第34話:二日目・昼

 2日目。朝食後、少し休憩をしてハイキングが始まった。


「……月島さん、筋肉痛になってないの?」


「いや、全く」


「……遅れてくるタイプ?」


「年寄りかよ」


 久我くんは昨日の疲れが残っているのか、時々立ち止まってしまう。彼のペースに合わせながらゆっくりと進む。

 満ちゃんはいつも通りだ。彼と同じくらい——いや、それ以上働いていたにというのに。


「久我くん、大丈夫だよ。歩けなくなったら担いでくれるから。満ちゃんが」


「お前が担げ」


「私の腕は百合香のために空けておかなきゃいけないので」


「結構です。最後まで自力で歩くから」


 とはいえ、この険しい山道を登り、山頂で昼食を取って休憩した後下り、夜はナイトハイクでまた歩き回らされる。

 昨日よりハードなスケジュールだ。考えるだけで早くも憂鬱な気分になってしまう。


「泉くんは大丈夫?」


「足は大丈夫だけど、腕がちょっと筋肉痛」


「加瀬くんなんかやったっけ」


「……バスに荷物詰め込んだ」


「あー……えっ、あれで?貧弱すぎん?」


「月島さんと鈴木くんが体力おばけなんだよ」


 私は昨日は調理を手伝ったくらいで特に筋肉痛になるほどのことはしていないが、少々寝不足気味なせいか頭がぼんやりしている。海菜のせいだ。


「眠そうだね? 百合香」


「あなたが夜中に抱きついてくるから」


「あはは……ごめんね。寝相悪くて」


 申し訳なさそうに苦笑いしながら謝る海菜。わざとじゃないんだよという顔をしているが、どうも疑ってしまう。

 私が疑っていることを察し、その顔のまま「本当に寝てたからね」と念を押してきた。それでも疑ってしまう。


「な? だから言っただろ? 暑苦しいって」


「満ちゃん、今日場所代わってね」


「ははっ。絶対やだ。私はもううみちゃんの抱き枕はから」


?」


 その表現に少々引っかかってしまうが、満ちゃんは「変なこと言った?」と苦笑いしながら首を傾げる。


「ふふ。幼い頃の話だよ。よくでお泊まりしてたんだ。ね?満ちゃん」


「そう。毎回毎回抱き枕にされてさ……望の方に転がしても絶対こっち来るんだよこいつ」


「……望って、二組の星野くん?」


「そう」


「仲良すぎだろ」


「小さい頃の話だよ。最後に三人で寝たのは高校の合格発表の日だったよね」


「最近じゃねぇかよ」


「でもその日は望とは別の部屋で寝たよ」


「流美さんとお前に挟まれて地獄だったな」


 流美さんというと星野くんのお姉さんだ。私はあまり詳しくは無いが、そこそこ有名な声優らしい。本名そのままで活動しているようだが、名前を出してしまっていいのだろうか。以前会ったときはルミコと名乗っていたのに。


