第21話:これ以上待つ必要ある?

「今朝はごめんね。百合香」


「別に怒ってないわ」


「そう?」


 お昼休み。満ちゃんは実さんのところへ行ってしまった。学校で海菜と二人で昼食を摂るのは初めてだ。


「満ちゃん、恋する乙女の顔してたねぇ」


 クスクスと海菜は笑う。


「…でも、ドキドキはしないから恋じゃないって言ってたわ」


「なんにせよ、恋愛感情には間違いないと思うなぁ。ふふ。上手くいくといいなぁ」


 なんだか海菜は楽しそうだ。しかし実さんは、前に付き合っていた恋人の女の子とは、自身の親に無理矢理別れさせられたと言っていた。彼女の恋人は娘をたぶらかした罪を着せられたらしい。

 その後彼女の元カノがどうなったかは知らないが、『わたしには自由に恋愛をする権利がない』という言葉から分かるように、同性を愛することを諦めているように見えた。

 少し前の自分に重ねて同情してしまうと、ふと、キスをされたことが蘇ってしまい、慌てて掻き消す。

 満ちゃんには見られた—というか彼女に見られるようにタイミングを見計らってされた—が、あれは無かったことにしておきたい。特に、海菜には知られたくない。


「あっ、百合香」


「何?」


 彼女に呼ばれて視線を戻すと、彼女の手が口元に伸びてきた。口元を軽く撫でると、指先に付いた米粒を私に見せて「ついてたよ」とふっと笑ってから指についたそれを自分の口に運んだ。


「…キスされると思った?」


「…思うわけないでしょ」


「ええ?期待するような顔してたけど」


「してません」


「えー…」


「してたけどなぁ」と言いながら、彼女はさりげなく私のご飯の上に一口サイズの卵焼きを乗せた。


「…何?」


「美味しく出来たから君にも食べてほしくて」


「…じゃあ、代わりに私の卵焼きあげる」


「わーい。ありがとう。これは百合香が焼いたやつ?」


「ええ」


 以前は弁当くらい自分で作ると言っても遠慮されていたが、最近は作らせてくれるようになった。とはいえ…


「…何これ、ふわっふわっ…」


 私のリアクションを見て、彼女はしたり顔をする。そして私の卵焼きを食べて「美味しい」と感想をくれたが、それが嫌味に聞こえてしまうほど彼女の卵焼きの方が美味しい。


「…あなたってほんと、なんでもできるわよね」


「きっと前世で徳を積みすぎたんだろうね」


 否定をしないところがムカつく。彼女に弱点はないのだろうか。


「…苦手なものとかないの?」


「基本なんでも食べる良い子だよ」


「食べ物じゃなくて。…例えば…お化けが怖いとか。雷が怖いとか」


「お化けが怖いのは望で、雷が怖いのは満ちゃんだね。私はどっちも平気」


 海菜の弱点を探るはずが違う人の弱点を知ってしまった。二人に申し訳なくなる。


「…勝手に暴露して良いの?それ」


「あははー。怒られちゃうから聞かなかったことにしておいてね」


 へらへらと笑う海菜。それにしても二人とも意外だ。怖いものなんてなさそうに見えるのに。特に満ちゃん。いつもどんと構えていて、彼女が慌てたり怯えたりする姿を想像出来ない。


「てか、私の苦手なもの知りたいならさ、君の苦手なものも教えてよ。そしたら教えてあげる」


「…数学が苦手」


「それは知ってる」


「真面目に答えて」と真顔で言われてしまう。


「…笑わない?」


「うん。笑わないよ」


 本当だろうかと疑いつつ、注射や点滴が苦手であることを正直に話す。彼女は「そうなんだ」と薄いリアクションをとる。


「大人でも苦手な人いるし、別に恥ずかしくないと思うよ。兄貴とか父さんも苦手だし」


「そうなのね…ありがとう。私はその、怖いというか、なんか…身体の中に薬液を入れられる感覚が苦手で…」


「…あぁ。分からなくはないけどなんか…君が言うとエロいな」


「エロ…!?な、何よそれ!!」


「いや、すまん」


「もう!私の弱点話したんだから次はあなたの番よ」


「はいはい。といっても私、苦手なものなんて特にないんだけどね」


「ごめんね」とけたけた笑う彼女の足を机の下で踏みつける。


「痛い痛い。ごめんってば苦手なものは特にないけど、弱点ならあるよ」


「…何?」


「…君」


 真顔で言う彼女に呆れてしまう。


「…そんなキザな答え要らない」


「えー…本当なんだけどなぁ。君にお願いされると弱いんだよ私。今日だって結局スカート穿いてきちゃったし」


「…スカート穿くの嫌だった?」


「ううん。穿く前はちょっと憂鬱だったけど、君が似合ってるって言ってくれて嬉しかったよ」


 そういうと彼女は手を止め立ち上がり、その場でスピンをする。ふわっと、彼女がおこした風でスカートが膨らんだ。「私、可愛い?」と腕を後ろで組んで私の顔を覗き込みながら照れ笑いする彼女は、年相応の可愛い女の子の顔をしていた。


