二番目男の祝福

澁澤 初飴

1 色男と魔女

 俺の渾名は色男。最近はもっぱらこの呼び方だ。もちろん本当に顔がいいとか男気があるとか、そんなことは一切ない。

 俺の本名は渋澤有栖しぶさわありす、以前はからかい混じりにアリスちゃんと呼ばれることが多かったのだが。

 復帰するなり、上司に嫌味混じりに名付けられ、そのまま左遷を言い渡された。

 それは仕方ない。そもそもひと月も休んだのも自業自得だ。ヤクザの情婦に刺されたのだ。

 ガサ入れの話は聞いていたが、ほぼ無関係のはずだった。が、住所が彼女の家だった。そのことに気付いた俺は、聞き込みという名目で飛び出すと彼女の家に向かった。

 今考えたら思い当たる節は死ぬ程あった。恋は盲目だ。ひと月、いやひと月と十日前の俺をぶん殴って教えたい。

 飛び込んだ彼女の家には男がいて、しかもあられもない場面で、それなのに男はすぐにそれと察して、彼女の家に置いてあった子供のおもちゃをカバンにしまいはじめた。ああいうものに良くないものを隠すからタチが悪いのだ。子供まで巻き込むんじゃない。娘がまだ学校から帰ってなくて良かった。男の背の彫り物は仏様の柄で、何のご利益かと思いながら俺は後先考えず男に飛びかかった。

 俺は身長はある方だが、残念ながら重さがない。それでも刑事までなったんだから何とかなるかと思ったが、相手も腕一本で世を渡ってきたのだ。俺はあえなく吹っ飛ばされ、それでも意地で再び組み付いた。

 誰かが俺を見ていて追いかけてきたのだろう。揉み合ううちにパトカーのサイレンが聞こえ、そりゃもう何台分と聞こえ、とにかくしがみついてさえいれば警察がくると思っていたら、刺された。

 刺したのは女だった。俺は目を疑った。

 それでもなおしがみついていたら男に引きずり出され、パトカー、警察、地域の皆さんの前でヤクザに包丁を突きつけられた。知り合いの顔はより鮮明に見えた。地獄だ。

 俺にとって幸いだったのは、拡声器と男が怒鳴り合ううちに出血のお陰で気が遠くなったことだ。おそらくそこで失神し、人質の役目も果たせなくなったのだろう。後で聞いた所によると、男と彼女はその場で逮捕されてガサ入れは無事前倒しで完了した。

 刺された背中は幸い死ぬ程のことはなく、死にたくなったのは始末書、顛末書の山を母に代筆してもらった時だ。彼女との出会いからデートの日付や内容、その他ただでさえ親には言いにくいあんなこんなを口述して、母が泣きながら書き記す。情けなさと恥ずかしさでお互い言葉も交わせなかった。母親とはそんなに不仲でもなかったが、もう死ぬまで会いたくない。

 そんな母は付き添いの間中こんなこと誰にも言えやしないと嘆きながら一族郎党に何故言えやしないかの理由を詳らかにし、父は怒って見舞いにも来ず、姉は息子の授業参観とがんばったご褒美の遊園地を優先した。父は結局電話をくれたが、姉は結局それだけの理由を盾にひと月何もなかった。親類は顛末書のコピーを渡そうかと思うくらい色々な人が暇潰しに来て参った。こんなに親類がいたのか。

 ともかくそんな入院期間を経、ようやく復帰してこの渾名になったのである。

 でもこことももうお別れだ。左遷だ。

 俺が新たに配属されたのは地域課。ここまではいい。しかし廊下ですれ違っても今までの仲間はもう挨拶もしてくれない。何しろ俺は魔女係になってしまった。

 魔女係が残っているところは少ない。百年前はこの国にもいくつかあったそうだが、今はここだけだ。

 魔女なんかの何を担当するのか。要は魔女が世間に迷惑をかけないよう監視し、行動を報告し、問題があれば対応する。魔女なんて今更何をすると言うのか。飛行機が飛んでいるのだ、箒で飛びたいなら飛ばせればいいではないか。邪魔にならない程度に。