「ルミさん?」


「望のお姉さん」


 久我くんの疑問に答えてから、満ちゃんがしまったという顔をする。


「へぇ……星野くんのお姉さんって星野流美と同姓同名なんだな」


 久我くんは星野流美さんのことを知ってはいるものの、まさか本人だとは思わないようだ。

 加瀬くんは「星野流美って誰?」と首を傾げる。


「泉しらない? 声優の星野流美」


「声優かぁ……詳しくないからなぁ……」


「アニオタ界隈では知らない人は居ないのに!」


「ごめん。アニメ詳しくないんだ」


「最近映画にも出てた。タイトル忘れたけど、不倫物のBL」


「……かな」


「あ、多分それだわ。<僕をクズだと言ってくれ>だっけ?」


「<僕をクズだと罵ってくれ>だよ」


「泉くん、好きなの?」


「まぁ……うん。好き……かな。……BLは正直苦手なんだけど……原作者の鈴音先生のファンでね」


「BL苦手なの?」


 意外そうな顔をする久我くん。BLというと男性同士の恋愛物のことだ。


「ゲイなのに…って言いたげな顔だね」


 久我くんの反応に不快そうな顔をする加瀬くん。ゲイだからといってBL好きだと思わないでくれと言いたいのだろう。


「あー…ごめん」


「いや、いいよ。男性同士のリアルな恋愛を描いたBLは好きなんだけど、とかとか、そういうアオリがついてると避けちゃうんだ。普通じゃないって言われてるみたいで辛い」


「泉は普通の男の子だよ。恋愛対象が同性ってだけ。……なんて、今の俺はそうやって言えるけど、鈴木くんに出会ってなかったら俺はきっと、泉のこと避けてたと思う」


「俺も、鈴木くんに出会わなかったら自分がゲイであることに誇りを持てなかったよ。今も彼女とずるずる付き合ってたと思う」


 私も海菜と出会って変わった。松原さんも彼女に勇気を貰って先輩に告白出来たと言っていた。きっと、彼女の影響で変わった人は私達だけではないだろう。

 人の人生に良い影響を与えることは良いことだ。だけど、彼女の優しさに触れて、彼女を好きになってしまう人もいる。それは一人や二人ではない。そのことが私は気がかりだ。

 もちろん、彼女が私以外の人の好意に応えることなんてないと信じているが、それでも、他人から好意を向けられる彼女を見ていると嫉妬せずにはいられない。私以外の人に見せないように、私以外の人を見ないように、閉じ込めてしまいたいなんてどす黒い感情が湧き上がってしまうのだ。

