第33話:一日目・夜(side海菜)
みんなが大浴場に行く中、私は一人で個室の風呂を借りる。
私は女性愛者であることを公言している。別に女性にという性を持つ人に対して無差別に欲情するわけではないし、そのことはみんな理解してくれているだろう。しかし、浴場や着替えの場はどうしても気まずい。
そもそも私自身、裸を見られるのが苦手だ。服を脱ぐと『やっぱり鈴木くんも女の子なんだ』と言われてしまうから。確かに私は女の子なのだが、それを確かめないでほしい。
女性として見られるのはどうも苦手だ。可愛い小物を持っていたり、料理や裁縫が得意だったり、甘いものが好きだったり、少女漫画が好きだったり…私のそういう一面を見るとみんなは『意外と女の子らしいところあるんだ』と言う。私は女だ。その自覚はある。だけど、女の子らしいと言われることがどうも苦手だ。特に、恋愛的な意味でそう言われると気持ち悪くて仕方ない。それは男性からでも、女性からでも変わらない。
百合香は私が女性だから好きになったわけでは無いという。かといって、私の男性的な面を好きになったわけではない。女性的な面も、男性的な面も含めて、私という人間が好きなのだと。私が女性であっても男性であってもきっと気持ちは変わらないのだと。
これ以上にない嬉しい言葉だが、残念ながら、私は彼女に同じことを言えない。
私は彼女を女性として愛している。男性だったら、あるいはトランス女性だったら、人としては愛せるが恋愛感情は抱かなかっただろう。トランス男性だった場合はどうかと問われると、身体が女性なら恋愛対象として見れるが、性別を移行してしまうとショックかもしれない。
決して、彼女の身体だけを愛しているわけでは無い。人として、心も含めて愛している。けれど恋愛的な意味で愛せるのは女性の身体を持つ彼女だけだ。
例えば彼女が男性に性別を移行したいと言っても私は受け入れることが出来ない。
彼女はどうか分からないが、私が男性であっても愛は変わらないというのだから、恐らく私が性別を移行しても今まで通り愛してくれるのだろう。
ここがパンセクシャルである彼女と私の大きな違いだ。私はそれは仕方ないことだと理解しながらも、少しだけ悔しい。
私も彼女に「君が男性でも変わらず愛せるよ」と言いたい。言いたいが、嘘になってしまうから言えない。それが少し悔しい。
まぁ…結果的に彼女は女性で、私達は恋人同士だからそんな別世界の話はどうでもいいといえばどうでもいいのだが。
「……百合香と一緒に入りたかったなぁ」
一人で湯船に浸かって呟く。ダメ元で「一緒に入る?」と誘ったが断られてしまった。
女性同士の距離感は男性同士より近い傾向にある。「おっぱい触っていい?」という男性から言われればセクハラになるセリフも、同性というだけで許されることがある。小春ちゃんとか、夏美ちゃんとか、クラスメイトの女子とかが百合香の胸を何気なくつんつん突いている姿を見てしまうとどうしてもモヤモヤしてしまう。同性同士特有のコミュニケーションの一環でしかないのは分かっているが、少しくらいは嫌がってほしい。私でもまだほとんど触れたことが無いのに。『付き合って一ヶ月経つまでお預けね』なんて言ってしまった私が悪いのだが。
「……5日後か」
お預け解禁日まであと5日。その日彼女はどうする気なのだろうか。もはや、やっぱりやめておこうという空気ではない。
カウントダウンをするたび、早く触れたい、早く触れてほしいという気持ちが怖いほど伝わってくる。そのおかげで私も、彼女をこれ以上好きになるのが怖いなんて気持ちはほとんど無くなった。今はもう、5日後が楽しみで仕方ない。早く、彼女に触れたい。焦らされているのは私自身もだ。
と、色々と考えているうちに膨らんできてしまった劣情を、一旦発散してから風呂を上がる。
こういう時、男性でなくて良かったとつくづく思う。下手すると服を着ていても邪なことを考えていることが簡単にバレてしまうから。
部屋に戻ると、部屋の前に彼女達の姿はなかった。恐らく先に戻るからと、鍵は私が持っている。中にいることはないはずだ。
鍵を開けて中に入る。当たり前だが、誰もいない。
押し入れから布団を出し、三つ並べて敷く。
さて、左右と真ん中、二人はどこを取るだろうか。
満ちゃんは私の隣は嫌がるだろう。寝ている間に抱き枕にされるから。私はどうしても、何かを抱いていないと落ち着いて寝られない。隣に添い寝する人が居ると抱きついてしまう。
恐らく百合香も私の隣は避けると思う。三つしかないのだからどちらかは私の隣になるのだが。
私は百合香の隣になればどこでも良い。私と百合香が隣り合わないのは満ちゃんが真ん中を選んだ時だけ。満ちゃんは真ん中は選ばない。私達に挟まれたくはないだろうから。
百合香はきっと、絶対に私の隣は嫌だと強く主張することはないだろう。満ちゃんが嫌だと言えば「仕方ないわね」と譲るはずだ。
とまぁ、そんなわけだからどこを選ぼうとも私と百合香は隣り合わせになるだろう。
布団を敷き終わったところで、インターフォンが鳴る。
扉を開けると居たのは百合香だけだった。
「あれ?満ちゃんは?」
私の疑問に彼女は「まだ入ってる」と目を逸らしながら答える。「じゃあちょっとの間二人きりだね」と私が言うと、彼女はこくりと頷いた。私と二人きりになりたくてちょっと早めに出てきたのだろうか。
