第30話 持つべきものは愛すべき婚約者。
「ウェステ伯爵代理、でよろしかったかしら。私は名を呼ぶことは許しておりませんよ」
私は高慢に言い放つ。
お父様はぎこちなく頭を下げた。
「も…申し訳ございません。お嬢様。お許しください」
「いいのよ。それよりもグラスが割れたでしょう? お怪我はなさっていらっしゃらない?」
私は顎に右手を添え上目遣いに微笑みかける。
お父様はヒッと小さな悲鳴をあげ後ずさった。
顔面を蒼白にし信じられないものを見たかのように口をぱくぱくさせている。
(思った通りのいい反応ね)
顎に手を添えて上目遣いで相手を見つめる……この仕草は亡くなったお母様の癖だ。
お母様はトラブル、例えそれがどんなに小さなものでも、対峙する時はいつもこの仕草をしていたものだ。
私にとっては大切で懐かしい思い出だけど……。
(お父様にとっては恐怖でしかないでしょうね)
亡くなった
しかも生前と変わらぬ姿で。
さぞかし肝を潰しただろう。
いい気味だ。
「け……怪我は致しておりません。お気遣い痛み入ります。私、マリオ・オヴィリオと申します。お嬢様。お名前をお伺いしてもよろしいですか?」
「あら。私のことご存知ない? そんな方がカディスにいるなんて驚きました」
(社交シーズン開幕直前ゴシップ第一号であり話題の人なんだけどなぁ)
外国人であるお父様はカディス語が得意ではない(読み書きは十分できるけれど、母国語ではないのだ……)。
もしかしたら新聞のゴシップ面まではチェックしていないのかもしれない。
加えて継母は没落貴族出身でほとんど教育を受けていない人だ。私が生きていた頃も文章は好んで読むことはしていなかった。
社交界の情報に疎く渡っていくことは難しいだろうが、特権を疑うことなく享受できるある意味幸せな人たちなのだろう。
(でも私のことに気づいていないのならば好都合だわ)
私はお母様のように鷹揚に手を差し出した。
「リェイダ女男爵フェリシア・セラノです。私の祖父、とうに亡くなっておりますが、そちらの五代ウェステ伯爵とは親しくさせていただいていましたの。オヴィリオさんは覚えていらっしゃるかしら」
頬を強張らせお父様は私の手を取り口をつける。
「五代と……。覚えておりますとも。義父が健在の頃は一家でよくエレーラを訪れたものでした」
お父様の背後で継母とルアーナが所在なさげに身じろいだ。
(知らない記憶でしょうね。当時、継母様はまだお父様の妾だったものね)
娘婿のお父様は本妻であり当主の済む館に妾を連れてくることは出来ず(当たり前だ!)、屋敷から離れた村に囲っていた。
そしてお母様の死後、一年も経たないうちに妾を屋敷に迎え入れたのだ。
後妻として。
なので。
このことは
(後ろめたい過去のお話なんて、居心地が悪いでしょうけど)
それなりのことをしたのだから甘受するくらい余裕でしょうに。
「ところでウェステ伯爵代理のヨレンテさん? あぁ違うわ、オヴィリオさんでしたよね。実は今日、お声がけしたのは先日新聞で御息女を亡くされたと知ったからなのです……。とてもお若かったのにこんなことになるなんて。たった一人のお子様を失われて、さぞお辛いでしょう」
「ええ、急なことでして……。娘はまだ召される年ではなかったというのに……」
私は心から憐れんでいるのだと目を潤ませた。
横目で継母様とルアーナ、ホアキンを確認する。
それぞれに神経質そうに指を動かしたりあらぬ方に視線を渡したり。
ルアーナはよっぽど暇なのか小さく
わかりやすいのか、それとも本当に興味がないのか。
(私から全てを奪ったのだというのに!)
腹立たしいことこの上ない。腹の底がふつふつを湧き上がる。
(これからそんな顔できないようになるから。覚悟しておきなさい)
でも復讐をするのは今ではない。
今日行うことは印象付けと約束の取り付けだ。
「エリアナ様は本当にお気の毒です。他人の私でも記事を読んでとても衝撃を受けましたもの。御息女と同じ年頃ですし、亡くなったことが他人事に思えなくて。悲しくて胸が張り裂けそうでした」
「セラノ様にご心配いただけるなんて。娘も喜んでいることでしょう」
「それでね、オヴィリオさん。今度、伯爵様のお墓に参りたいと思っておりますの。いかがかしら」
「あ……ありがたいお申し出ではありますが……。私どももまだ娘を失った悲しみが癒えておりません。お客様をお迎えするにはとても……」
今日の舞踏会は社交界の晴れの場。
欠席をすることは出来ない。
(この場に居ることは仕方ないとしても)
喪章の一つもないただただ煌びやかな格好はいかがなものか。
当主を失くしたのだ。
例え自らが殺めている後ろめたさがあるにしても対外的に悼む気持ちを表すものだろう。
(お父様と継母様だけじゃない。ルアーナとホアキンにはエリアナの存在自体が無かったものになっているし)
エリアナが死んでほんの数ヶ月で公衆の面前で痴態を晒せるとは……。
「お客さまだなんて。私は前の伯爵様を悼みたいだけなのです」
「セラノ様。お気持ちは……」
「あなたの名はオヴィリオだったかな。先代女伯爵の夫君殿」
不意にレオンが割り込んだ。
慌ててお父様は頭を下げる。さすがのお父様でも社交界の華の顔は知っているようだ。
「これはアンドーラ子爵様。お初にお目にかかります」
「私の婚約者がなにか失礼なことでも言っただろうか」
「いいえ。お嬢様は私の亡き娘に同情をくださっただけでございます。慈悲に溢れたお優しいお方です」
「そうだろう。彼女は優しいんだよ。見知らぬ女性の死に心を痛めるほどにね」
レオンは通りすがりの下僕を呼び止め、ワインの入ったグラスを取る。一口二口飲み、目の高さまで掲げた。
「オヴィリオ殿。あなたの領で作られるワインが絶品だと聞いたことがある。私はワインに目がないんだ。今年の仕込みはこれからだろうけれど、これまでのものがワイン蔵にあるだろう?いくつか試させてもらえないだろうか」
「え、えぇ……?」
王族に継ぐ地位にあるサグント侯爵家の嫡子の頼みだ。
遥かに上の爵位と地位を持つ者の要請を断れるほどにお父様の地位も肝も据わってはいない。
お父様は脂汗を浮かべながら、しどろもどろに応える。
「あの、子爵様。サグント侯爵家に連なる方に評価いただけることは、とても光栄でございますが、私どもは……」
「私はね、オヴィリオ殿」
レオンは首の後ろをさすり、
「フェリシアの望みは全て叶えてやりたいんだよ。どんな些細なことでもね。……わかってくれるかな?」
とお父様の肩を叩いた。
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