*13* 花に見初められて

「私の魔法で、一瞬ですわ。どうかご安心なさって、あなたをお守りする騎士に御身をお委ねくださいませ」


 いやだから、説明。

 噛み砕いたようで、具体的な要領を得ていない言葉だ。腹が立ってきたんですけど。


「ご心配には及びません。リアンの転移魔法ならば、我が主のもとまであっという間です」


「てんい、まほう」


「さぁレディー、お手を──」


「無理です、絶対無理。やめて、おねがい」


「……レディー?」


 異変に気づいた彼が呼びかけてきた頃には、もう手遅れで。


「……ひッ!?」


 ふわぁっ……


 身体が宙に放り出される感覚。

 踏みしめる地面はどこにもなくて、やけにスローモーションで霞む景色は、たとえるなら急降下直前のジェットコースターに乗った心地だろう。

 遊園地のアトラクションと違うのは、安全ベルトとかシャレた代物が、どこにもないということ。


「もぉやだむりなの、やだ、やだってばぁ!」


「レディー、落ち着いてください」


「やめてこわい! いや! いやぁああっ!!」


「お気をたしかに、マザー・セントへレム!」


 青年が何かを呼びかけている。だけど、それどころじゃない。

 バクバクと心拍数が跳ね上がる一方で、凍えたみたいに手足の震えが止まらない。


「リアン! 詠唱を止めろ!」


「けれど、もたもたしていては、モンスターがやって来るわ」


「何をためらう、彼女以上に優先すべきことがあるというのか!」


「……わかったわ、ヴィオ」


 歌うような旋律が途切れる。あたしたちを包み込んでいた光と共に、足元に出現していた魔法陣が消滅。

 次いで、ぐっと腰を引き寄せられて。


「こんなに震えて……可哀想に」


 こわごわと、首を持ち上げる。


「お守りすべき方の安寧を脅かしておきながら、何が騎士か。己が恥ずかしい」


 あたしを抱き寄せた青年が、ペリドットの瞳を悲痛に歪ませていた。


「反感はごもっともです。けれど、今少しの間だけでよいのです、私を信じて頂けませんか。お願い申し上げます、マザー・セントへレム。いえ……セリ様」


 名前を呼ばれた。ただそれだけなのに、何だろう、なんか胸が、変だ。


「もう……大丈夫ですから」


 ……とす。


 むず痒い不思議な感覚の正体は、そっと肩にもたれさせられたとき、唐突に理解した。

 おまけにぎゅっと、宥められるように抱きしめられたら、もうダメだった。


 ──星凛は、怖がりなんだから。

 ──おいで。私が、おばけから守ってあげる。


「……おねえ、ちゃん……」


「──!」


 あたしの憧れで、大好きなお姉ちゃん。

 会えなくなって、何年経つかなぁ。

 元気に、してたかなぁ……

 下の子たちのために、頑張ってお姉ちゃんっ子脱却しようとしてたけど、やっぱり、あたし。


「大丈夫……大丈夫」


「おねえちゃん……ふぇ、ふぇええ!」


 本を読んだり、絵を描いたりするのが好き。

 どっちかというと、気は弱いほう。

 怖がりで甘えん坊な、妹気質。

 それがあたし、笹舟 星凛だ。


「大丈夫だから」


 しきりに繰り返す穏やかな声と温かい腕に包まれて、ダムが決壊したみたいに涙が止まらなかった。



  *  *  *



「……はぁああ……」


 こぼすため息は、まさにこの世の終わりのもの。


「たいッへん、申し訳ありませんでしたッ!!」


「いえいえ、とても面白……こほん、可愛らしいお顔を、上げてくださいな」


 やっちまった。

 羞恥と後悔が、折り重なるように脳内を占める。

 パニックのあまり泣きじゃくるとか、あたしは幼稚園児か? いや幼稚園児にも失礼だぞ、これ。


 やらかした感が半端なくて、差し出された手を拒む気力すら残っていなかった。