「…あざとい」


「えー!?可愛いって言ってよー!」


「可愛いって言われるの嫌いなんでしょう?」


「君の可愛いは例外なんだってば。だからほら、たくさん言って。可愛いって」


「…可愛くない」


「あーん…百合香ぁ…」


 へなへなと力なく席に着き、顎を机の上に乗せて拗ねるように唇を尖らせてしまった。そんな拗ねている姿も可愛い。…なんて、本人には絶対に言ってやらないけれど。「知ってる」なんて憎たらしくも愛おしい笑顔を浮かべる姿が目に見えてわかる。

 あの顔は嫌いではない。嫌いではないのだけど「私のこと好きでしょう?」と自信満々な態度を取られると少し悔しくなって、つい天邪鬼な態度をとってしまう。


「…早く食べなさい。時間無くなるわよ」


 私がそう言うと、彼女は私の方を向き直して口をパカッと開けた。


「…自分で食べなさい。赤ちゃんじゃないんだから」


「ぶー」


 渋々身体を起こし、食事を再開する。

 以前から思っていたが、彼女は食べ方が上品だ。背中を丸めてガツガツ食べそうなイメージなのに。背筋はピンと伸びており、箸の持ち方も綺麗だ。育ちが良いのだろう。


「…百合香こそ私に見惚れてないで、食べないと時間無くなるよ。君、食べるの遅いんだから」


「…見惚れてないわよ。自惚れないで」


「自惚れじゃないと思うけどなぁ」


「うるさい。黙って食べて」


「…はーい」


 ふと、窓際の後ろの方から視線を感じた。視線を送ると、一番後ろの席に座っていた百合岡さんというクラスメイトの女子と目が合った。慌てて逸らされる。

 そういえば彼女には昨日、海菜とキスをしているところを見られてしまったのだったと思い出し、恥ずかしくなる。「内緒ね」という海菜の言葉を律儀に守ってくれているのか、私達が教室でキスをしていたという噂は耳に入ってきていない。しかし


『…あの二人、絶対付き合ってるよね』


 という声はちらほら聞こえる。彼女がカミングアウトしているおかげもあるかもしれないが、そう見えることは嬉しい。だけど私達はまだ付き合っていない。

 考えてみれば、母にはもう彼女との関係は気づかれている。まだ付き合っていないなんて逃げ道を作っておく必要なんてもう無い。いや、むしろ、ここまで来たら付き合っていることを堂々と宣言した方が良いのかもしれない。


『別れなさい。百合香。そんな人はあなたには相応しくないわ』


 と付き合っていた頃、私はあの言葉に逆らえなかった。今回だってそうだ。イヤリングを捨てろと言われて、結局、捨てはしなかったものの、形を変えて誤魔化してしまった。私は周りから、彼女と付き合っていると思われたって構わないはずなのに。母の想いを優先した。

 そんな私に、今の私に、彼女は私の恋人だと宣言する権利なんて…。

 いや、違う…逆だ。彼女が大事なら、尚更宣言した方が良い。こんな曖昧でずるい関係をいつまでも続けさせてはいけない。でも…


『本当は最初から俺のことなんて好きじゃなかったんでしょ』


 母の言いなりになって捨てた彼の言葉が蘇ってしまう。母を説得したいから、理解してほしいから待ってほしいなんて言い訳だ。


「…ねぇ百合香」


「何?」


「私と縁を切れってお母さんに言われたんだよね?」


「えぇ」


「…でも君はそうしなかった。お揃いのイヤリングなんてつけてたら勘違いされちゃうからやめろって言われて、イヤリングじゃなければいいんでしょうなんて屁理屈をこねて私との思い出を守ってくれた。君はもう、お母さんに逆らうことが出来るんじゃないかな。自分の意思で、選択することができる。だからさ…百合香」


「このままあと半年も待つ必要ある?」と彼女は苦笑いする。


「お母さんには私達のこともうバレてるんでしょう?いっそ、付き合ってるけど何か?って開き直った方が良くない?…なんて、待つって言ったのは私なのにごめんね」


 彼女の言う通りだ。けれど、母の声が頭に響く。

『駄目よ。百合香。あなたは私が認めた男の人としか付き合っちゃ駄目』と。


「百合香は私と恋人になりたいんだよね?」


 母の声を掻き消し、彼女の言葉に頷く。すると彼女はにやりと笑った。そして私の手を握り「嬉しい。私も君が好きだよ。恋人になりたい。これからよろしくね」と教室に通る声で言う。

 まばらに起きた拍手の音やざわつきで、謀られたことをすぐに察する。


「逆にあの二人、今まで付き合ってなかったの?」


 ざわつきの中に、そんな声を見つけた。そう。私達はお揃いのイヤリングをつけてアピールしなくとも、元々周りから「付き合っているのでは?」と噂されていた。だから、イヤリングをストラップに変えたところでなんの意味もない。母の想いに応えるなら彼女から離れるしかないのだ。それをしなかった時点で私はもう、彼女と付き合う決意はとっくに出来ていた。

 いや、きっと、待ってほしいと言った時点で。


「…ありがとう海菜」


「ふふ。お礼言っちゃって良いの?嵌められたのに」


「えぇ。…もう良いかなって、私も思ってたから」


 大丈夫。大丈夫だ。私はもう、自分の意思を尊重出来る。あの日の過ちを繰り返したりはしない。


「…恋人として、これからよろしくね。海菜」


 私がそう言うと彼女は、とびきりの笑顔を浮かべて大きく頷いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る