第26話 お願い。期待させないで。

 夏の離宮からの帰り、私は耐えがたい疲労感に襲われながら馬車の座席に身を埋めた。



(すごい体験だったわ……)



 なかなかお目見えすることもできない雲の上の存在である王太后殿下とお会いすることができた。



(お母様そっくりのこの姿で同情を引くことには失敗したけれど)



 いや、違う。

 大失態だ。


 カミッラ様が抱いておられた私のお婆様とお母様への親愛は想像以上に深く、他人が触れることすら許されない領域であったのだ。

 

 無神経なまま踏み込んでしまったフェリシアをカミッラ様は決して許さず、最後までお気に召してもらうことはできなかった。


 でも。


 最大の目的は達することができたではないか。

 後見(一年という期間限定ではあるが……)を取り付けることはできたのだから、首尾は上々だ。



(やっと貴族として認められるわ。あの人たちへの報復への第一歩ね)



 一歩どころか大きな前進だ。

 社交界の大御所が引退した身でありながら私を庇護すると約束してくれた意義は大きい。


 かなりな力技だが、ルーゴ伯爵家も私の存在を認めざるを得なくなるだろう。



(緊張でどうにかなりそうだったけど、これで貴族の戸籍を得ることも、ルーゴから独立することも選べるわ)



 選択肢が増えれば成功率が上がるのだ。


 リェイダ男爵家として新たに家門を建てることすら夢ではなくなる。

 王太后殿下の後ろ盾があるならば異論もないだろう。


 これでフェリシアとしてこれまでは考えられなかった人生を、エリアナとして有るべきだった未来に向かうことができる。



(私は自由に動けるようになる)



 王太后様とレオンのおかげだ。



(持つべきものは権力、ね)



 全く、権力者というものは恐ろしい。

 不可能ですら可能にしてしまうんだから。



(レオンも、本当にすごい人だ)



 改めて彼のスペックの高さに圧倒されてしまう。

 王室の外戚で最高位の貴族。

 有り余る富と地位。

 そして本人の底知れぬ才能。



(エリアナならまだしも、フェリシアでは言葉を交わすことすら許されない身分差があるのに……)



 驚くべきことにフェリシアは婚約をしているのだ。

 レオンが結婚するのならば王族や上級貴族こそが相応しいというのに。


 ルーゴ伯爵家の実施ではあるけれど私生児のフェリシアは不釣り合いだ。

 婚約を知らされてからずっと頭から離れなかった不穏な感情が身体の中で大きくなる。



(レオンみたいな人がフェリシアを選んだ理由)


 

 考えれば考えるほどに、一つの答えにしか辿りつかない。



(やっぱりあれしかない……)


 

 マンティーノス。

 

 ウェステ伯爵家が治める領。

 ヨレンテの盟約により、血族しか手にすることができない肥沃な土地。


 カディス中の羨望の的でもあるマンティーノスを合法的に相続する権利を持つ者は、半年前、エリアナが健在だった頃でも二人。

 たった二人だけだ。


 当主エリアナと叔母フェリシア。


 エリアナはすでに婚約を済ませていた。

 だとすれば、庶子ではあるがフェリシアしかいない。フェリシアを手中にしておけば、将来につなぐことが出来る。



(貴族がする結婚なんて政略的なものしかない。そんなことわかってる)



 でも。

 胸が軋むのはどういうことだろう。



(少し、期待してたのかな……)



 レオンと私の間にある友情が恋情になるかもしれない、と。


 惹かれてはいけない。

 私は復讐をしなくてはならないのだ。

 ダメだと分かっていたではないか。



(何考えてるんだろう。私)



 レオンはマンティーノスを取り戻すための駒だというのに。



(しっかりしないと。流されちゃいけない)



 私がここにいる意味はマンティーノスとウェステ伯爵位を取り返すことなのだ。



「フェリシア、聞いてる?」



 向かい側に座ったレオンが肩をつつく。



「あ! ごめん。考え事してた」



 現実に戻され、慌てて気持ちを切り替える。

 そうだ。レオンと二人っきりの馬車の中だったのだ。



「疲れたよね。さっきは頑張ってたからね。おめでとう。男爵?」

「ふふ。ありがとう。レオン。上手くいったのはあなたのおかげよ」

「役に立つ男だっただろ?」

「ものすごくね」



 レオンは破顔する。



「ただね。フィリィ。殿下は社交を引退なさったお方だ。あまり公の場にはお出でにならない。ってことはさ、殿下がフィリィの後見人であることを周囲には知られないってことだよね。それじゃ意味がないと思わない?」


「言われてみればそうね」



 公に出られて王太后殿下が直接私を目にかけていると仰って下さるのが最も効果的だが……。

 引退し、長く社交界を離れていたお方だ。

 どうするものか……。



 「僕に考えがあるんだ」とレオンは腰を曲げ左頬を向ける。



(これって!)


 キスの催促!



「……もう」


 私はレオンの頬に顔を寄せ、軽く口付けた。

 レオンには大きな借りができたとはいえスキンシップが多すぎじゃないか?



(こんなことするからさ、変な期待しちゃうじゃない)



 勘弁してくれないかな。

 心乱さないで欲しい。



「来週の舞踏会はきみのデビュタントだ。一生に一度の大舞台だからね。大切な婚約者に贈り物を用意しとくよ。楽しみにしてて」



 とレオンは言っていたものの。



 舞踏会に特大のサプライズが待ち構えているとは。

 この時は知る由もなかった。

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