一章:女の子だからじゃない
第24話:異性愛者は多数派なだけ
土日が明け、水曜日。今日からテスト週間に入るため、全部活が休みとなる。だからなのか、なんだか朝から一部の生徒のテンションが高い。
「加瀬くんー、放課後カラオケ行かね?」
「勉強したいからごめん」
「相変わらず真面目ちゃんだなぁ…せっかくの休みなのに」
「あのねぇ何のための休みか分かってるの?」
加瀬くんの呆れる声が聞こえる。彼に絡んでいるのはクラスメイトの
ちなみに、私の席は窓際の一番後ろになり、海菜とは前後から隣同士になった。満ちゃんは私の前。海菜の後ろは黒板が見づらいが、隠れて居眠りしやすかったらしく、嘆いていた。そして海菜の前に加瀬くん。ちなみに、久我くんの席は私と対極の場所。つまり、廊下側の一列目の一番前。それでも、休み時間になると大体こっちにやってくる。よっぽど加瀬くんに懐いているようだ。
「じゃあ、鈴木くんは?カラオケ行かない?」
「ごめんね。私も勉強会」
その勉強会には私も誘われている。
「鈴木くんは必要なくね?」
「満ちゃんがヤバいから」
「あー…」
「…いや、私、数学以外はそんなやばくねぇから」
「いやいや、満ちゃんが得意なの保体だけじゃん」
「保体得意なの?やらしー」
「うるせぇな童貞」
「高校生くらいならみんなほぼ童貞だから。童貞じゃない方が珍しいから。な?加瀬くん」
「…女子の前でそういう話する?」
「いや、ふってきたのは月島さんだから」
「童貞だっていうほど勉強出来るわけじゃないだろ。余裕こいてて大丈夫か?」
「…俺の名前、童貞じゃなくて久我輝夜なんですけど。てか、女の子がそんな童貞童貞連呼するなよ」
"ドウテイ"という言葉の意味はわからないが、下品な会話をしているということは何となく分かる。
「満ちゃん、久我くん。ハニーの前で下品な言葉使わないで」
「…海菜、ハニーはやめて」
「あはは。ごめんねアモーレ」
「…もっと嫌なのだけど」
「じゃあ、子猫ちゃん」
「…それ以上ふざけるなら今日一日口聞かないから」
「えー?一日も耐えられる?」
憎たらしいニヤケ顔をつねる。
「小桜さんってさぁ、鈴木くんのどこが好きなの?やっぱ顔?」
久我くんがニヤニヤしながら私に問う。顔も確かにそうかもしれない。優しい声も好きだ。それから、甘えたがりなところとか、強がりなところとか。わがままなところもあるけれど、本当に私が嫌がるわがままは言わない。「私のこと好きでしょう?」と言いたげな自信に満ち溢れた憎たらしい顔も、私のことを揶揄う悪戯っ子のような顔も、なんだかんだで愛おしく思ってしまう。だけどこれはあまり言いたくはない。すぐに調子に乗るから。
だけど、嫌いなところだってある。例えばこの、私を揶揄う憎たらしいニヤケ顔。この顔を愛しいと思わされてしまうほど惚れてしまっている事実が、悔しくて仕方ない。
「…こういう顔は嫌い」
「でも好きでしょ?」
「そういうところも嫌い」
「あははー」
「その笑い方も嫌い」
嫌いだと連呼しても、彼女はショックを受けるどころか喜んでいるように見える。その顔を見て久我くんはちょっと引いていた。
「…鈴木くん、ドMなの?」
「違うよ。百合香の嫌いは好きの類義語だから。ね?」
「……自惚れよ」
「そうかなぁ。ふふ」
「……で、結局どこが好きなの?」
「知らないわよ……そんなの……」
「じゃあ鈴木くんは?」と久我くんは私にした質問と同じ問いを海菜にかける。すると、恥ずかしくて耳を塞ぎたくなるほど、彼女の口から止めどなく私への愛の言葉が紡がれる。質問をした本人が止めるほど。
「聞いてるこっちが恥ずかしくなる……」
「……鈴木くん、恥じらいとかないの?」
「そりゃあるよ。でも、人に対して好きを伝えることにはあんまり恥じらいは無いんだ」
「……親が親だからなぁ」
「あははー」
そういえば海菜の両親は海菜の前で行ってらっしゃいのキスをすると言っていた。しかし、私の両親——というか父も大概だ。父に育てられた兄には恋人がいると聞いている。まさかとは思うが、兄もこんな感じなのだろうか。兄とは連絡は取り合っているものの、未だに会ってはいない。父から写真を見せてもらったが、朧げな記憶の中に存在する幼少期の兄の面影はあるものの、その写真の人物が私の兄であるという実感はあまりなかった。
「でもいいなぁ……俺も彼女欲しいー……月島さん、俺と付き合わない?」
久我くんが冗談っぽく言ったその瞬間「あ゛?」と満ちゃんの口から聞いたことないほど低い声が出た。私まで身震いしてしまうほどの殺気だ。
「じょ、冗談です……」
「……そもそも満ちゃんって、男の人とそういうこと出来るの?」
「無理だな。相手が女なら平気なんだが」
「……相手が女なら平気って……」
「……何想像してんだよ」
