったりするが、レオンの場合は何なのだろうか。


 私の思惑通りにマンティーノスを手に入れることなのか。



「そうだね。僕がフィリィに親切にする理由か……」



 レオンはひとしきり悩むと「欲しいものがあるからかな」と明るく軽やかな調子で言った。


 その声音は八百屋の店先に並ぶ野菜でも選ぶかのように軽い。

 もっと深刻に捉えてもらえると思っていただけに、拍子抜けしてしまう。

 私はもう一度訊く。


「欲しいものって?」


「うん」とレオンは背筋を伸ばし、顎の下で両手を合わせた。


「人によればただの夢想だっていうだろうけどね。僕には手にしてみたいものがあるんだ。そのために努力している」

「それってもしかしてマンティーノス?」



 フェリシアを通じてマンティーノスとウェステ伯爵家を掌握しようとしているのか?



「ははは。確かにマンティーノスは魅力的だよね。うん。マンティーノスも欲しいな。けどね、本命は別にある」



 私は一言も聞き逃さまいと身を乗り出した。

 けれどレオンはヘーゼルの瞳を細めただけで何も応えなかった。



「教えてくれないの?」

「ああ。今はね」

「婚約者なのに隠し事するのね。私が信用ならないせい?」

「きみが言う? きみも僕に話していないことがあるだろ。お互い様だ。それに夫婦でも知らないことがある方が盛り上がるでしょ」

「なにそれ」



 レオンはため息をつく。



「ねぇフィリィ。僕たちはいずれ結婚するんだよ。これから長い人生を共にすること忘れてない?」

「……えっと」



 一欠片も覚えていなかった。むしろ眼中にすらなかった。



「あ、うん。結婚する……のかな?」

「何言ってるんだ? 僕たちは婚約してるだろ。婚約は結婚を前提に結ぶものだ。結婚しないなんてありえないよ」

「まぁ。そうだよね」



 私とレオンは損得勘定だけでつながっている。

 お互いの欲望を叶えるための婚約者という名のパートナーなのだ。


 正直、将来のことなんて考えてもいなかった。



(すっぽり抜けてるわ……)



 そもそも私はこの世に存在する意義は復讐のためだけだ。

 成就した後はどうなってもいい。

 私の二度目の人生はヨレンテを取り戻したら終わるのだ……と思い込んでいたのかもしれない。



(そっか。復讐を終えても人生は続いていくんだ……)



 レオンとの生活、いいえ、相手が誰だとしても結婚生活なんて想像もできないけれど。

 この人生ではエリアナは女性の歩む当たり前の道が続いているのか。


 レオンは私のネックレスを弄びながら、



「きみは変わったね。事故に遭う前のフェリシアきみはさ、僕がきみを選んだことを何より喜んで、毎日幸せな空想に浸っていたものだけど、今は結婚っていう言葉を受け入れるのも苦痛みたいだ」


「ごめんなさい。頭を打ったからかな? 結婚に現実味がなくて」

「頭を怪我すると人が変わることもあるって聞くけど、……きみの場合は誰かと入れ替わっているレベルで変わった」



(まさか気付かれている?)



 背筋が凍る。

 もしもバレたらどうなる?

 いや、知られたとしても、魂の転移など常識的に考えて起こり得ないことだ。あの御方の御技でのみ成し得たことなのだ。


 レオンは私の頬にそっと触れた。



「中身がね、別人なんだよ。現実的ではないけど、そうとしか思えない」

「馬鹿げたこと言うのね。でも」



 例えばだ。素直に告白をしたとして。

 私がフェリシアではなくエリアナだとしても、この人は私を受け入れてくれるだろうか?



「レオン、もしも本当にそんなことがあったとしたらどうする?」

「どうもしない。フェリシアはフェリシアだし。それに僕は今のきみのことを気に入っているからね」


「私を??」


「以前のフェリシアは可愛いだけだったけど、今のフェリシアはとっても面白い。目が離せないよ。最初はね、僕の望みを叶えるためのお飾りの妻でよかったんだけどさ。人間、欲が出てくるものだね」



 レオンは私の肩に顔を埋め、



「きみじゃないと満足できない気がしてきたよ。僕の婚約者である限り僕はきみに尽くす。きみの望みが叶うまでは手足になるって決めたんだ」


 掠れた小さな声で言った。

 この言葉だけ聞くと、ただの熱愛宣言なんですが。

 これは?



 その時、誰かが机を指で叩く。

 視線を上げると、そこには……高貴なる後継人の呆れ果てた顔があった。



「お……王太后殿下!!??」

「レオンは我が世話子に夢中なのね。悪くないわ」



 王太后様はレオンの痴態に笑い声を立てないように必死に耐えているのか、何とも言えない複雑な表情だ。



(今の聞かれた??)



 恥ずかしい。

 いや別にやましいことなど一つもないけれど。


 レオンは不機嫌そうに王太后様から顔を背けた。



「大伯母様はご趣味が悪い。盗み聞きなんて」

「こんなところで愛を語るのが間違っているのよ。聞きたくなくても聞こえてしまうわ」



 王太后様はゆったりとした曲が漏れるホールを指差し、



「エスコートしておきながら放っておかれるのはどうかと思うわ。フェリシアとのファーストダンスは終わったのでしょう? いい加減、ダンスの相手をなさいな」

「はぁ……致し方ありませんね。かしこまりました」



 渋々だと言わんばかりに立ち上がり、レオンは身を屈めて私の頬に口づけをした。



「ちょっと行ってくる。待ってて」

「楽しんできてね」



 二人の背中がホールに消えるのを見届けて、私は将来に思いを馳せる。


 復讐が終わったら私はどうなるのだろう。

 あの御方は私を許して下さるのだろか。



(ううん、今は考えるのは止そう)



 ヨレンテの家に入ることを考えなければ。

 全てを取り戻すことが最優先されるのだから。

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