Dis(MIS)communication

きょうじゅ

18時00分~21時24分

 突然だけど、discommunicationって言葉、英語のように見せかけて実は和製英語だって知ってた? 接頭語disには打ち消しの意味があるから全く通じないわけじゃないけど、少なくともちゃんとした由来のある英単語ではない。英語では正しくは、miscommunication。後者が「誤伝」と訳されるとすれば、前者は「非伝」かな。なんとなくニュアンスは通じるけどそんな日本語は無いだろ、みたいなさ。そんな感じらしいよ。


「ふーん。で、そんな話を私に聞かせて、どうしようって言うの?」


 と言うのは、海原かいばら梅華うめかという大学生の女の子。なぜ大学生だと知っているかと言うと、僕も同じ大学に通っているから。僕の方は宍戸ししど幽月ゆづきという名前。僕の方は普通に男。


「海原さんとコミュニケーションがしたいから。話の内容自体に、正直に言えば大した意味はない」

「海原さんって言われるの、好きじゃないんだよね。名前の方で呼んで」


 なんか言い草が無茶な上に難易度の高い要求が飛んできた。気になっている異性を名前呼びするって、けっこうハードル高いぞ。


「じゃ、じゃあ。梅華さん?」

「宍戸君。君と話すのはこれが初めてだと思うから、最初にこれを言っておくよ。君と結婚するのは嫌」

「そんないきなり、一足飛びになにを」

「だって。宍戸梅華なんて名前になったら、絶対あだ名は『梅軒ばいけん』になることは疑いもないわ。そんなのは嫌。小学校の頃さんざん『雄山ゆうざん』ってからかわれたトラウマが私にはあるの。幽月なんて小じゃれた名前を与えられて生きてきたあなたには分からないでしょうけど」

「僕と君が仮に結婚するとして、大学を卒業したあとだろうし、そんな子供じみた仕打ちを君にする人は周囲にもうあまりいなくなっているのでは?」

「会社でお局さんとか後輩OLとかに言われるかもしれないじゃない」

「家庭に入ってくれてもいいんだよ」

「初めて会話する相手に対してそこまで具体的に結婚生活のプロットを煮詰めてるなんてキモいわ。あっち行って。でなかったら、私の杯に酌をしなさい」

「言い出したのは君の方では……酌くらいしますけどさ」


 今は何の席かというと、新入生である僕と彼女が入った文芸サークルの歓迎会である。そんなに人気のあるサークルではないので、歓迎されてる新規メンバーは僕らだけ。もちろん先輩たちとも会話をしているのだが、僕がもっぱら関心を向けているのは梅華さんだけであるので、梅華さんとの話を続けるぞ。今度は文学論になっている。


「——とまあ、そういうわけだからさ。現代文学におけるファンタジーの物語構造を規定した、トールキンの偉大な功績について、僕は一定の評価を与えずにはいられないわけだよ」

「『指輪物語』はいちおう読破はしたけど。『なーんだ、最後ほんとに指輪捨てて終わるんだ』って感想。あれは物語の物語性に頼りすぎていて安易だと思う」

「その評価はあまりにもトールキンに対して酷というか、辛辣に過ぎない? トールキンがいなければD&Dもドラゴンクエストもハリー・ポッターもないんだよ? 彼が、ファンタジーという物語構造を作り上げた張本人なんだよ?」

「私は思うんだけど。物語というものは、いらないと思う。物語が必然的に含有する夾雑物きょうざつぶつは人と人のコミュニケーションを阻害する。それによって、コミュニケーションの不足をもたらすって考える。言うなれば、物語有害論、というのが私の思想だから」

「別にその考え方を否定はしないんだけど。僕は、やっぱり物語って必要だと思うな」

「どうして?」


 もう何本目やら分からない徳利から注いだ日本酒の熱燗をくいと開けて酒杯をタンと置き、梅華さんは短く尋ねた。


「だって、コミュニケーションの不足は物語によってもたらされるまでもなく、最初から絶望的なまでの深度で人と人の間に横たわっているからだよ。それを媒介し得るものは、物語しか存在しない。神様がいて、水浴びをしている美しい人間の娘がいて、関係を持って妊娠させて子供が生まれてそれが英雄に育ってだなんてバカみたいな物語だって、それが人と人の間にわずかでも繋がりをもたらしてくれるのなら、やっぱり価値があるんだと思う」

