いつかの幼女の怨返し

大洲やっとこ

第1話 間違い



 オタクでニート。

 生産性のない社会のゴミで、家族にとっては穀潰しのお荷物。

 自分が誰からも歓迎されない存在だということは知っていたつもりだ。



 気にしない風でいながら、たぶん腹の底では焦っていたんだと思う。

 なにかの役に立たないといけないって。

 まさに僕と同じような状況の人間に関するニュースを見ることが最近増えていたから。


 学校を出ても働きもせず、親の財産を食いつぶすニート。

 死んだ母の遺体を放置して暮らしていて逮捕されるニートもいる。年金が入らなくなったら困るから、という理由で。


 家族にも暴力を振るうようになった息子を、父親が殺しただとか。

 そんな事件もひとつふたつではない。



 自覚があるから、そういうニュースがあるたびにネットの反応を見てしまう。

 SNSなどで呟かれる取り繕わない人間の本音。


 ――よくやった、親父に勲章やれ。

 ――家庭ごみの処分だろ。当然の義務。

 ――製造物責任法に準じた行為として認めるべき。

 ――他人様に迷惑かける前にやっとかないとね。

 ――地元民、はよ卒アルうp。




 僕もそんな風に言われてしまうのか。

 兄か父に殺されるかもしれない。そうされても仕方ないクズニート。


 漠然とした恐怖と焦燥感。何かしなければと感じながら、どうすればいいのかわからないまま。

 不安を抱えて、また一日が過ぎていく。



  ◆   ◇   ◆



 出かけるのは夜中だけ。

 昼間は近所の人に見られる。恥ずかしい存在の僕を。

 深夜零時を回ってから、免許もない僕は自転車でなるべく遠くの寂れたコンビニに向かう。


 涼しくなった秋の夜風は心地いいのだけれど、月明かりが僕を照らすのが嫌だ。

 ゴミのような僕を見られているようで恥ずかしい。


 近所のコンビニだと知り合いに合うかもしれない。

 自転車で一時間かけて、ただでさえ田舎のこの町でも特に外れた場所のコンビニまで。

 本当なら山の奥にでも行きたいけれど、コンビニがそんな場所にあるわけもない。

 嘘だ。山奥なんてそれはそれで怖い。



 町の外れ。

 昔、バブルの時代には多くの人で賑わったという工場群がある。その手前には古いアパートが並び、吹き溜まりのような一角を形成していた。

 アパートの住民も決して成功者ではない。人生の落伍者みたいな。

 どちらかと言えば僕に近い存在。勝手だけれどそんな風に思うからここのコンビニは入りやすい。


 買うのはネトゲの課金カードと飲み物。一時間も自転車に乗れば喉が渇く。

 運動をしたのだから甘いものでいい。自転車のかごで揺れるから炭酸はやめて、乳酸菌系の甘い飲み物。



 コンビニからは早く立ち去りたいから、その場では飲まない。思ったほど喉が渇いていなかったのは涼しかったからか。

 帰り道に飲もうと自転車のかごに入れて走り出した。


 夜中のアパート群。

 正直不気味な雰囲気もある。どこからか犬の声と、秋の虫がヒィィヒィィと鳴く声も。



 そんな中、耳に止まったのは子供の泣き声。


 ここを通る時に聞こえることがある。小さな子供の泣き声と、それをなだめる別の小さな女の子の声。

 まるで地縛霊みたいに、決まってこの辺りで。



「……?」


 その夜はいつもと少し違った。

 泣いているのは、いつもはなだめ役のはずの女の子。

 たぶんお姉ちゃんなのだろう。もう一人は声が幼過ぎて男の子か女の子なのかもわからないくらいなのに。


 その時に限って、お姉ちゃんが泣いていた。

 通り過ぎてしまえばよかったのだろうに、普段と違う様子につい耳をそばだててしまった。


 よせばよかったのに。ひとつめ。



 ――まいちゃんが死んじゃうぅ、ああぁぁ……


 聞かなければよかった。

 知らなければ、何も知らずに家に帰っただけなのに。


 ボロい古アパートが立ち並ぶ中。いくらボロくても他の住人だっているだろうに、こんな声を聞いていて誰も何もしないのか。

 いや、僕が通りかかるのだって十日に一度くらいのこと。ここの住人は毎晩泣き声を聞いていて、麻痺しているのかも。


 どこで泣いているのか。

 見回す。声のする方を。


