第3話 知らないのは私だけでした。

 ひどい目眩が襲う。



「え……」



 とても立っていられず、私は二、三歩よたよたと進むと長卓にぶつかりながら倒れ込んだ。

 カテラリーが派手な音を立てて地面に落ちる。



「ご主人様!!」



 召使いたちが悲鳴をあげた。

 何人かが駆け寄ってくる。


 私は地面に伏したまま全身をつらぬく激痛に身動きすら取れなかった。

 指の一つも動かせず、どういうわけか声も出ない。必死に声を出そうとしても、かすれたうめき声が漏れるだけだ。



「エリアナ様!! お気を確かにお持ちくださいませ!!」



 侍女が私に声をかけながら、抱き抱え身を起こす。

 口元から泡があふれ自分の意思とは無関係に体が小刻みに揺れる。

 侍女は慌てて私の頬についた砂を払い口元を拭った。



「すぐに、すぐに医者が参りますから! ご主人様!」



(ほんと馬鹿だったわ。もっと警戒すべきだったのよ。全くなんてヘマをしてしまったの)



 喉を焼く痛みと全身の硬直。

 毒が盛られていたのだとすぐに気がついた。



(今思えばあのワインに仕込まれていたんだわ。いつもとは違う味がしたものね)



 日照時間に恵まれた自領で育つぶどうで作るワインは、まろやかで甘いのが特徴だ。

 けれど、この日、最後に口にしたものはかすかに雑味を感じた。

 ほんの少し、飲み慣れていないと気付かないほど。わずかに。



(飲んだ量にしては効き目が強すぎたから、裏社会で違法に作られたものかもしれないわね)



 さぞ高額だっただろうに。おそらく庶民の家が二、三軒建つ程度はしたのではないか。

 そこまでして私を殺したかったということだ。


 では誰が毒を盛ったのか?

 明らかだった。



(最後に私にワインを注いだのは……)



 婚約者のホアキン。

 ホアキン・ペニャフィエル。


 彼しかいない。

 冷静であればすぐに理解できたというのに。



(惑わされていたのね。私、愛情に飢えていたから)



 あの時の私は疑いもしなかった。

 慈しんでくれた婚約者が、私を愛してくれているはずの婚約者が、毒を盛るなどあり得ない……と思い込んでいたのだ。


 人の根本は善なるものだ。

 例え政略的な婚約であったとしても婚約して二年。甘い顔で愛を囁くホアキンがそんなことをするはずがないではないか、と。



(でもホアキンは裏切っていた)



 私は口元を歪める。



(ううん。最初から謀っていたんだわ。私が気づかなかっただけ。なんて愚かだったのかしら)



 薄れゆく意識の中で見たものは、取り乱すふりをしたルアーナとそれを慰める婚約者の姿だった。

 ホアキンが握ったのは死にゆく婚約者わたしの手ではなく、美しい異母妹ルアーナだったのだ。


 宝物にでも触れるかのように優しく抱きしめたのは、ルアーナ・オヴィリオだったのだ!!


 ……ひどい苛立ちと怒り。

 最悪な感情を最期に感じながら私はその生涯を閉じた。



(あの様子からすると二人はずっと前から通じ合っていたのね)



 貴族の令息のホアキンとルアーナの仲を父や継母が知らないはずはない。

 私だけが知らされていなかったのだろう。



 とどのつまりは家族全員から騙されていたのだ。



 私にとっては希望だったホアキン。

 一心に私のことを愛してくれていると信じてやまなかった。



(ばかね。異母妹ルアーナと愛し合っていたというのに)



 一体いつから?

 いつから私は謀れていたのだ?


 ホアキンと初めて出会ったのは私が14歳の時。

 母が亡くなった翌年、父と継母の結婚披露の日だ。その時、一つ年下の異母妹ルアーナもいた。



(もしかして)



 二人はこの時から惹かれあっていたのかもしれない。

 ということは、私は事情も何も知らずに父の勧めるままに婚約したのだ。


 父も継母もルアーナとホアキンの関係を容認し(当然、屋敷の使用人たちにも周知の事実だったということだ!)恥知らずにも正当な後継者にてがったのだ。



(悔しい……)



 何という屈辱か。


 全ては計画されていた。

 私の暗殺事件も、父の承認のもとに行われたのだ。


 だって心から信頼していた父は侍女に抱き抱えられた私には目もくれず、ルアーナとホアキンに駆け寄ったではないか。



(騙された。私はお父様にも、はめられたのね)



 愛情はあると信じていた。

 実の親子の間に、未来の配偶者との間に、確かにあると信じていた。



 全ては幻想だった。



(そう思っていたのは私だけだったのね)



 前妻の娘、そしてこの家の財産を相続する権利を持つ唯一の娘である私は、婿のために財産を相続する権利のない父や部外者である継母にとっては邪魔でしかない存在……だったのだろう。


 このマンティーノスはカディスで最も恵まれた領。

 何もせずとも富は集まってくるのだ。


 私を廃したい理由にこれ以上のものがあるだろうか。



(許せない)



 自らの野望のために、自らの血を分けた娘の命さえも利用するなんて。

 報復を受けるべきだ。

 否、厳しく罰せられるべきだ。



(私の全てを奪い去った者たちを許すことはできないわ)



 可能性があるのならば、何でも利用してやる。

 私はこの思いを遂げなければならない。






「エリアナ・ヨレンテ。お前は我に何を望む?」



 私は顔をあげ、真っ直ぐに影の主を見つめた。



「私の望みは……もう一度、あの世界に戻ること。奪われたものを私の手に取り戻しとうございます」



 そして、あの人たちに復讐をしたい。


 私を殺した人たちを私と同じ目に合わせてやりたい。

 全てを容赦なく奪い取られた後に、泥の中に顔を埋め直後に迎えるであろう悲惨な結末に震えるがいい。



(……なんて下品なんだろう。人の業とは思えないわ)



 思わず息がもれる。

 清く正しかったかつての私であるならば、絶対にこの感情は認めないだろう。気分が悪くなるほどに、とても醜い感情であると思う。


 でも。

 それでも……許せない。


 父、継母、ルアーナ。

 そしてホアキン。

 絶望の淵に叩き落としてやりたい。



「それはお前が真に望むものか?」



 陽を背にした男性は低く静かな声で訊いた。


 それでいいのかと心の奥底で声がする。醜い思いを認めるなと、良心が囁く。

 けれど私は声を断ち切るように首を振り小さく頷いた。



「左様でございます」

「……エリアナ・ヨレンテ。お前の望み聞き届けたり」



 影の主は両手を掲げると同時に背後の光がさらに輝きを増す。



「行け。望み通り新しい人生を歩め。我が愛し子よ、お前の願いを叶えるといい」



 光が膨張し全てを包みこむ。やがて私は光の中に溶けていった。




 そうして私は再びこの世界カディスに戻ってきた。

 エリアナ・ヨレンテではなく、フェリシア・セラノとして。

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