「ギリシャ神話か。でも、君、クリスチャンなんだよね? 挨拶のときにそう言ったじゃない」

「うん。カトリック。カトリックはキリスト教の中では比較的おおらかだから、異教の神話を口にするくらいは何でもない」

「我々以外の神を信じてはならない、とか言うんじゃなかったっけ。人が作った神を崇めてはいけない、だったかな」

「別に天空神ゼウスに信仰を捧げてるわけじゃないし。そもそもさ。よく、『神様なんて人間たちが作ったもの』っていうけど。僕に言わせれば逆なんだよね。人間というものは常に絶対的に孤独で、僕とともに存在するのは神だけで、僕以外の人間はその向こう側にしかいない。だからキリスト教徒なんかやってる」

「意外と、寂しい考え方をするのね。私は、人とのコミュニケーションが阻害されるのは、寂しい。そこに断絶があるなんて、辛いから信じたくない。たとえそれが真実であるとしても」

「僕は平気。そのために神を信じてるので」

「私も実は実家が神社だから、御祭神ごさいじんっていうのがいるんだけど。だから知ってる。神様なんていないよ。祈っても、何もしてくれないもの」

「キリスト教の神様も、基本的には祈ってもあんまなんもしてくんないよ。君の無神論にケチを付けるつもりはないけど、信仰っていうのは、何か見返りを求めてするものではないって、僕は思ってる。僕は神様が僕に何もしてくれなくても、神様を愛してる。で、神様が僕を愛していないとしてもそれは変わらないんだけど、聖書によると神は僕を愛しているらしい。素晴らしいじゃないか。とまあ、これが僕の信仰」

「ふーん。そんなんでいいの? あたしは、愛してはいるくせに何もしてくれない神様より、あたしのことを愛していて、あたしに何かしてくれる男の子の方がいいな」

「何かって例えば?」


 ちょっといかがわしい期待などしつつ、僕は訊いてみた。


「酌。酒が足りないわ」

「アッハイ」


 僕は素直に酒を注いだ。ちなみにいまだに熱燗である。梅華さんは最初からずっと熱燗ばかり飲んでいる。


「カトリックって、式は教会で挙げるの? 相手が無神論者でも」

「それは相手の意向によるな。昔は教会を経由しない結婚は効力を認められなかったらしいけど、今の日本では役所に出す婚姻届の方が威力が上だし」

「あたしは教会式でいいわ」


 酔っ払いのたわごととはいえ、初めて会話する相手に対してそこまで具体的に結婚方式のプロットを煮詰めてるんだな、と僕は思う。口には出さないが。


「無神論者の趣向に合わせたウェディングも今の時代には無いわけじゃないけど、やっぱりロマンっていうものがあるじゃない。そう思わない?」

「それはそう。というか、そのロマンを教外の人間にも売りつけることで、キリスト教の結婚式ビジネスは成り立っているので」

「いい商売ね」

「伊達に二千年も世界宗教をやってるわけじゃないからね。といってもまあ、日本のカトリック教会なんて、そんな言うほど儲けてやしないけどね。うちの教区の教会なんて、教区が広いから人の数はまあ多いんだけどおかげで駐車場のキャパが足りなくて、敷地はあるんだけど駐車場を作るための工事をする資金がなくて、何年も前からずーっと『駐車場のための献金をお願いします』っていう献金箱が置いたまんまになってる」

「神道もかなり現実は悲惨。古い話になるけど、廃仏毀釈の騒ぎからこっち、もうよっぽどでかくて名声のあるところ以外は全然だめ。うちもぴーぴー言ってる。かき入れ時の正月にだってバイトの巫女さんを雇うだけの儲けも出なくて、実の娘に小遣いだけ渡してそれ用の服を着せて巫女をさせるんだから」

