第39話:あなたに触れられた初めての夜

「さて、百合香。ご飯作るから手伝ってくれるかな」


「…えぇ。何作るの?」


「親子丼と味噌汁」


「じゃあ、私味噌汁作る」


「うん。お願いします。…ボーっとして吹きこぼさないでね?」


「…大丈夫よ」


 玉ねぎの端を切り落とし、皮を剥いていると隣から彼女が何気なく「指、怪我しないでね」と声をかけてきた。今朝言われた『傷のない綺麗な指で触れてほしい』という言葉が蘇ってしまい、玉ねぎを落としてしまう。

 睨むと彼女は気まずそうに目を逸らした。そんなつもりじゃなかったと言いたげな顔だ。


「……食材は私が切るよ。その先お願いね」


「……えぇ」


 彼女が大人しいと調子が狂う。緊張が高まってしまう。


「演技してる?」


「……してるように見える?……ほら」


 ぐいっと手を強引に彼女の胸に押し付けられられる。手のひらに伝わる彼女の鼓動は早い。彼女の胸は本当に女性の胸なのだろうかと疑いたくなるほど小さいが、こうやって触れると微かに膨らみがある。微かに。本当に、触らないと分からないくらい。

 そういえば、揉むと大きくなるという迷信があったな。野外学習の時もはるちゃん達とそんな話をしていた。


『揉むと大きくなるんじゃなくて、揉まれて気持ち良くなることでホルモンが出て成長するのではないかと、私は推測する』


 小池さんの言葉がふと蘇ってしまう。気持ち良くなることで……ホルモンが出て……つまり……。

 慌てて彼女の胸から手を離す。


「そ、そういうこと軽率にしないで!」


「の割には結構長い時間揉んでましたけど?」


「あなたが触らせたんでしょう!馬鹿!」


「……ふふ。ごめん」


 やはりいつもより大人しい。


「い、いつも通りのテンションで居て…」


「あははー。大丈夫大丈夫。全部君を揶揄うための演技だよ」


 と、言うがやはり少しぎこちない。


「あはは……ごめんね」


「あなたから始めたくせに……」


「なんか……君の緊張が移っちゃって……」


「あなたが毎日毎日『あと何日だよ』ってカウントダウンするから」


「ごめんね。君の反応があまりにもエロ——可愛かったから……」


「……馬鹿」


 そこで会話が途切れる。

 そして、気まずい空気のまま味噌汁が完成した。

 やることが無くなってしまった。


「お風呂沸かしてきてくれる? もう出来上がるから」


「お風呂どこ?」


「あー……そっか。じゃあ私が行くから鍋お願いね。ちゃんと見ててね」


「……えぇ」


 出来上がった親子丼と味噌汁は味がしなかった。


 互いに無言のまま、ただ腹を満たすだけの食事を終える。


「お風呂、先どうぞ」


「入ってこないでね」


「入らないって。一人でゆっくり入っておいで。お風呂こっちね」


 パジャマセットを持って、彼女に連れられて浴室へ。「ごゆっくりー」と言って彼女が脱衣所のドアを閉めたことを確認してから服を脱ぐ。

 癖で洗濯機に入れてしまってから慌てて取り出し、持ってきた袋に入れ、浴室のドアを開ける。

 そういえば、シャンプーとかボディソープとか持ってくるのを忘れてしまった。

 呼び出しを押すと、彼女はすぐにすっ飛んできた。


「どうした?もしかして一緒に入りたくな「違う。シャンプーとか借りてもいい?忘れちゃったから」あ、はーい。どうぞ」


 彼女に一言断って、彼女がいつも使っているシャンプーを借りて髪を洗う。ボディソープも、リンスも全て借りたため、洗い流すると自分の身体から彼女の匂いが漂ってきてドキドキしてしまう。まるで彼女に包まれているみたいだ。


「……海菜。お風呂どうぞ」


「……ん」


「……あの」


「ん? どうしたの?」


「……へ、部屋で……待ってるわね……」


「……ダッシュで行くね」


「ゆ、ゆっくり入ってて! 一時間くらい!」


 彼女を脱衣所まで連れて行き、押し込み、扉を閉めて二階の彼女の部屋に逃げ込む。


 どうしても、ベッドに視線がいってしまう。女子高生一人が寝るには少し大きめなサイズ。

 乗り上がり横になると、やはり広い。

 私が使っているベッドより一回り大きい。

 同じ女性で、同じ歳。誕生日は私の方が一ヶ月早い。だけど体格の差は男女のそれと同じくらいある。身長差だけでも20㎝ある。私が163で、彼女が183。私からキスをする時は背伸びをしないと届かない。

