第60話:体育祭

 それから約一ヶ月。10月8日金曜日。今日は体育祭だ。

 昔から運動会や体育祭や球技大会といったスポーツ系のイベントは苦手だ。当日に都合よく風邪をひいて休みたいと願うほど。そんな都合よく風邪をひいたことは一度もなく、小中合わせて九年間一度もこういったイベントを休めたことがない。今年も健康体でこの日を迎えてしまった。

 ただ、今年は少しだけ楽しみがある。彼女だ。彼女が活躍する姿を間近で見て、応援出来る。それだけで、憂鬱だった体育祭が楽しみに思えてしまうのだから恋の力は恐ろしい。

 彼女が出る競技はスウェーデンリレー。第一走者は100m、第二走者は200m…と、走る順に100mずつ走る距離が増えていくリレーだ。彼女はアンカーで走る距離は400m。トラック一周分だ。

 現在一組は最下位だ。他のクラスに比べてかなり遅れている状態で第三走者の久我くんにバトンタッチをする。


「任せろぉぉぉ!」


 距離がみるみるうちに縮まっていく。流石サッカー部だ。一気に距離を縮めたが、依然として最下位のままバトンは海菜に渡る。一位のクラスはもうゴールまであと半分を切っている。


「うわっ!鈴木、速っ!」


 一気に駆け抜けて行く海菜。あっという間に他クラスの走者を次々と抜いていく。


「鈴木ぃぃぃ!頑張れぇぇぇ!」


「王子ぃぃぃ!」


 観客の生徒たちも一気に湧き上がる。一位を独走していた生徒も周りの盛り上がり様に危機感を感じたのかペースを上げた。しかし海菜も更にペースを上げて、ゴール目前にして一位に並んだ。

 抜きつ抜かれつを繰り返し、最後にゴールテープを切ったのは—


「優勝は、3組です!」


 残念ながら海菜ではなかった。しかし、最下位だったあの状況から二位まで上り詰めただけでも充分凄い。


「ただいまー」


「鈴木お疲れ!」


「王子お疲れ様!カッコ良かったよ!」


 クラスメイトから賞賛される海菜の後ろで久我くんが拗ねる様に唇を尖らせている。加瀬くんが苦笑いしながら彼を労うと、彼は目を輝かせて加瀬くんに抱きつこうとしたが避けられていた。

 最近やたらと距離の近い二人だが、実は加瀬くんには最近彼氏が出来たらしい。久我くんではない別の男性だ。バイト先で知り合った一つ年上の高校生だと聞いている。久我くんもそのことは知っていて、あれでも彼氏さんから怒られるかもしれないからと多少は遠慮しているらしい。全くそんな風には見えないが。