「へぇ。巫女さんやるんだ。見てみたいな」

「似合わないけどね。巫女のくせに無神論者だし」

「無神論はともかく、似合わないとは思わないけどな。だって、梅華さん可愛いじゃない」

「……お世辞とかいらない」

「お世辞じゃないよ? 思ったままを言ってるだけ」

「……スマホの写真でよければ、あるけど。見てみる?」

「うん。ぜひ」

「はい。これ」

「なるほど。赤の袴じゃないんだ。でもよく似合ってる」

「これはって言って、神事に使う衣装。緋袴の写真もあるよ。ほら」

「わあ。やっぱ、可愛いじゃん」

「……」

「ん? 顔真っ赤だよ。やっぱり日本酒ばっかり飲むのはキツかったんじゃ? 大丈夫?」

「……大丈夫。ちょっと慣れてないだけ」

「ああ。そりゃ、こういう席にはまだ慣れないよね。お互い、つい先月まで高校生だったんだしさ」

「……そうね。でも幽月君、人間は絶対的に孤独だーとか言う割に、割と気安く他人の側に踏み込んでくるのね」

「それは話が逆だよ。絶対的に孤独だからこそ、他人に踏み込む。そうしなければ、絶対的な孤独から絶対的に逃れられないから」

「私は他人がこちら側に踏み込んできてくれたら、孤独が癒される気がするけどな」

「僕は違う。たとえ隣に座って肩を寄せ合ったって、神の前の孤独はわずかばかりにしか癒されない。だから、積極的に他人と関わろうとするのさ。ヤマアラシのジレンマがどうだとか言って他人との接触を厭うのは、自分の持っている棘を過剰に評価している奴だけなんだよ。自分の心が他人に届くことなど原則はないって思ってれば、そんな躊躇はなくなる」

「ヤマアラシのジレンマ、か。身体に無数の棘が生えているヤマアラシという動物は、身を寄せ合うことでお互いを傷つけてしまうから、孤独から逃れられないとかなんとか、そういうあれね」

「実際のヤマアラシは別にぜんぜん普通に他の個体とくっつくらしいけどね」

「それはそれ、これはこれでしょ」

「それはそうと僕さ。むかしこれを『アルマジロのジレンマ』と勘違いしていた時期があって、当時の彼女に話したら大笑いされた」

「アルマジロのジレンマ。身体が硬い鎧で覆われているアルマジロという動物は、えーと……だめだ、いまいち理屈が浮かばない。でもその話、幽月君らしいような気もするな。君さ、針はないかもしれないけど、他人の側に踏み込んでくるかもしれないけど、でもその割に、あるいはだからこそなのかな、心の防壁ってすごく硬いでしょ?」

「まあ、そうかもしれない。否定はしない」

「ちなみに、今の彼女にも話したことあるの? その話」

「今の彼女? それはいないな。別の大学に行くのが確定したときに、お互い承知でその時点での彼女と別れて、そのあとはフリーだから」

「そっか。ちなみに、あたしもフリーだよ。生まれたときからずっと」

「僕は運命論者だから、人間の魂には本質的には生まれた時から死ぬ時まで自由など訪れることはない、という思想だけどね」

「……そういうこと言ったんじゃないのに。ぷんだ」

「ん?」

「まあいいわ。じゃあ、今日この日、私とこうして出会うことも運命として決まっていたって考えるわけ?」

「そうだね。まあ、郵便ポストが赤いのも、林家ペーがパーと出会ったのも、みんな運命だという前提のもとだけど」

「私にとっては、運命ってそんな安いものじゃないんだけどな。気になる男の子に、僕らの出会いは運命だと思う、なんて言われたらドキっとしちゃうくらいにはさ」

「そんな経験があるの?」

「……うん。一回だけだけど」

「ふーん。その男、羨ましいな」

「……ばか」

「ん?」

「なんでもない。それはそうと、またお酌して。酒がなくなった」

「へいへい。おっと、このお銚子はこれで終わりみたいだな。もう一本、というのは……あ、無理みたい。さっきのデザートでコースは終わりみたいだ。もうお開きみたいだから、じゃあこれが最後のお酌ということで」

「分かった」

「ずいぶん飲んだみたいだけど一人で帰れる? 大丈夫?」

「大丈夫じゃないな。だからもうちょっとお話していたい気分。君と」

「ふむ。終電何時? 僕は下宿だからこの近所だけど」

「西武池袋駅から、00時07分」

「じゃあ、もう一軒くらいなら行けるな。二人で飲みなおそっか。池袋駅の方に出て」

「そのへんのお店とか、分かるの?」

「一ヶ所だけだけど、いい店を知ってる。ネットの知り合いに教えてもらったところがある」

「そっか。じゃあそこにしよ。どんな店?」

「串揚げが旨い店」


 僕は食べログの画面を開いて、彼女に見せる。

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