 ちなみに恋人同士の身長は、15㎝が理想らしい。

 あと5㎝。今からでも伸ばせるだろうか。…いや、むしろ私より彼女の方が伸びそうだ。出来ればもうこのくらいで止まってほしい。お互いに。


「……」


 カチ、カチ、カチ……という時計の音が、いつもより大きく、そしてゆっくりに聞こえる。

 そういえば、私は体育の時間、クラスメイトの女子達と同じ部屋で着替えている。クラスの女子に裸を見られている。しかし、彼女はいつも別室で一人。つまり、彼女の裸を見たことがある人は家族以外いない。中学までは普通に同級生と着替えていたらしいが、今は私だけが……。

 なるほど、逆の立場だと私もちょっと嫉妬してしまうかもしれない。


 彼女は女性だ。だけど、たまに疑ってしまう。顔や身長のせいもあるのだが、女性かと疑うくらいたくましい身体つきをしている。この間、体操服をパタパタしている時にちらっと見えた腹筋はうっすらと割れていた。ちなみに、満ちゃんも割れている。何をしたらあんな身体になるのやら。


「……」


 一時間くらい入っていてとは言ったが、本当に一時間入っている気だろうか。

 長いなと思って時計を確認するが、まだ部屋にきて五分くらいしか経っていなかった。時計が止まっているのかと疑い、スマホで時間を確認するが、時計とほぼ同じ時間—午後8時過ぎを指している。


「……」


 彼女のベッドにある抱き枕を抱きしめる。彼女はいつもこれを抱いて寝ているのだろう。抱き枕がないと眠れないと言っていた。

 彼女の匂いがする。抱き枕からも、ベッドからも、それから、自分自身からも。

 触れたい。触れてほしい。抱き枕を抱きしめて、自分で自分を慰めたくなる気持ちを必死に抑える。


「海菜の馬鹿……」


 何故一時間待ってなんて言ってしまったのだろうか。散々焦らされてもうギリギリなのに、さらに自分から焦らすようなことを言ってしまったことを後悔する。


 しばらくすると、こんこんとノックする音が聞こえた。「百合香、入るね」という海菜の声。待てずにこちらから迎えに行き、ドアを開けた瞬間に彼女の唇を求める。


「うおっ!ゆり……っ……」


 彼女は一瞬戸惑う様子を見せたが、一瞬にしてスイッチを切り替えて攻めの姿勢に転じる。思わず身を引いてしまうが、腰をぐいっと引き寄せられ逃げられない。


「ん……うみ……な……」


「……ん……ふ……」


 壁に押し付けられ、息も出来ないほどの激しいキスをされ、足が震えてしまう。立って居られなくなってしまう。


「っ……!」


 腰を抜かしてしまうと抱き止められ、そのまま抱き上げられる。


「……百合香。ごめん。ちょっと焦らしすぎたね」


 彼女は荒い息を吐きながらそう言って、私をベッドに下ろすと「もう少しだけ待ってね」と私の額にキスを落とした。私がぐったりとして、呼吸を整えながらボーっとする頭に酸素を取り入れている間に、彼女は扉を閉め、遮光カーテンを閉め、電気を消し、ベッドの横の電気だけつける。

 ほんのりと柔らかい灯りが私を——私達を照らす。

 気付けば完全に準備が整えられてしまっていた。


 そこからはほとんど言葉を交わすことはなく—言葉を交わす余裕なんてなく、彼女は私を激しく、そして優しく求めた。

 私から触れたいなんて言ったが、そんな余裕は一切なかった。そもそも始まる前のキスの時点で身体に力が入らなくなり、彼女の手に導かれて触れるのがやっとだった。文字通り、触れることしか出来なかった。

 終始彼女のペースに飲まれ、一晩で何度頭が真っ白になったか分からない。

 事が終わり熱が冷めてくると、あまりのこなれ感に、やっぱり彼女は初めてじゃないんだと実感してしまい悲しくなって涙が出てきた。


「大丈夫?」


 と彼女は優しく私を抱きしめる。素直に涙の理由を話すと彼女はごめんねと謝りながら優しいキスをしてくれた。


「……この先、君と別れない限りは君以外の人とこういうことしないから。……それは信じてね」


「……ごめんなさい。過去は変えられないのに」


「ううん。……私も、君に元カレがいるって事実が気に入らないから。……キスもその先も私が初めてって話を聞いた時嬉しかったよ」


 そう言ってちゅっ、ちゅっ……と軽いキスを繰り返しながら足を絡めて私の腰を撫でる。もう一回する流れに持ち込もうとしているとすぐに察し、止めようと彼女を押し返すが、逆に引き寄せられる。


「ちょっ……うみ……うみな……明日学校……火曜日……まだ4日もあるから……」


「ふふ。ごめんね。私、全然足りないからもうちょっとだけ付き合って」


「ちょっとって……あっ——!」





 結局その日は一睡もできず、気付けば日が登っていた。

「今日はこのまま学校サボっちゃおうか」などという悪魔の誘いを振り切り、全身筋肉痛になった身体を引きずりながらなんとか登校したが、その日の授業は一切頭に入らなかった。

 期末で成績が下がったら確実に海菜のせいだ。

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