「ユリエル、そろそろ移動すんぞ」


「えぇ」


「行ってらっしゃい。頑張ってね」


 私が出る競技はクラス対抗の綱引き。三学年混合のチームで競う。力は無いが、走るよりはマシだと思って選んだ。まぁ、満ちゃんが居るし、大丈夫だろう。


「おっ。王子の彼女ちゃんじゃん」


「こんにちは。竹本先輩」


 声をかけて来たのは三年生の竹本冴たけもとさえ先輩。笹原先輩の友人だ。


「冴さんじゃん」


 満ちゃんが彼女の名前を呼ぶ。そういえば満ちゃんは彼女の兄から姐さんと呼ばれていたことを思い出す。


「うっす。姐さん」


「…学校ではその呼び方やめてほしいっすわ」


「あははっ。悪い悪い。姐さん居るならうちは手抜いても良さそうだね。つーか、姐さんなら一人で、しかも片手で充分っしょ」


「いや、か弱い女の子なんで」


「どこがだよ」


 二つも上の先輩から"姐さん"と呼ばれていることで注目を集める満ちゃん。最近、彼女は色んな意味で有名人だ。


「つか冴さんも充分ゴリ…あいてっ…!」


「うちは文学少女だから」


「見えねぇっすよ…冴さんの方が姐さんって感じじゃん」


「んなことないだろ」


 私から見たらどっちもどっちだ。




 綱引きは一組の圧勝で終わり、午前の部が終了した。

 私が出る競技はあと、午後の最後にある全員リレーのみ。何故クラス全員が参加するリレーなんてあるのだろうか。プログラムを考えた人に抗議したい。


「月島さん」


「へいへい。ちょっと待って。じゃあな、うみちゃん、ユリエル」


 満ちゃんはいつも通り実さんに連れて行かれた。しかし最近は以前より穏やかな雰囲気だ。


「月島さんってなんか、一条兄妹と仲良いよね」


「私あの二人と同じ中学だったけど…もっと近寄りがたい雰囲気だった気がする。特に妹の方」


 確かに知り合った頃はそうだった。しかし今はそうでもない。以前より柔らかくなった気がする。満ちゃんのおかげなのだろうか。

 ぼんやりと考えていると、ふと、彼女から視線を感じた。視線の先は私の顔ではなく、胸あたりに向けられている。


「…どこ見てるのよ」


「誤解だよ。胸じゃなくて、髪見てたの。私も久しぶりに伸ばそうかなと思って」


「伸ばすの?」


「ショートの方が好き?」


 以前見せてもらったロングヘアの彼女は可愛かった。


「「どっちも好き」」


 被せてくる彼女にムカつき、机の下で足を蹴る。


「あははっ。じゃあ、伸ばそうかな」


「うん…いいと思う。…私は逆にショートにしようと思うのだけど…」


 昔から母に「絶対似合わないから駄目」と言われていたが、今はもうその言葉に従う必要は無くなった。だけど…実際、どうなのだろう。切ってみて本当に似合わなかったら伸びるまでまた時間がかかる。

 悩んでいると、パシャリとシャッター音が教室に響いた。ふと見ると、彼女がスマホを私に向けていた。


「ちょっと。何撮ってるのよ」


「んー。…ふふ、見て、百合香」


 彼女が見せてくれた写真にはショートヘアの私が写っていた。


「髪型のシュミレーションが出来るアプリがあるんだ。バッサリ切るなら勇気居ると思うからさ、こういうの使うといいよ」


「そんなのあるのね…」


「後で入れてあげるね」


 写真に写るショートヘアの私は別に違和感はなかった。似合わないということはないと思う。


「…ありがとう」


「ふふ。どういたしまして。いつ切るの?」


「そうね…じゃあ、年が明ける直前くらいに切ろうかしら。今年いっぱいはこのままで」


「楽しみにしてるね」


「えぇ。…私も、あなたの髪が伸びるの楽しみにしてる」


「あははっ。楽しみにされてもそんなすぐ伸ばせないよ」


「むしろゆっくり伸びてほしい。季節の移り変わりと共に、あなたの髪が少しずつ伸びていくのが楽しみなの」


 私がそういうと、彼女は珍しく目を丸くして黙り込み、恥ずかしそうに目を逸らした。


「…君、ほんとに私のこと大好きだね」


「そうね。好きよ」


 彼女の全てが、特に、滅多に見られないその表情が私はたまらなく愛おしい。





 昼休みが終わり、午後の部が始まった。


『最初の競技は部活対抗リレーです』


 それぞれ部活のお揃いのユニフォームを着て並んでいる中、演劇部だけはバラバラの衣装を着て、仮装リレーみたいになっている。その中に海菜の姿は見当たらない。まさか、あのカエルの被り物をしたタキシードの人がそうだというのだろうか。

 カエルがこっちを向いた。手を振っている。


「…あのカエル、誰だ?」


「…王子じゃね?」


 被り物を取って改めて手を振る。やはり中身は海菜だった。


「マジで王子だった」


「何故にカエル」


 手を振り返してやると、投げキッスをしてから再び被り物を被ってしまった。

 リレーが始まってもそのまま、バトンも持たずに走り出す。第二走者は黄色いドレスを着た女性。女性がやってきたカエルの頭にキスをするふりをすると、海菜は被り物を取った。

 女性は被り物は受け取らずにカゴを持って走り出す。

 次に待つのははぼろぼろのワンピースを着た女性。

 ドレスの女性は彼女の元へたどり着くと、彼女を蹴るふりをしてカゴを乱暴に押し付けた。どうやら、走りながら劇をしているようだ。演劇部らしい。

 ワンピースの女性が走った先にはローブを着た魔法使い。やってきた女性に杖を一振りしてから走り出す。

 その先には青いドレスを着た女性。魔法使いは彼女に靴を渡した。女性はその靴を穿いて、走り出す。

 その先には再びタキシードの男性。女性は彼の元にたどり着くと、靴を片方だけ脱いで去っていった。

 男性はその靴を持ってゴールへ走る。ゴール前に先ほどの青いドレスの女性が居た。男性が跪き、女性の足に靴をはめて、手を繋いで二人で走ってゴール。

 拍手が沸き起こる。前半二人が<カエルの王子様>、後半が<シンデレラ>だろうか。なんだか、一本の演劇を見たみたいだ。





 その後、全員リレーを終えて体育祭が終了した。結果は優勝。昔の私は、負けても悔しくなかったし、勝っても嬉しくなかった。

 だけど今日は初めて、勝って嬉しいと感じた。昔の私が今の私を見たら「変わったね」というかもしれない。

 母と向き合うことを——自分らしく生きることを諦めずにいて良かったと今、心から感じていた。

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