 土下座の勢いで地面に突っ伏すあたしを抱き起こした女性が、レースのハンカチで、涙とか土とかでぐしゃぐしゃであろう顔を拭ってくれた。

 なにこれ、めっちゃ肌触りいい、絶対高いハンカチじゃん。


「転移魔法をおいといとはつゆ知らず、大変失礼をいたしました。私の落ち度です。申し訳ありません」


「いえ……忘れてくれれば、それで……」


「それは難しいかと」


「なんでぇ!?」


「だって……ふふっ、愛らしいお方」


「だから、なんでそうなるのぉ!?」


「そういうところ、ですよ。ねぇヴィオ?」


 顔を拭うついでに、よれたブラウスの襟を整えてくれた女性が、おもむろに振り返る。

 話題を振られた青年は、少し離れた木の幹に背を預けた状態で頭を抱え、黙りこくっている。何だろう、この微妙な距離。


「あなたが何を考えているか、手に取るようにわかるわ。双子の妹を甘く見ないで?」


「リアン……」


「うふふ、それよ。その嬉しくて堪らないって顔」


 へぇ、このふたり双子だったんだ。そう言われてみれば顔立ちが似ている気がしてきた。ほぉ。

 で、嬉しいって彼、何を喜んでるんだろう。あたし何か徳のあることでもした? してないよね。

 ぽやぽやと他人事のごとく考え事に浸るあたしは、大馬鹿者だった。


「おまえは本当に、可愛げがない」


「あら、それは言外に、彼女が可愛くて堪らないってことでいいのよね?」


「はぁ……」


「へ?」


 かわいい? 誰が?

 ぽこぽことクエスチョンマークを量産していると、何やら意を決したような青年が1歩、距離を詰めた。


「レディー……今一度、お手を取っていただいても?」


「え、あ、はい」


 条件反射だった。ろくに考えてなんかない。

 差し出された手へ、恐る恐るふれる。

 ぐんっと、視界が大きくぐらついた。


「ひゃっ……!?」


 あたしを抱き寄せたのは、もちろん青年で。

 でも、腕の力強さはさっきまでの比じゃなかった。


「嗚呼……」


 安堵のような、感嘆。

 ちょうどあたしの頭に顎を乗せる体勢で密着した彼から、離れられない。


「えっ? あの、なんで……っ!?」


 なんて腕の力だろう。華奢に見えるのに。

 激しく意味がわからない。ただ、あたしを抱きすくめる力が増してゆくということだけが、この場において揺るぎない事実で。


「あなたは、いじらしいお方です……ほんのひとときのふれあいで、この手で守って差し上げたいという想いを芽生えさせるほどに」


「あのっ、あのっ……!?」


「神よ……この身に余る光栄を、喜びを、ありがとうございます」


「ちょっ、近っ、離れて離れて離れて!」


 お人形さんみたいなご尊顔が、間近に迫ってくるんだよ。正気でいられるか? 無理でしょ。

 無我夢中だった。身をよじって腕から抜け出し、胸を押し返す。そして。


 むにゅ。


「…………」


 ……うん? あれ……


 今、何が起きた……?


「……むにゅ?」


 目を点にして擬音を口にするあたしは、それはそれは滑稽だったろう。


「うふふ、着痩せするたちですからねぇ、ヴィオは」


 着痩せってそれ、どっちの意味よ。いやいや。

 そんなの、あたしが一番よくわかってる。


「お、おお、お……」


「はい、レディー」


 固まるあたしを再び抱き寄せた『彼』は、見たこともないような柔和な微笑みで、キラキラと輝くペリドットにあたしを映し出していて。


「おん、な……の、ひと……?」


 ふわり。


 どこからか届いた花の香りは、たぶん気のせいじゃない。


「えぇ、私はヴァイオレット・ウィンローズ。リリアナ・ウィンローズの、姉です」


 その笑みは、蕾がほころぶかのごとく。

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