第7話 少年とお話しましょう
結局、私は少年のくれたそのパンをぺろりと完食してしまった。
美味しかったかと聞かれたら全力で首を横に振ることになるが、それでもお腹を満たすには充分なものだった。
「助かったわ、ありがとう。丸1日以上なにも食べていなかったから」
「そ、そうだったんですかっ? いったいどうして……」
少年に私の事情を説明すると、彼は「なんてヒドい……」と心底から同情してくれた。
この家の使用人たちは私が苦しんでいても見て見ぬふりが基本だっただけに、とても新鮮な反応だ。
「シャルロットお嬢様、もしよろしければ夜もまたお越しください。先ほどのパンでもよければ、僕は朝と夜にもらえるのでお分けできますよ」
「本当にっ? それはありがたいわ!」
パン半分ではきっと物足りなくはあるだろうが、しかし食べると食べないでは大違いだ。
と、反射的に喜んでしまったが、そこで大変なことに気が付いてしまう。
「……あの、さっきもらったパンって今日の朝に君が食べるはずだったパンなんじゃ……」
「えっと、その……はい」
なんてことだ。その返事を聞いてがく然としてしまう。
私は少年の労働の対価の1つであるはずのパンを、私自身がなにをしてあげた訳でもないのに1人ですべて食べてしまったのだ。
「ご、ごめんなさい! 知らなかったとはいえ、君のご飯を……」
「い、いえ! いいんです、僕の分なんて……!」
「いいはずないわよ! 君の働きの対価なんでしょっ? それは大切なものよ!」
私の言葉に少年はたじろいだが、それでもコクリとひとつ頷いた。
「分かってくれればいいの。じゃあ、私からなにかご飯に見合うお返しをしなきゃね……。なにか私にして欲しいことはある?」
「そ、そんな! 恐れ多いです……」少年はまた縮こまる。
「なんで? 正当な対価は必要よ?」
「ぼ、僕が償いとしてあげたものなんです。それに対してお返しなんて……」
「だから償いなんて要らないって言ったじゃない。だからどうか望みを教えて?」
「え、えぇ……? え、えーっと……」
私の言葉に、少年は腕を組んで考え込むようにすると、
「それでは……僕に読み書きを教えてはいただけないでしょうか」
「読み書き? いいわよ! 分かりやすく教えてあげるわ!」
「はい! ありがとうございます!」
少年は心底から嬉しそうな笑顔を作って私に向ける。
そんな裏表の無さそうな表情を見たのはとても久しぶりな気がして、心が洗われる気分だ。
「ところで君の名前を教えてもらってもいいかしら。いつまでも『君』じゃ味気ないし」
「あっ、はい! 僕の名前はグリムと言います。グリム・ランダです」
「ありがとう。グリム……グリムくんね」
前世の記憶があるとグリム童話を思い出してちょっと複雑ではあるが、語感としては大変よろしい。覚えやすくて呼びやすい、とてもいい名前だと思った。
「ところで、グリムくんはどうして読み書きができるようになりたいと思ったの? もしかしてこの家の外で働きたいとか?」
「い、いえ! そうではないです!」
グリムは慌てたようにして否定すると、
「この前、焼却場の前で偶然拾った本を読みたいと思っていまして」
「本?」
「はい。この本です」
グリムは少し離れた場所に置いてあった本を取り寄せて私に見せた。
「――はへ?」
しかし、私にはその本よりも目を奪われたものがあった。
グリムは、本を取り寄せたのだ。
それも、自分はその場から動くことなく。
まるで本が勝手にグリムの手に吸い寄せられるようにしてやってきた。
「そ、そ、それは……?」
「えっと……? 本ですが……」
「そうじゃなくてっ!」
違う違う! ぜんぜん伝わってない!
「いま! グリムくんが! 本を! 取り寄せた! その! 【魔術】みたいなやつ!」
これまで魔術とは貴族しか使えないものだと思い込んでいた。
なぜなら私が一家から迫害された理由が貴族の特権である魔術の属性適性が無く、魔術が使えないと断じられたことだったからだ。
なのに、グリムはいま目の前でまるで魔術のような力を使っていた。
――なんで? どうして?
勢いよくグリムへと詰め寄ってしまって彼の顔が引きつっているが、いまはそんなことどうでもいい。一飯の恩を忘れて胸ぐらを掴み上げそうになるほどに、いまの現象がなにかを知りたくて仕方がなかった。
「え、えっとこれは、ただの【無属性魔術】ですが……」
「ただの……? 【無属性魔術】……?」
オウム返しした私にグリムはコクリと頷く。
「はい。貴族の方々のように魔術属性を持たずとも、普通の人間なら誰でも使えるただの魔術です」
「え、うそ……。貴族以外でも魔術って使えるの?」
「えっと、はい。火や水などの属性付きのものはもちろん血筋が無いと使えませんが……」
「でも普通の魔術は使えるの?」
「は、はい……」
「私でも使えるの?」
「はい」
その答えを訊くと、私は背中を反らして用具入れの天井を仰ぎ、そして息をたっぷりと吸い込んで、
「――魔術、使えるんじゃなーーーいッ!!!」
とそう叫んだのだった。
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