 明かりがついてカーテンがかかっている部屋もあれば、ゴミや正体不明な草木で埋まっているベランダもある。

 そんな中、カーテンもないガラス窓の一室。明りもついていない一階の部屋。すぐ近く。すぐ近いから声も聞こえたわけで。

 部屋の明かりがついていないから、室内側から窓にはられた紙がはっきりと見えてしまった。



『な す

   けて』



 クレヨンだろうか、下手な文字で大きく書かれた文字が、秋の夜空の月明かりに妙にはっきりと浮かでいた。

 就学もしていない子供が書いたのだろう、ひどく拙い文字。

 きっと空に向けて、虚空に向けて訴えた助けを求める手紙。


 見なければよかったのに。ふたつめ。



「誰も……なんにもしないのかよ……」


 周りを見回す。

 どうしたらいい? 警察を呼ぶ……なんて、ニートの僕がやったらそれだけで逮捕されるんじゃないか。こんな夜中に家から遠く離れた場所をうろついていたなんて。


 近くに誰かいれば助けを求めたい。

 そんなこと、家族とすらまともに会話ができない僕にできるのかわからない……いや、無理だ。



「とにかく、なんとかしないと」


 幸い一階の部屋だ。ベランダ越しの窓の向こうなら様子を見るくらいはできる。

 これまた幸いなことに、周囲には誰もいない。不審者扱いされる心配もとりあえず今はない。


 自転車を転がして、その窓の向こうを覗き込んだ。

 ガラスが反射してよく見えない。



「親は何をしているんだ」


 こんなに子供を泣かせていたら近所迷惑だろうに。

 自分たちだってうるさいはず。



「いない、のか?」


 そう考えた方が自然だった。幼い子供を放置して夜中に出かける親がいるとも聞く。

 他の住民も関わり合いを避け聞こえないふりをしてしまうような、そんなクズ親。


 だとしても子供には罪がない。

 こんな風に、妹か弟が死んじゃうなんて泣いている子供を放置するなんて許されることじゃない。



 僕は、正しくしなければと思ったんだ。


 やめればよかったのに。みっつめ。




「きみ……聞こえる? なあ……」


 相手が大人だったら、僕は何もしなかっただろう。

 大人というのはまず大抵が僕より強くて立派で、僕なんかが声をかけたら不愉快だろうと思うから。

 相手が子供だと思ったから声をかけた。

 いらない正義感と無駄な勇気が僕を行動させた。救えないくらい馬鹿だったのも理由に入れていい。



「なあ、お父さんかお母さんは……なあ、聞こえる?」

「ひっく、っく……まいちゃんが……」

「まいちゃんが、どうしたんだい? 救急車よぼうか?」

「……」


 ぎ、ぎり、と。きしむ音を立ててベランダの窓が開いた。

 聞こえていたらしい。



「きゅうきゅうしゃは、だめ……ママにおこられる……」

「そうか、ママはどうしたの?」

「……」


 顔をのぞかせた女の子は、僕にはよくわからないがたぶん幼稚園くらいなのだと思う。

 涙と鼻水にまみれていなければ可愛い子なのかもしれないが、ひどい有様だった。



「よるは、いない……ママのおともだちも」

「まいちゃんはどうしたの?」

「あさからなんにもたべてなくて……おなかすいたっていって、ねちゃったまま……」


 なんてことだ。

 本当にろくでもない状況。



「まいちゃん、しんじゃう……」

「ああ、わかった。ええっと……ええい、もう」


 その時に限って、なんで無用に行動的になったのか。


 それは後で何度も聞かれた。

 質問され、尋問されて、詰問された。

 なぜ、どうして、どんな目的で? 自分でもわからない行動原理を。



 自転車のかごから乳酸菌飲料を手にして、ベランダを乗り越えた。


「わかった、大丈夫だから泣かないで。まいちゃんはどこに?」

「おじさん……だぁれ?」


 どうにか僕が守らなきゃって、そう思ったんだ。

 馬鹿みたいにヒーロー気取りで。


「お兄ちゃんは悪い人じゃない。始角しかく司綿つかわたっていうんだ」



  ◆   ◇   ◆



 二十一歳の始角司綿しかくしめんは翌日のネットニュースを騒がせ、翌々日の紙面に載った。



  ◆   ◇   ◆

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