*15* 薔薇の聖母

 ──で、今に至るわけなんだけど。


「んひッ!?」


「どうなさいましたか」


「なんか今、ぴちょんって、ひんやりしたものが首に……」


「少々お待ちを。……妙な魔力反応は感じられませんね。モンスターの仕業ではないかと」


「ヴィオが根こそぎ倒してしまいましたからね。ご心配は無用ですわ」


「そう、ですか……なら、いいですけど」


「雲行きが怪しいですから、お空のご機嫌がよろしくないせいかしら?」


「じきに出口です。天候が崩れないうちに、ここを抜けてしまいましょう」


「はい……」


 ふたりが問題なしと口をそろえるなら、あたしが口を出すことはもうない。


「『嘆きの森』──」


 モンスターが棲みついた、不気味な魔の森……


「すぐ帰るから待っててね、ジュリ、ゼノ」


 こんな物騒なところ、早く抜け出してしまおう。

 胸に残る一抹の不安をなかったことにして、前を向く。

 でも、後ろ髪を引かれる何とも言い難い心地は、振り払えないまま。


 あたしたちを見下ろす鈍色の空が、どうしてか、啜り泣いているように思えた。



  *  *  *



 森を抜けてから、どれくらい経っただろう。


 前にジュリと行った街とは反対方面へしばらく馬を走らせていると、ひとけのない寂れた丘に、ぽつんと取り残されたような家が一軒。

 ヴィオさんの手を借りて、地面へ降りる。


 杖をひと振りし、ゴーレムを木の枝へと戻したリアンさんが古びたドアノブへと手を伸ばしたとき、物凄い勢いで木製の扉が開け放たれた。


「ヴィオ、リアン! 遅いじゃないの、待ちくたびれたわよ!」


 現れたのは、鮮やかなオレンジの髪にペリドットの瞳、そしてオリーヴカラーの見るからに上等そうなドレスを身に纏った、クソデカボイスの女性だった。

 外見年齢はたぶん、あたしと同じくらいか少し上の、20代前半から半ば。

 ヴィオさんやリアンさんと同い年くらいとも言える。あくまで外見の話ね。

 あ、気が強そうだなぁと、出会って早々、ものの3秒で悟った。


「お待たせして、申し訳ありません」


「ただいま戻りました、親愛なるマザー・ウィンローズ」


 ヴィオさんとリアンさんがそれぞれ腰を折り、エプロンドレスの裾を摘まんで、恭しく帰還の挨拶を述べた。


「まったく……いいわ、お説教は後にしましょう。それより、おつかいはきちんとできたのかしら?」


「もちろんですわ。マザー・セントへレムを、こちらにお連れしてございます」


「あらそう、で、どこに?」


「こちらですわ、お母様」


「だから、どこよ?」


 あのう。大変申し訳ないですけど、これあたし、キレていいです?


「こちらにいらっしゃいます、母上」


「ど〜も〜、はじめまして〜、ちんちくりんですみませ〜ん!」


 色々と気遣ってくれたであろうヴィオさんが、それとなく、やんわりと横にはけてくれて、ようやくあたしに気づいたらしいその人に、引きつるスマイルをプレゼントする。


「えっ、あなた、男の子じゃなくって?」


「これでも150センチはあるわ! Bはあるわ! 立派な女子だわ! ほっとけ!」


 確信した。あたし、この人無理だわ。

 同じ波長を感じたのか、あたしのシャウトを受けた彼女の色白の頬が、みるみる朱に染まりゆく。


「あーらわたくしとしたことが、ごめんあそばせ! 本日はあなたとお話しする機会をいただきたく、お招きした次第ですわ!」


「知っとるわ、だからさっさと用件を言えや」


「うぐっ……ずいぶんと威勢がよろしいのね……ふふ、うふふふ! いいわ、実にいいわ! けれど残念、すぐにはお帰しいたしませんことよ!」


「はぁあ?」


 ピキピキと、こめかみに青筋が浮かぶのが自分でもわかる。

 マジでキレる3秒前のあたしを知ってか知らずか、よく少女漫画で見るような下々の者を見下すお決まりポーズを決め込んだ彼女が、ひと言。


「無駄な抵抗はなさらないことね、マザー・セントへレム! あなたの身柄は、わたくしオリヴェイラ・ウィンローズが、お預かりいたしますわ!」


 オーホッホッホ!


 ちょっと何言ってるのか理解できないポンコツ脳内に、キィン! とハウリングする高音。


 どこの悪役令嬢だよ。


 怒りも通り越すと、呆れに変わる。

 頭を抱えるあたしをよそに、しばらく高笑いを響かせたオリヴェイラが、バッとドレスを翻し、後ろに控えていたリアンさんへ詰め寄った。


「紅茶が冷めてしまったの、これではアフタヌーンティーが台無しだわ!」


「あらあら、すぐにご用意しましょうね」


「急いでちょうだい、馬車馬のごとく!」


 怒鳴りつける勢いで、リアンさんを巻き込むように家の中へ消えていくオリヴェイラ。

 あの、あたしがいること忘れてません? お客様よりお茶の心配? 呼びつけといて、それはなくない?


「我が母オリヴェイラが、失礼をいたしました……」


「いえ、ヴィオさんが謝ることはないです」


 ふたり取り残され、何とも言えない空気の中で本当に申し訳なさそうに謝罪をするヴィオさんが、不憫に思えてならない。


「どうかお許しください。悪気はないのです」


「え、あれで?」


 だとしたら逆にタチが悪いと思う。悪意のない暴言って。

 まぁ、ヴィオさんの頼みだとしても、あの人とは仲良くできそうにないけどねぇ。


「このような場所で恐縮ではありますが、中へご案内いたします。どうぞ、足元にお気をつけて」


「お邪魔します」


 彼女の発言にぷんすこ腹を立てていたこのときのあたしは、知るよしもなかった。


 まさか、あんなことになるなんて……

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