「……いや、何も」
「……月島さんもレズビアンってこと?」
加瀬くんが首を傾げながら問うと、満ちゃんも困ったように首を傾げた。
「うみちゃん曰く、アロマンティックらしい」
「アロマンティック?」
「人に対して恋愛感情を抱かない人のことね」
「そんな言葉があるんだ……」
感心する加瀬くんと久我くん。私も海菜から教えてもらって知った言葉だ。もらったノートにもしっかりと書いてあった。
「でもさ、高校生なんだし、初恋がまだなだけじゃね?」
「まぁ、その可能性もなくはないけどな。なくはないけど……自分的には、この先も誰かに恋をする日が来るとは思えない。土曜日にデートしたけど、やっぱりなんともなかったし。キスしたいとか、手を繋ぎたいとか、触れたいとか、そういうのは全く。でも、彼女のヴァイオリンの音を聴いている時だけはドキドキする。他の人の音にはドキドキしない」
「それは立派な恋だと思うけどなぁ……」
「独り占めしたいとか、私を見てほしいとか、彼女じゃなきゃダメとか、そういう気持ちは一切無いんだ。別に彼女が誰かを好きになって、その人と付き合うってなっても嫉妬しない。彼女が誰を好きになろうが構わない」
「ほな恋ちゃうかー……」
「ただのファンなんだよ。私は。でも……辛い想いはしてほしくないし、幸せになってほしい。彼女のこと、好きではあるんだ。けどこれはうみちゃんやユリエルに対する好きとほとんど変わらない」
恋や恋愛感情の定義は難しい。しかし、満ちゃん本人が恋愛感情とは少し違うと結論づけたならそれでいいのだろう。それは恋だと、他人が決めつけることではない。
「なるほどねぇ……好きだけど、恋とはちょっと違う……かぁ。難しいなぁ…」
「あ、柚樹さんが似たようなこと言ってた気がする」
「柚樹さんって……音楽部2年のギターの人?」
柚樹さんは有名人だ。悪い意味で。久我くんもその悪い噂を知っているのだろう。彼に対していい印象を持っていないことが顔に出ている。
「あぁ、実さんのお兄さんか。確かに、あの人は今まであった人の中で一番私に近いかもしれない」
「やっぱり?気が合いそうだと思った」
「……あまり良い噂は聞かないけど、噂とは違う感じ?」
怪訝そうな顔のまま、久我くんは尋ねる。
「一部は本当だって本人は言ってたけど、大体はフラれた女の子が逆恨みで流してるだけだよ。パートが同じだから一緒に練習することが多いんだけど、良い人だよ」
「……そうか。加瀬くんが言うなら信じるよ。同じ部活の先輩だもんな」
どうやら彼は噂を鵜呑みにして人を悪く言うタイプではないようだ。彼と話すことはあまりなかったが、素直で良い人そうだ。好感が持てる。
「てか、柚樹さんのこと悪く言う人多いけどさ、実際、誰でも良いって人多い気がするけど。自分に向けられる好意を利用したり、無理矢理迫ったりするのは悪いことだって分かるよ。けど、私は恋人が複数居たって良いと思うし、お互いに割り切っているなら最低だと罵られる理由なんてないと思うんだけど。責める権利があるのは実際に傷つけられた人だけだろ」
「恋人が複数って……それはどうなんだろう……俺は嫌だけど……。あ、でも一夫多妻とか一妻多夫制が認められている国もあるし、気にならない人もいるのかな……」
そういえば海菜のノートに、複数のパートナーと合意の上で恋愛関係を築く人もいると書いてあった。合意の上でという部分が太字で強調されており、『合意がなければただの浮気』とカッコ書きされていた。確か——あぁ、そうだ。思い出した
「ポリアモリーとモノガミー」
何?と海菜以外の三人が聞き慣れない単語に首を傾げる。ポリアモリーというのが、複数のパートナーと恋愛関係を築く恋愛スタイルで、モノガミーというのがその対義語。一対一の恋愛スタイル。つまり、恋愛は一対一でなければならないという考えは多数派ではあるが、多数派であるというだけで全員がそうであるわけではないということだ。加瀬くんが言ったように、国によっては一夫多妻や一妻多夫が認められている。日本では認められていないため、パートナーが何人いようとも、法のもとで配偶者になれるのはたった一人の異性だけだが。
「ノート、相当読み込んでるんだね」
「作った甲斐があったよ」と海菜は嬉しそうに笑う。
「ノート?」
「海菜がセクシャルマイノリティについてまとめたノートよ」
「セクシャル……?」
「いわゆるLGBTのこと。LGBTだけじゃなくて、もっと細かく分類されるんだって。俺も最近知った」
「アロマンティックもその一つだな。……てかうみちゃん、そんなノート作るとか暇かよ。まとめてたらキリないだろ。人の数だけあるって言われてんだろ?」
どうやら満ちゃんはノートの存在について知らなかったようだ。幼馴染の彼女さえ知らなかったものをもらっだということに少しだけ優越感を覚える。