「その程度の仕事ってことだな」

 新しい上司が覇気のない声で話しかけてきた。定年まであと数年を魔女係にかける、要するに窓際に甘んじているおじさんだ。つまり魔女係はクビにできないおじさんと厄介者の片づけ先ということだ。

 やっと刑事になったのに。あからさまに肩を落とす俺の背中をばんばん叩いて、上司は笑った。

「まあ気楽にやろうや。俺は山田米男。よろしくな」

「よろしくお願いします。俺は渋澤」

「色男、武勇伝は聞いてるよ」

 人の噂は七十五日、先は長い。


 そもそもみんな勘違いしているのだが、俺は決して女に飢えている訳ではない。確かに彼女はいたりいなかったり、トータルではいない期間の方が多いけれど、だからと言って女なら誰でもいいなんて思ってやしない。むしろ他の男より目は厳しい方だ。

 何しろ俺には姉がいる。ふたつ年上というのがまた良くない。理不尽、乱暴、最悪の生き物だ。1時間以上洗面所を占拠して首の上の顔だの髪だのをいじくり回した挙句、弟がやむを得ず駆け込んだトイレに八つ当たりし、そのせいで失敗したと難癖をつけて蹴飛ばし、その足で扉を閉め、父に泣きついて小遣いをせしめる。失敗しているのは生まれつきだ。俺のせいではないし、だいたいあと何時間鏡とにらめっこしたってたいして変わりゃしないのだ。

 好きなものはぶん取り、嫌いなものや面倒ごとは弟に押し付ける。休日、町でとろけそうな顔で男の腕にぶら下がっているのを見た日にはぞっとした。姉なのに可愛らしい。では他の女子も家を出る前はあのざまなのか。当時俺の好きだった女子も弟がいた、ということはその子も家では。

 かように女というものは俺に心的外傷を与えながら、でも時折ひどくか弱く、守らなければいけないもののような顔をして現れる。儚げな女性を見ると気になってしまう。頼られると無理してしまう。

 ヤクザの情婦の彼女がそうだった。女手ひとつで娘を育て(ているとその時は思っていたのだ)、男勝りの人と思いきや、突然今にも折れそうに頼りなくなる。側にいてやらねばと思うじゃないか。

 俺を刺したとき彼女は言った。

「役立たず。あんなに良くしてやったのに」 

 背中の傷はだいたい塞がったが、こっちの傷はいつになったら癒えるのか。

「色男、荷物片付けたら魔女に挨拶に行くぞ」

「挨拶?顔見せていいんですか、監視って」

「うちの魔女はおとなしいからいいんだよ。色男の顔見せたら魔女の覚えもますます良くなるぜ」

 山田さんはひゃっひゃっと笑う。俺の傷は深まるばかりだ。


 魔女の棲家は、署から十五分のところにあった。

「意外と近所にいるんですね」

 住宅地の外れに一件だけ離れてぽつんと建った、小さな洋風の建物。店をやっているようだ。魔女の怪しい薬……ではなく、古本屋と喫茶店が合わさった店。

 山田さんが躊躇なくドアを開ける。カランカラン、と鐘が鳴って中から、

「いらっしゃい」

 意外なことに、男性の声がした。

「おう蓮ちゃん。魔女はいるかい?」

 本棚だらけの店内を抜けて山田さんが迷わずカウンターに座りながら、中の男性に呼びかけた。

「うちの新顔だ。色男だろ。武勇伝はおいおい聞かせてやるよ。なあ色男、座れ座れ」

「渋澤です。よろしくお願いします」

 これではただ喫茶店に来たみたいだ、と思いながら山田さんの隣に腰掛けると、男性がこちらこそよろしくお願いします、と微笑んだ。

 背の高い男性だ。年は山田さんと俺の間の山田さん寄りくらいか。白髪混じりで老けて見えるが、のっぺりした顔はそこまでの年ではなさそうだ。よく見るとがっしりしていそうだが、やや猫背気味なせいかあまり大きく見えない。穏やかそうで優しげな、何だかキリンみたいな人だ。

