第23話 汝、名を名乗れ。

 当日。

 皇太后殿下から指定された時間に私とレオンは夏離宮に到着し、王太后付きの侍従により母家から離れた庭園の東屋あずまやに通された。


 離宮の一室ではなく東屋で、というところは意外だ。


 侍従曰く「王太后殿下のご希望でございます」ということだが、王太后側からすれば『あくまでも私的』だということを示しておきたいのだろう。



(公式の記録には残したくないのでしょうね)



 無理矢理レオンにねじ込んでもらった会合だ。

 どこの馬の骨ともわからない人間と関係を取り沙汰されるのを避けたい王太后側の気持ちもわからないでもない。



「僕は外で良かったよ。風が涼しくて気持ちがいいからね」



 レオンは暢気のんきに言う。

 確かに春と夏、季節の狭間のこの時季は室外の方が過ごしやすい。

 心地の良い風と柔らかい日差しが注ぎとても快適だ。



「それにね、フィリィも気が安まるだろう? 昨日もほとんどご飯食べれてなかったようだし、僕はきみの体が心配だよ」


「……気遣ってくれてありがとう」



 私はそっと鳩尾みぞおちをさする。


 会合の予定を告げられて二日。

 私は重圧と緊張のためにあまり食事が喉を通らなかった。



(だって人生がかかっているんですもの……)



 エリアナ時代にはウェステ伯爵という地位もあり、折々で王族の方と顔を合わせることもあった。

 その時は社交の場で挨拶を申し上げる程度だったのでどうってことはなかったのだが、今回は違う。

 

 自分の願いを聞き入れてもらわねばならないのだ。


 王太后殿下ほど身分の高い方との請願のための個別面会は前世を含めても初めてだ。



(でも成功させるしかない)



 社交界……否、カディスでの後ろ盾を得なければ、私は念願を遂げるどころか一人の人間としても生きていくことはできないのだ。



(大丈夫。大丈夫よ。できるわ)



 私には切り札がある。

 お祖母様と縁のある王太后殿下だ。彼女の心を揺さぶることができたなら、きっと成功するはずだ。



「それよりもさ。ずっと言いたかったんだけど、今日のフィリィは一段と綺麗だね。ドレスも髪型もとても似合っているよ」



 レオンは右手を伸ばしそっと頬を撫ぜる。

 政略的な婚約者なのに、心揺らぐくらいに優しい。そして、いつもと変わらず罪深い。


 でも。

 おかげで少し気が楽になった。

 私は得意気に胸を張る。



「でしょう? 実はね、ちょっと自信があるの」



 今日はいつものシンプルなデイドレスではなく、白地にアイスブルーのパイピングが施された夏らしいデイドレスを選んだ。

 髪も緩めに編み上げ、淡い青のデルフィウムの生花を飾り、アクセサリーはレオンからプレゼントされた小さな真珠のペンダント。

 清楚で可憐。

 そんなイメージだ。


 そう。

 あえてこのコーディネートを選んだのだ。



(お母様のお気に入りのスタイルだもの)



 全て記憶の中の母をトレースした姿なのだから。


 フェリシアの外見は亡くなった前ウェステ女伯爵セナイダ・ヨレンテとそっくりだ。

 二人は娘の私でも見分けがつかないほどに似ている。



(お祖母様と王太后殿下は親友だった。この姿が殿下の心に刺さってくれれば、いいんだけど)



 使えるものは使っていく。

 お母様もフェリシアも許してくれるだろう。

 あとはただ逆鱗に触れることがないように祈るだけだ。



「お待たせいたしました。王太后殿下がおいでになられました」



 王太后付きの侍従の先告げとともに、数人の侍女を引き連れた高齢の女性が現れた。


 王太后カミッラ様。

 七十の坂を越えているにもかかわらず矍鑠かくしゃくとした姿は、社交の第一線は退いたとは思えないほど若々しい。

 ただ右手に杖があることだけが実際の年齢を示していた。


 私はお辞儀をし、王族専用の口上を述べる。



「王国の母にして王太后殿下、ごきげん麗しく……」


「あぁ。挨拶はいらない。今日は私事だから」とカミッラ様は遮ると、侍従の手を借り席についた。


 カミッラ様の表情は……ない。

 嬉しいのか不快なのか。全く読めなかった。



(さすがだわ)



 現王の母だけある。

 私はたった一言に気圧されてしまう。


 カミッラ様はこちらを気にかけることなく侍女にお茶を淹れるように指示し、



「レオン・マッサーナ。お前が姪孫てっそんだから今回は許したけれどやりすぎよ。もっと王室に敬意を持ちなさい」


「申し訳ございません。大伯母様」



 レオンは頭をかいた。

 私とは違って全く緊張していない様子だ。



(というよりも、姪孫に大伯母様??って、レオンとカミッラ様は親戚だったのね)



 納得だ。

 サグント侯爵家が王家の外戚なのは周知の事実。

 レオンは家門の力を使ってもそれでも困難であっただろう王太后殿下への面談を取り次いでくれたのだ。



(私の婚約者は本当に有能な人ね)



 ありがたいことだ。


 会話が途切れたのを見計らって侍女が茶碗とケーキをテーブルに並べる。

 侍女が離れるのを待ちカミッラ様は茶とケーキを私たちに勧めると口火を切った。



「だけどねレオン、お前が儀礼を無視してでも強行したのは、それ程までにこのお嬢さんを私と会わせたかったということなのでしょう」


「その通りです。大伯母様。僕の大切な婚約者の望みですからね。無茶も無礼もしますよ」



 レオンの言葉にカミッラ様のこめかみだけびくりと動く。

 私は唾を飲み込み、震える下腹に力を込めた。



「お目にかかれて光栄でございます。殿下。リェイダ男爵フェリシア・セラノと申します」

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