 しかしそんな醜い独占欲も、彼女に手を握られ、優しく微笑まれるだけですぐに浄化されてしまう。


「ふふ。今妬いてたでしょ」


「……どこに妬く要素があったのよ」


「ふふふ」


 握られた手に三人の冷めた視線が集まる。

 振り払おうとするが海菜はしっかりと指を絡めて離してはくれない。仕方なくそのまま、彼女の指を引っ掛けたまま歩く。

 握り返してと言わんばかりにとんとんと手の甲を叩かれ、仕方なく指を閉じる。

 手から彼女の体温が伝わってくる。それだけでドキドキしてしまう。

 お預け解禁日まであと4日—なんて邪な考えを必死に搔き消した。





「はー……疲れた……」


 山頂に着くなり、加瀬くんと久我くんは近くにあった椅子に座り込んで木の机にぐったりと頭を埋めた。周りの同級生達もみんな疲れ切っている。私も。元気なのは一部だけだ。


「……夜ってまた歩くんだっけ」


「うん。ご飯食べて、クラス写真撮って、山降りて、テント張って、一旦センター戻ってお風呂入ってからナイトハイク」


「はー……野外学習終わったら一週間くらい休みにしてくれー……」


 今日は木曜日。明日で野外学習が終わり、土日を挟んでまた月曜日から普通に授業が始まる。

 きっと疲れ果てて、今週の土日はどこかに出かける気分にはなれないだろう。幸い、バイトも入っていない。


「はい、みんなお疲れ様」


 海菜が全員分の弁当を貰ってきてくれた。彼女にお礼を言っていただきますと挨拶をしてから食事を始める。


「海菜は土日何するの?」


「特に何も。空いてるよ。うち来る?」


「……疲れてると思うから家から出たくない」


「じゃあ私が行こうか」


 そういえば、私が海菜の家に行くばかりで海菜を私の家に呼んだことはまだない。

 日中、母はほとんどずっと家にいるが、母も海菜に会いたいと言ってくれている。家に呼んでも大丈夫だろう。彼女とは母公認の元で付き合っているのだから。


「良いわよ。来たいなら来ても」


「わーい。じゃあ行く。土曜日がいい?日曜日がいい?」


「日曜日」


「ん。じゃあ日曜日の朝行くね」


「多分お母さん居るけど……良い?」


「うん。私のこと認めてもらえたんでしょう?」


「一応。会ってみたいって言ってる」


「……大丈夫か?殺されね?」


 満ちゃんは以前、母が海菜の家に来た時の様子を見ていた。あれを見ていたらそう心配してしまうのも無理はない。


「大丈夫よ。もう大丈夫。分かってもらえたから」


「親に話す時って、やっぱり緊張した?」


「鈴木くんはしなさそうだよな」


「したよ。親が初めてのカミングアウト相手だったから」


「えっ、月島さんとか星野くんが先じゃないんだ」


 まずは親、次に幼馴染の星野くん達、そして初恋の人の順番だったと聞いている。公言したのは異性愛者だと勝手に決めつけられるのが嫌になったから。


「私の親——というか、母さんがたまたまセクシャルマイノリティに詳しくてね。だから意外とあっさりしてた。あぁそうなの?って感じ。だから、セクシャルマイノリティであることなんて別に大したことないんだなって思えたんだ。ただの個性なんだなって」


「個性……か」


「そう。私は女性の身体を持って生まれて、恋愛対象が女性で、心はどちらとも言えない。ただそれだけ。そのことが他人に対して与える影響なんてほとんどないでしょう?…まぁ、私に惚れちゃった男性からしたら、性別というどうしようもない理由でフラれるのはしんどいかもしれないけどね。性別が理由で恋が叶わない辛さは痛いほどわかるから」


「そうだね」と加瀬くん。辛い経験してきたんだなぁと同情の空気になるが、海菜はその空気を吹き飛ばすようにあっけらかんと笑いながら続ける。


「と言ってもまぁ、私の恋は二回とも性別なんて関係なかったんだけどね。初恋の人にはきっと男でもフラれてたし、百合香は私が男でも好きになってくれてたから。百合香は私が男でも好きになってくれてたから」


「二回も言わなくていい」


「あははー。……でも、私は残念ながら百合香が男だったら、あるいは心は今のままでも身体が男だったら、今の関係にはなれなかった。……たまにその差が少しだけ悔しくなるんだ」


