第21話 きみは誰?

「自分の境遇は知っているよね? とても古語の教育を与えられるほどに恵まれていなかったってこと」



 フェリシアはルーゴ伯爵家の恥晒し。貴族の戸籍さえ与えられない私生児だ。

 本来ならばうち捨てられるはずなのが、伯爵夫人が生母であるために(そして成長後に利用するために)生きていくには困らない程度の教育をつけてもらってはいた……らしい。


 読み書きとほんの少しの数学。

 貴族女性としての必須である裁縫(刺繍)とリュート演奏。



(しまった。……迂闊うかつだったわ)



 古語は上流階級男性と一部の女性の教養。

 貴族階級でも大抵の女性は教育を受けない。

 王女や上位貴族の令嬢、そして爵位を継ぐ跡取り娘だけだ。

 当然、フェリシアは身に付けていない。


 私は髪を掻き上げ、いつものフェリシアを作る。



「……もちろんよ。事故の後、私がどういう生活をしていたかビカリオ夫人やレオンが教えてくれたじゃない」


「そうだね。知っての通り今までのきみの生涯はね、ひどいものだった。不憫に思って僕やビカリオ夫人は手助けをしていたんだけど」



 そこまで言うとレオンは言葉を止め、座席の下から籐籠とうかごを引き出すと、中から透明の液体の入ったガラスのびんと木製の器を取り出した。


 揺れる車内で何事もないようにコルク栓を抜き中身を器に注ぐ。



「レモン水だよ。どうぞ」とレオンは私に差し出し、自らも口に含んだ。


「僕たちはきみの教育には関与できなかった」



 私は視線をそらし器に口をつけた。

 冷やされたレモン水はゆっくりと喉を通り胃に落ちる。

 爽やかな柑橘の香りに気持ちが鎮まっていく。



「それが何か問題でも?」


「大問題だよ。きみが受けた教育は必要最低限のレベルだ。伯爵家には相応しくない、あくまでも平民や下級貴族の女性が日々困らない程度でね」



 必要最低限の教養しかない貴族の庶子の、特に女性の選択肢は少ない。

 どこかの富豪や貴族の後妻にでもなれたら良い方で妾として買われる女性も多くいる。



「きみが不幸になるのを見過ごすわけにはいかなかったから、伯爵にも申し出たけど他家の人間が口を出すなと断られてね」


「そう……なのね。思い出せないわ。……以前の私は勉学が得意ではなかったの?」


「うん。苦手だったね。むしろ毛嫌いしていたよ。将来を考えて古語も数学も僕がどんなに勧めても頑として受け入れなかった」



 そういえばフェリシアの書棚にあったのは恋愛小説ラブロマンスばかりだったっけ。



「ごめんなさい。思ってくれていたのに無碍にして……」


「一般的な女性はそんなもんさ。女性には学問は求められていないからね。フェリシアも穏やかで、優しく……弱い人だった」



 穏やかで優しくそして弱く庇護されるべき存在。

 私とは正反対だ。


 私は実の家族に復讐を望んでいる。いかに残忍な手段をとってでも、私を虐げた人々の死を望んでいる。

 あの御方に請い願って、もう一度人生を望むほどに。



「でもきみは事故に遭ってから性格も考え方も変わったよね。今まで興味のなかったものにも意欲を見せるようになってきたし。例えば政治とか」


「マンティーノスとかね」とレオンは見透かすようにこちらを伺う。


「え、そうかな……」



 曖昧に相槌を打った。


 ウェステ伯爵領マンティーノスはフェリシアと、エリアナのルーツだ。

 けれどフェリシアは祖父と亡き伯爵夫人の不義の子。

 自らの不幸の根源を恨みこそすれ、望むことはなかっただろう。



(ウェステ伯爵のこと教えて欲しいなんて、レオンからしてみれば違和感しかなかったのね)



 自分の軽率さに腹が立つ。



「事故に遭うまでは全く関心がなかったからね。頭を打ったせいかなと考えていたけれど……。どうやらそれも違うんじゃないかなって感じてる。無教養なフェリシアが死の淵から蘇って、古語まで読めるようになっているとは思わないだろ?」



 古語は現在使われている言語とは構文も単語も異なる。

 外国語を学ぶのと同じだ。何年もかけてようやく習得できるのだ。1日やそこらで何とかできるものではない。



(私は伯爵としての教育を受けてたからね……)



 エリアナの記憶が裏目に出たようだ。


 それにしても。

 この奥歯に物が詰まったようなやりとり。

 まどろっこすぎる……。

 私は意を決し、



「レオン。聞きたいことは他にあるんでしょ?」



 両眉を上げレオンは身を乗り出した。

 「フィリィ」と愛称で呼び私の頭を引き寄せると左の頬に口付ける。そのままゆっくりと唇を耳元まで移動させ、



「きみ、本当にフェリシアなの?」



 冷たく重い声で言った。

 威圧感で胃がぎりぎりと痛む。



「……意味がわからないわ。フェリシア以外に誰だと思うの? 私はフェリシアよ」


「そう。器はフェリシアだ。でも中身は違う。僕には別人のように思えるんだが」



 別人だ。

 でも、今はダメだ。明かすわけにはいかない。



(もっとお互いが信用できるようになるまで、言えない)



「気でも違ったの? レオン」

「認めないのか?」

「そんな非科学的なことありえないでしょ」



 殺されたエリアナ・ヨレンテが唯一残されたヨレンテの血統である叔母の体に乗り移ったとか、常識で測れば狂人の戯言たわごとだ。


 レオンは突然笑い声を上げた。



「そうだね。科学的ではないな。……いいよ。きみが言う気になるまで待つさ。時間はたっぷりあるからね」


「その時はレオン、あなたが私と婚約した本当の目的も教えてくれる?」



 一瞬。レオンのヘーゼルの瞳が鋭く光る。が、すぐに元の柔らかな眼差しに戻った。



「いいよ。きみは僕の最愛の人だからね」といつもの調子で私の顔を寄せて優しく額にキスをしたのだった。

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