「うん。だから全てはまとめられないけど、私はみんなに知ってほしいんだ。異性愛だけが全てじゃないって」
海菜のノートの最後には『このノートを読んでくれたあなたへ』と題して、長々と後書きが綴られていた。
もしも、あなたの中に世の中の全ての人間が異性と恋愛をするという常識があるのなら、そんな常識は自分の中から消し去ってほしい。自分の身近にはこのノートに綴られていたような人達はいないと決めつけないでほしい。このノートを綴った私は、女性として生まれて、初めて恋をした相手は女性でした。きっとこの先も、男性を好きになることはないと思います。
どうかお願いです。私達の存在を無いことにしないでください。私達はフィクションの登場人物でも、有名人のキャラ設定でもない。あなた達と同じ世界で生きる一人の人間であることを分かってほしい。
最後に。ノートに書き綴ったセクシャリティが全てではありません。ここに綴ったのは私が知る限りです。セクシャリティは人の数だけあると言われていて、もしかしら、あなたにぴたりと当てはまる言葉はこの中にも無いかもしれない。
それでも気を落とさないでください。あなたも私と同じ、人間という枠の中には収まっているはずです。
あなたが何者であっても、このノートを最後まで読もうと思ってくれたあなたを、セクシャルマイノリティについて興味を持ってくれたあなたを、私は敵だとは思いません。
綺麗で、そして力強い字だった。異性愛者だと決めつけられたり、『いつかは異性を好きになれる』と言われたりした現実に対する苛立ちも伝わるが、同時に優しさも伝わってくる文だった。
ちなみに、性自認と身体の性が一致する人のことを"シスジェンダー"、異性愛者のことを"ヘテロセクシャル"というらしい。つまり、セクシャルマイノリティと呼ばれない彼らは"シスジェンダーでヘテロセクシャルの人"とも言い換えられるようだ。そのこともしっかりとノートに記述してあった。
長い後書きからも分かるように、あのノートは元々誰かに見せるために作っていたのだろう。海菜の想いは母に届いただろうか。女性を愛した過去の自分を許せただろうか。
「……だから鈴木くんは自分が同性愛者だって堂々としてんの?」
「うん。隠したら異性愛者だって決めつけられるから。……それが嫌なんだ」
「そっか……言わなきゃわかんないもんなぁ……。俺、小桜さんのことも月島さんのことも異性愛者だと思ってたし。加瀬くんもそうだと思ってる。けど、違うかも知れないんだよな」
久我くんがそう言うと、加瀬くんは目を丸くした。そしてぼそっと呟くように言った。
「うん。俺は異性愛者じゃないよ」と。
「……そうか。女子にモテたいから学級委員に名乗り出たとか揶揄ってごめんな」
久我くんは素直に謝り、頭を下げた。加瀬くん首を振り、ありがとうと笑って話を続けた。
「……うん。ゲイなんだ。俺は。ずっと認められなかった。けど、鈴木くんに勇気を貰って、今はもう自分を否定しないって決めた。でも……広めないでね。ここだけの話にしておいてほしい。今はまだ、鈴木くんみたいに堂々とできない」
「……好きな奴いんの?」
「今は居ない。居ないというか……ずっと、諦めてた。……中学生の頃にさ、好きな人の好きな人に告白されたんだ。彼は俺が彼女と付き合えるように背中を押してくれて……結局俺は、彼女と付き合ってしまった」
「えっ、その彼女とは今は?」
「もう別れたよ。彼女には本当のことを全て話した。……鈴木くんに出会わなかったらきっと、今でもずるずる付き合ってる。……ありがとう。鈴木くん」
「私は何もしてないよ。謝ろうって決心したのは君だろ?」
「そうだよ。正直に全部話した加瀬くんは偉い。頑張った」
「久我くん……」
加瀬くんは目を丸くした後、ふふっとおかしそうに笑い出す。
「君、良い人だね。鬱陶しいとか思ってごめんね」
「鬱陶しいって思われてたの!?」
「そりゃ毎回毎回来られたらウザいだろ」
加瀬くんの言葉に「俺は友達だと思っていたのに」とショックを受ける久我くん。加瀬くんは意外とサラッと毒を吐くタイプのようだ。相手が久我くんだからかも知れないが。
「ごめんね。友達だと思ってくれてありがとう、久我くん」
「……加瀬くんは俺のこと友達だと思ってくれてる?」
「今からはそう思うことにするよ」
「今からって。……まぁ、良いけどさ。じゃあ、今から泉くんと俺は友達な」
「うん。分かったよ久我くん」
「そこは名前呼びするところー!」
「下の名前なんだっけ」
「嘘だろ!?
冗談だよと笑う加瀬くんは私を揶揄う時の海菜と同じ顔をしていた。
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