「別にいいじゃない。結果的にこうなってるんだから」


「うん……。でも、私はどの世界線でも君と結ばれたい」


「あなたって、キザな人ね」


 三人の冷めた視線と、それとは対照的な彼女の熱い視線に耐えられず、彼女から顔を逸らす。


「流石にキモいわ」


 ズバッと冷めた声で言う満ちゃん。


「えー……ありがとう」


「お礼言うなよドM王子」


「いや、満ちゃんの暴言は大体褒め言葉だから」


 普通は今の海菜の発言は、重いとか気持ち悪いとか感じるのだろうか。

 今の私は彼女の今の言葉を嬉しいと感じている。いつかこのドキドキが消えた時に同じことを言われたら、私はどう感じるのだろう。引くだろうか。

 いや、それでも多分、嬉しいと感じると思う。

 私は彼女に恋をしている。同時に、彼女を愛している。彼女と同じように、どの世界線でも彼女と結ばれたいと思ってしまうほどに。

 私の身勝手な理由で別れた元カレのことは好きだったが、ここまで強い気持ちはなかった。きっとこの先、彼女以上に好きになれる人は現れないと思う。

 そして、彼女以上に私を愛してくれる人もこの先現れない気がする。なんて、恥ずかしくてここでは言えないが。

 まぁ、言えなくたって、彼女には私の想いは筒抜けかもしれないが。いつもの憎たらしいにやけ顔が語っている。『君も私と同じ気持ちでしょう?』と。

 ムカつくその顔を摘むと、彼女はデレデレの笑顔を浮かべた。


「……ラブラブすぎて居た堪れない」


「……私は今夜もこのバカップルと同じ空間で寝るんだよ。控えめに言って地獄」


「俺、月島さんに同情するわ……」


「なんだかんだ言いながら満ちゃん昨日ぐっすりだったくせに。一番早かったじゃん。あと、寝言で私の名前呼んでたよ」


「嘘つけ。お前は夢に出てきてねぇよ」


「えー! 私の夢には勝手に出てきたくせに!」


「しらねぇよ」


「……私じゃないの?」


 と、思わず不満を口にしてしまってから彼女のにやけ顔を見て、妬いている私を見たくてわざと言ったのだと察する。


「そういうの良くないわよ海菜」


 ムカつくにやけ顔を抓るが、手を離してもその顔が元に戻ることはなかった。

 今日はやけにご機嫌だ。無理して明るく振る舞っているわけではなく、おそらく自然な明るさだ。その眩しい笑顔に絆され、怒る気になれなくなってしまう。


「鈴木くんなんか今日やけにテンション高いな。クスリでもやってんの?」


「恋という名の麻薬なら常に摂取してるけど」


「……あー……はいはい」


「……麻薬ねぇ……まぁ確かに危険薬物みたいなもんだよなぁ……」


「月島さん分からないんじゃないの?」


「いや、恋で狂ってる人間は何人か見てるからよく分かる。こいつとか、私に殺意向けてくるあの人とか」


「あー……昨日話してたヤンデレさんか……」


「ヤンデレ?」


 初めて聞く言葉だ。ツンデレの親戚みたいなものかと問うとそうだねと久我くんは頷く。


「"病んでるデレ"の略。歪んだ愛情……みたいな?」


「……なるほど」


「小桜さんアニメ見ないタイプ? 星野流美知ってるから詳しいかと思った」


「星野流美さんは友達がファンだから知ってるだけ」


 名前を出すと、私達の会話が聞こえていたのか近くでご飯を食べていた星野くんが軽くむせた。


「ど、どうした星野」


「いや……ご飯が変なとこ入った……」


「だ、大丈夫? お茶……って、空っぽじゃん」


「わ、私ので良ければどうぞ!」


「すまん…ありがとう」


 星野くんははるちゃんから渡されたお茶をなんの抵抗もなくペットボトルに口をつけて飲みながら、ちらっと私達の方を見て、言わないでくれよと目で合図する。はるちゃんは顔を真っ赤にしてペットボトルと星野くんを交互に見ていたが、星野くんはそんなことよりも姉の件が気がかりらしく、気付く様子はない。

 星野くんは姉が有名人であることは極力話したくないと言っていた。約束を破る気はない。

 アイコンタクトに気付いた加瀬くんが首を傾げ、星野くんの方を見る。それに気付いた久我くんももしかして……と星野くんの方を見た。


「どうした?」


 なんでもない風を装い、星野くんは首を傾げる。むしろはるちゃんの方が挙動不審だ。


「星野くん、星野流美さんのファンなの?」


「……まぁ、うん」

 

 なんだバレてないのかとホッとする星野くん。そしてふと挙動不審なはるちゃんに気づき、首をかしげる。ペットボトルを見て、ようやく彼女が真っ赤になっている理由を理解したのか、『あっ……としまった』という顔をして「ごめん」と謝った。


「す、すまん……俺、回し飲みとかあまり気にしないから……えっと……どうしようか……拭こうか?」


「い、いえ! このままでお願いします!」


「えっ」


「はっ……ち、違うんですよ!? 間接キスが嬉しいとかじゃなくてですね!?」


 パニックになっているのか、自爆してしまうはるちゃん。ぽかんとする星野くんを見て自分の失言に気づき、声にならない声で叫ぶ。


「嬉しい……って……」


「ド、ドン引きだよね!? そうだよね!? ごめんね気持ち悪くて!」


「いや……その……びっくりはしてる……けど……俺が思っている意味なら……別に……不快では……無い……」


 星野くんが途切れ途切れに呟くと、空気が静まり返る。二人に視線が集まる。しばらくしてはるちゃんが「日曜日お暇ですか」と呟いた。


「え、う、うん。日曜日?今週の?」


「うん。……その……この話の続きはその日に…」


「……うん。分かった」


「……はい。……あ、お、お茶は……どうぞ……もう……もらってください……」


「あ、あぁ……ありがとう。新しいお茶貰えるか聞いてくる」


「あ……うん……ありがとうございます……」


 席を立ち上がりお茶をもらいに行く星野くん。近くに座っていた同じ班の生徒に茶化されるはるちゃん。

 甘酸っぱい空気にあてられてこっちまで恥ずかしくなってきた。


「ふふ。あんな可愛い望初めてみた」


 そう呟く海菜は優しい顔をしていた。

 はるちゃん達はこれからどうなるのだろう。月曜日にいい報告が聞けるだろうか。

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