第52話 お風呂

「なるほど……。お腹ぐうぐうおだんご大作戦中、お二人を【塁壁】でお守りすればよいのですね。そうすれば神器を譲ってもらえるよう協力してくれると」


 満天の星空のもと、木製のフェンスを隔てた向こう側から、エルナの声が聞こえてくる。


 それにしても温泉なんていつぶりだろう。


 まだずっと小さかったころに、母親について女湯に入った記憶がある。お


 ばちゃんばかりでがっかりした記憶だ。


 ちょうどよい温度で体を包み込むとろとろのお湯が、体を芯から温めてくれる。


 時折吹く涼しい風が心地よい。


 ああ極楽極楽。


「その通りだ。どうだ、引き受けられそうか? もちろん無理ならそれでいいからな」


 フェンスの向こうにいるはずのエルナに呼びかける。


「わかりました。やってみましょう。そのかわり、作戦の指揮はサトにお任せしてもよろしいでしょうか?」


「結構重大だな……」


 指揮とはかなりの重大任務じゃないか。


 作戦の指揮なんて、ゲームの中でしかやったことがない。


 まあ、エルナに負担をかける分、俺が何かを引き受けなければならないのは当たり前か。


 だが、救世主ならまだしも、回収者の言うことなんか聞いてもらえるのだろうか。


「サト、神器」


 頭をフル回転させてのぼせそうになりながら悩んでいると、向こう側からメアの声が聞こえてきた。


 それを言われては引き受けるしかない。


「んあー! わかった! 俺が指揮するよ」


「「やったー」」


 大喜びする双子姉妹の声。


「ですが、お二人はどうして着いて来たいなんて思ったのでしょうか?」


 確かに、自ら危険の中に身を投じようとするなんて、相当な理由があるのだろう。


「見てみたいの」


「本物の魔族」


「それだけ!?」


 思わず頓狂な声が出てしまった。


「なにか悪いの」


「いや、悪くない。すまない」


 フェンスの向こうから、ただならぬ殺気を感じた。俺は少女に気圧されてしまったようだ。


「魔族なら目の前にいますよ。実は私、悪魔なんです」


 そうか、二人はまだ知らないんだった。エルナが魔族だってこと。


「ほんとに?」


 ややあって、ミア問いかける。


「ええ、本当です。私のこと、嫌いになっちゃいましたか?」


「いいや、大好き」


 ミアが何の躊躇いもなく答える。


「私もエルナ大好き」


 メアもそれに続く。


「ふふふ、良かったです。魔族も、悪い方ばかりではないんですよ。ただ育った環境が違うだけなんです。ただ、人族を知らないだけなんです。私は人族と魔族には仲良くなってほしいんです」


「マリナも同じこと言ってた。だから私たちも魔族のこと見たいって思った」


 向こう側から、メアの声が聞こえてくる。


「それじゃあ、あとはマリナさんに許可をもらうだけね!」


「そうですね、マリナには明日私からお話しておこうと思います」


「にしてもエルナって着やせするタイプなのね。いつにも増して大きいわ……」


「やっ! いきなり触らないでくださいよ。びっくりしちゃいました」


「うーん。程よい弾力と柔らかさね。ここに住もうかしら。お家賃はいくら?」


「すっ、住めません!」


 エルナの震えた声が聞こえてくる。


「私もエルナみたいになりたい」


「どうやったらなれる?」


「好き嫌いをしないでたくさん食べることですね」


「そしたらおっきくなる?」


「おだんごみたいなおむねになる?」


「メアさん、ミアさんまで……。そんなに触っても何も出ませんってばあ!」


「それじゃあ、三人でシェアハウスしない? メアちゃんが右で、ミアちゃんが左、そしてあたしがこの真ん中」


「だから、だから住めませんってばあ! 恥ずかしいのでやめてくださいっ」


 覗きたい。


 フェンスの隙間から、あるいはフェンスを乗り越えて、どうにかして向こうの様子を目に収めたい。


 理性よ、俺を押さえつけないでくれ。お前がどいてくれれば、俺は行ける。


「はははは、あちらは随分と賑やかですねえ。私たちも負けてられません」


「うわあ! びっくりしたー! どっから出てきたんですか、ちょっと怖いですよユヅキさん」


 いつの間にやら気配を消して入ってきたらしいユヅキが、にやりと笑っていきなり奇妙なことを言い始めた。


「驚かせてしまいましたか、かたじけない」


「いえ、あっちの会話に夢中になって気がつかなかったのは俺です」


「ありがとうございました。マリナ様の依頼を引き受けていただいて」


 いつものように真剣な面持ちに戻ったユヅキが、まっすぐに俺を見て言う。


「えっ、あ、こちらこそこんなに立派な宿泊場所を提供していただいてありがとうございます」


「マリナ様はいつも仰っていました。人族と魔族が手を取り合って共存する世界を夢見ていると。しかし、この世界で育った人族の多くは、そんな考えを理解できません。ほとんどの人族にとって魔族は仇敵きゅうてき。すべからく滅ぶべき存在。小さな頃から、そう教わって育つのです」


 そこまで言うと、ユヅキは濁ったお湯を両手ですくって顔を洗った。


「救世主リョータロー・ソーマ様亡き後、小規模な我が国の軍だけでは兵力が足りず、様々な方に魔王軍撃退の助力を依頼してきました。しかし皆様、マリナ様の意思に反して多くの魔族を死傷させてしまったのです。マリナ様は長い間頭を抱えておられました。年々、弱音をお吐きになる回数が増えていきました」


「そんなことが……」


「メア様とミア様からエルナ様のお話を聞いたとき、マリナ様の瞳は以前の輝きを取り戻しました。長年再会を果たしたいと願っていた相手が見つかったことに歓喜すると同時に、かつて約束を交わしたエルナ様なら、エルナ様とパーティを組んでいるお二人なら、人魔共存に対する理解もあるのではないかとお考えになったのです」


 たいていの転移者は、ゲームなんかでのイメージはあれど、転異時点で実際の魔族に関しては殆ど先入観を持っていない。


 どの転移者も、この世界で生活を送るうちに周囲の人々に感化されて、魔族=悪、ゆえに滅ぶべき。という等式を成立させてしまう。


 だから、どのパーティにも入れてもらえず、唯一パーティメンバーになってくれたのが魔族のエルナであった俺は、この世界では珍しい、魔族に対して厭忌の情を持たない人族なのだ。


 転移してきてからずっとダンジョンに引きこもっていたマヤも同じだ。


 ここでようやく、数多いる凄腕冒険者の中でなぜ俺たちなのかという疑問が解決できた気がする。


 いくら実力があっても、人魔共存への理解が皆無ではいけないようだ。


「すみません、長々と話しすぎてしまったようですね」


「いえ、ずっと気になっていたことが分かったような気が……する……ます……」


 長い間温泉に浸かっていたからだろうか。


 なんだか頭がぼうっとしてきた。


 視界がぼやけて、平衡感覚がなくなっていく。


 早く上がらないと溺れてしまう。だけど体をうまく動かせない。


「サ……さん! だ……じょ……すか!?」

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