堪らなくなり、彼女を強引に部屋に引き入れて抱き寄せ、扉を閉める。
「……ふふ。お風呂上がりだから良い匂いがするね」
「や、やだ……嗅がないで」
いつもと違う匂いがする。それを指摘すると彼女は「そんなところ気づかなくて良い」と恥ずかしそうに私の胸に顔を埋めた。
洗い立ての綺麗な髪を撫でていると、ふと彼女が顔を上げ、目が合う。誘うような瞳に吸い寄せられると、彼女の方も私に吸い寄せられてきた。
どちらからともなく唇を重ねる。
ちゅっ、ちゅっ、と触れるだけの軽いキスを繰り返す。あんまり深いキスをするとここがどこだか忘れてしまいそうになる。
しかし彼女は物足りなかったのか、私の唇をはむ……と歯を立てずに甘噛みしてきた。思わず驚いて声を漏らしてしまうと、開いてしまった唇の隙間から舌がぬるりと入り込んできた。
彼女の方から求めてくれることはこの上なく嬉しい。嬉しいけれど、ちょっと待ってくれ。
「はぁ……海菜……」
止めようとするより早く、彼女の手がTシャツの中に入り込んできた。
素肌を撫でられると、鳥肌が立ってしまう。
「……っ……百合香……ストップ……!」
思わず突き放してしまう。
今私、一瞬だが、彼女を怖いと思ってしまった。だけど、ドキドキしている。不快ではない。怖かったが、不快ではない。
「……ごめんなさい」
「……ううん。……ちょっとびっくりしたけど…」
「ドキドキした」その事実がなんか悔しい。私は攻めるのは好きだが、攻められるのはあまり慣れていないのだ。自分から甘えて「してほしい」と頼むことはあっても、向こうからガツガツ来られるとどうしても身構えてしまう。あくまでも、主導権は私が握っていたい。満ちゃんとしていた時もいつだって主導権は私が握っていた。彼女が攻める時も、あくまで私がさせてあげていただけだ。だけど……百合香になら、主導権を渡してもいいかなと思ってしまった。強引に攻められるのも悪くないなとか思ってしまった。それほどまでに、心を許しているということなのだろう。そのことがなんだか悔しい。
「ねぇ海菜……」
攻められなれていない私に気づいたのか、彼女は少し背伸びをし、私の耳元で囁く。「5日後が楽しみね」と。どうやら、私を抱くつもりでいるようだ。悪いがそれはちょっと譲れない。初めてなのだから、素直に私にリードされてほしい。
「あんまり私を煽ると後悔するよ」
耳元で囁き返し、耳にキスを落とす。びくりと身体を跳ねさせて悔しそうに真っ赤な顔で私を睨んだ。今みたいに強気な彼女も悪くはない。だけどやはり、私は攻められるより攻めたい。
「ふふ。どっちが演技だと思う?」
「……今が演技であってほしいわね」
「ふぅん……そっか。……そっか」
もしかしたら彼女も攻められるより攻めたい派なのかもしれない。だけど、彼女にならきっと、攻められても大丈夫だ。可愛いと囁かれ、鳴かされても、相手が彼女ならきっと。こんな気持ち初めてで、少し怖い。だけど不快ではない。
「……やっぱり私、君を好きになって良かったなぁ」
呟くと、彼女は「何かあった?」と心配そうに問う。
「……うん。……色々あるよ。……今度改めてちゃんと話すからちょっと待ってて」
女性として見られることに対して恐怖を感じてしまうことはちゃんと話した方がいいだろう。
「……分かった。待ってるわね」
「……うん。……私を好きになってくれてありがとね。百合香。さて、いい加減中入ろっか。こんな玄関先でいちゃついてたら満ちゃんに舌打ちされちゃう」
「そ、そうね……」
満ちゃんは未だ帰ってこないが、いつ開けられるか分からない。
中に入り、三つ並べた布団の中の真ん中の布団を陣取る。
「私ここね」
これでもう私の隣しか空いていない。
彼女はムッとしながらも渋々私の右隣の布団に転がった。
「百合香はここでしょ?」
布団をめくり、おいでと布団を叩いて揶揄う。すると彼女は私に冷めた視線を向けながら隣り合う布団を引き離そうとする。
「冗談だから。隣に居て」
「……寝てる間にこっち来ないでね」
「寝相あんまりよくないから保証はできないけど…寝てる間に襲ったりとか、そういうことはしないから安心して隣で寝ていいよ。『声出したらバレちゃうよ』とか、そんなAVみたいなことしないから」
「AVってあなたね……」
あなた、18歳未満でしょうと冷めた視線を向ける彼女。
「でもさ、なんだかんだでみんな見てるでしょ。そういうの興味あるお年頃じゃん?」
「……私は見てない」
「じゃあ、もうちょっと大人になったら一緒に見ようね」
「絶対嫌」
「あははー」
いつも通りな私にため息をつきつつ
「……私はどんなあなたも好きよ」
と言う彼女。私が何か不安を抱えていることを察してくれているのだろう。そんな彼女だから、抱かれてもいいなんて思えてしまうのかもしれない。私の女性的な一面を見ても彼女は幻滅しないと安心できるから。
「私も。どんな君も好きだよ」
可愛い彼女が好き。だけど、カッコいい彼女も好き。彼女の前でなら女性で居てもいい。可愛い私で居てもいい。そう思えるほど好きになった人は初めてだ。この先、例え彼女と別れることになったとしても、彼女以上に好きになれる人はきっと現れないだろう。
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