「渋澤さんもコーヒーでいいですか」

「この人はこの店の店主の雨野蓮太郎あまのれんたろうさんだ。うちの魔女を捕まえてる本物の色男だから、お前も参考にさせてもらいな」

「やめて下さいよ、山さん。変なこと言わないで下さい」

 サイフォンを手際良く用意しながら雨野さんが顔を赤くする。左手の薬指には指輪があった。魔女の旦那さんということか。ということは魔女って言ってもそんなにおばあちゃんではないのかな。

 手早くコーヒーを淹れ、雨野さんは奥に入った。

「色男、こういう訳だから今度ばかりは手を出せねえぞ」

「そんなに出してないですよ」

 それに女はもうたくさんだ。いい加減しつこい山田さんにぞんざいに答え、それから俺は声をひそめて尋ねた。

「あの、今更ですけど魔女って何ですか。何か俺気をつけた方がいいですか」

 山田さんはにやりとしてそうだなあ、と顎の肉をつまんだ。

「魔女は何かって聞かれりゃ、文字通り魔法を使う女だな。魔法がどんなものかまでは俺にはよくわからねえが、ランク特Aの魔女がその気になりゃひとりで戦争できるとか言うな。そんな魔女はもう世界に何人といねえらしいが、そのうちのひとりがここにおいでだってことだ」

 そんなの俺たち2人でどうするんだ。軍隊がいるじゃないか。

「まあでもうちの魔女はもうずっと家のセンサーにかかる程の魔法も使ってねえ。おとなしいもんだよ」

「魔法ってセンサーに反応するんですか」

「するよ、入口にあっただろう」

 俺が思わず振り返ると山田さんはおかしそうに笑った。入口の方をよく見たがよくわからない。からかわれているのかもしれない。

「だがうちの魔女の特Aで怖いとこはそこじゃねえ。まあ一目見りゃわかる」

 そこじゃねえところを聞いておきたいのだが。

 俺はコーヒーを口に含んだ。すっきりしていて、好きな味だ。

 奥で扉が開閉する音がして、雨野さんが戻ってきた。カップ越しに目を上げて、俺は思わずカップを落としかけた。

 魔女だ。

 とてつもなく綺麗な人だった。

 色の白い女性だ。肌も、腰まである長い髪も真っ白だ。魔女らしく真っ黒な服を着ているが、そのせいか余計肌が白く見えて、もうまるで磁器か何かのようだ。

 山田さんが俺の慌てぶりを見て大喜びする。

「無駄でもなー、挑戦したくなるよな」

「しませんってば!」

 思わず大声で言い返したが、魔女は涼しい顔でこちらを見もしない。

「魔女さん、こちらうちの新人の色男、渋澤です。これからこいつが担当しますのでよろしく。手が早いので気をつけて下さい。色男、この人が魔女の黒塚識くろづかしきさんだ。よーく面倒を見てもらえたら報告しろ」

 そんなことばっかり言っていい加減にしろよ。ひゃっひゃっと上機嫌の山田さんはもう無視することにして、俺は魔女に頭を下げ、渋澤です、と挨拶した。

 魔女も何か言ったが声が小さすぎて聞こえなかった。多分挨拶してくれたのだろう。聞こえなかったがきれいな声だと思った。

 雨野さんが何か言って、山田さんが何か言っている。魔女は会話には参加せず、静かに本を読んでいる。全然話もしないし、誰とも関わらない。本当に静かな人だった。それだけなのに、初めて会った俺にもわかった。確かに手の出しようもない程、魔女は雨野さんのことが好きなのだ。

 雨野さんはそれをちゃんとわかっているのかどうか、どうも魔女の気持ちに比べて随分のほほんとした人に見える。年も魔女より大分上のようだし、だいたい旦那じゃないじゃないか。魔女は指輪をしていないし、夫婦別姓の法案は国会でまた通らなかったはずだ。いや、通称を使っているだけて本名は改姓しているのかも。でもそうだとしたら山田さんは本名を教えるだろう。

 魔女がふと目を伏せ、改めて雨野さんの背中を見つめた。もっと近くにいたいのを俺たちがいるから控えたような、慎ましくもひたむきな様子に、

 俺は一瞬で恋に落ちた。

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