練習用即興小説#5「記憶」

乙Ⅲ

練習用即興小説#5「記憶」

夕暮れ時にはまだ遠い16時の東校舎裏。

少女がそこにぽつんと独り佇んでいた。

抱きしめればポキリと折れてしまいそうな躰

短めのスカートからスラリとのびた羚羊のような脚

くりっとした目に透き通るような白い肌、可愛らしい黒髪ボブ

とのコントラストが美しい。

こんな美少女に『付き合ってください』などと告白されようものなら

大抵の男は舞い上がり『YES』と即答してしまうことであろう。

恥ずかしながら、私も彼女に見とれてしまった一人である。


だが、それも初見でのこと。

今の私は彼女に対し、正直なところウンザリしている。

それというのも、連日私に付き纏い、私自身全く覚えていない

昔のことばかり尋ねてくるからだ。

それは『久しぶりだね、私だよ、澪だよ』という軽い自己紹介から始まり

『あなたが引っ越してから8年、やっとまた会えた』とか

『私と交換日記してたこと覚えてる?』とか

『約束したのになんで手紙を寄越さなくなった』とか

小学生時代の写真を見せては『これ私だよ。覚えてない?』等々

こんなことを洗脳のように始終ずっと言われ続けられ

『もしかしたら私にもそんな過去があったかもしれん』

などと危うく思い込みそうにもなった。

人間というのは己の記憶を捏造し己自身をも騙す心の弱い

生き物なのだ。 皆努々油断せぬように。


挙げ句の果てには『私のこと嫌いになっちゃったの!?ねぇ!!』

『逃げないでよ! 貴方がそんなに薄情だなんて、私思いたくない!』

などと他の生徒達の面前で痴話喧嘩のようなことを一方的に言い始め

男子生徒からは『何であいつが!』と恨み言を吐かれ

女子生徒からは『サイテー!!』と白い目で睨まれる始末。

その一部始終は噂となり校内を縦横無尽に駆け巡り、三日と経たずに大きな

尾鰭背鰭を幾つも付け、私が生徒指導室へと呼ばれるほどに立派に成長した。


幾ら私が彼女の幼馴染と同姓同名、瓜二つであろうが

人類は今や80億近くも無駄にウヨウヨ蠢き、掃いて捨てるほどいるのだから

そんな偶然の一致など確率的には十分ありえることなのだ。

こんな美少女との約束を反故にするとは、きっとその男は碌でもない奴に違いない。

私もいい迷惑だ、今直ぐ天罰が下るがよい。



ここ数日は忍び寄らんとする彼女をなんとか躱し平和な日々を

送っていたが、今日はそうもいかない。

いつも通りなら下駄箱の奥にあるはずの『レポート』が何処にもないのである。

代わりに入っていたのは、とてもいい匂いがする可愛らしいクマが描かれた

ピンク色のメッセージカードが一枚。どこかで嗅いだような匂いだが

きっと気のせいだろう。

カードにはそれに似つかわしくない脅迫めいたメッセージが添えられていた。


『貴方の大切なものは私が預かりました。

 今日の放課後16時、東校舎裏で待ってます。 澪 』


『可愛いは正義!』とは一体誰が言ったのか。

大切な我々の『レポート』は彼女が盗んでいったのだ。

『レポート』とは同好の友人Mと学校の互いの下駄箱を通じ交換している

USBメモリのことで、そこには宇宙の神秘、もとい厳選された女体に

関するお宝データが詰まっている。

これを見れば男なら誰でも隠し所のひのきの棒……おっと失礼、棍棒も

またたく間に天を衝くほど元気になる逸品だと自負している。

学校での辛い日々もこれがあるからこそ乗り越えられるというものだ。

何? そんなものはネット上に幾らでも転がっているじゃないかだって?

確かにその通り、レポートも殆どは我々がネットから発掘したものだ。

交換などという面倒など避け、一人ネットでコツコツと発掘するのもよいだろう。

だがそれは茨の道、一人だけの力では限界がある。

人は団結することでその限界を超え、数々の苦難を乗り越えここまで繁栄する

ことが出来た。 それこそが人の強みなのだ。 

たった二人ではあるが我々もそれに倣い、各々が持ち寄ったお宝、その喜びを

分かち合うことで未知なるお宝との素晴らしい出会いの機会を互いに得ている

というわけだ。



些か話が逸れたので元に戻そう。

兎にも角にも、彼女から『レポート』を取り返さねばならない。

私は意を決し、校舎の陰から彼女の前へと躍り出た。


「たのもうっ! 大切なレポートを返してもらうぞ!」


「今日は約束通り来てくれたね。 はい、どうぞ」


少しはにかみながらそう言った彼女は私の腕を握るとぐいっと自分の胸元近くまで

引き寄せ、それを私の掌にそっと優しく載せ、返してくれた。

何という肩透かしであろう、予想を大きく裏切られポカンとしている

私に彼女が言った。


「こうでもしないとすぐ逃げるもの。でも今日はちゃんと来てくれたから返すよ」


「フン! まさか人様のものまで盗むなんてな。 全く親の顔を見てみたいものだ」


「え?見たいの? 今日はアルバム持ってきたんだ、何か思い出すかもって!」


「言葉の綾だ。アルバムとやらを見てもどうせ何も変わらんさ。 それで毎回

 悔しい思いをするのは君じゃないか。 もういい加減にしてくれないか」


満面の笑みでカバンからアルバムを取り出そうとする彼女を私は制止した。


「試してみないとわからないじゃない。 やる前から諦めるのは貴方の悪い癖よ!」


「結構だ! それに急ぎの用があるので

 今日はこれで失礼させてもらう。 さらばだっ!」


タイムイズマネーとは大嘘である。金は戻ってくるかもしれないが時間は

戻ってこないのだ。用件を済ませた今、ここに留まる理由はない、時間が惜しい。

私の頭の中は『レポート』のことで一杯であった。


「どうせ急ぎの用ってそのエッチなUSBでしょ?! 

 女の子には興味津々なのに、なんで私のことは忘れるのよ!馬鹿っ!」


踵を返し彼女に背を向けた私に彼女が叫んだ。

まさに図星。確かにその通り、女の勘とは鋭いものだ。


「なァんでそうだと断定できるんだ? 

 何の根拠もなく人を誹謗中傷するのは良くないなァ」


「毎回、馬鹿みたいに下駄箱の前でコソコソやってるの見たら

 誰だってわかるよ、ばっかじゃないの!」


馬鹿って言った、三回も言った!

確かに成績は下から数えたほうがいいくらいオツムの出来が悪い私であるが

白昼堂々と盗みを働いた人間にそこまで言われる筋合いはない。

人様を根拠もなく誹謗中傷をしたらどうなるか、私は彼女に世の中の厳しさ

を教えることにした。


「ほほぅ、かなりの自信だな! 

 なら今直ぐ身の潔白を証明してやろうではないか!」


「いやよ、そんなの見たくない!」


「いいや、見てもらうぞ! そこまで言った君にはその責任がある!」


学校でプライベートな趣味を晒すことには些か抵抗があるが、これも仕方がない。

彼女の将来のためにも今直ぐ更生させるべきなのだ。

先程も述べたことであるが、このUSBには大量のお宝データが詰め込まれている。

だが、実はこれらには細工が施されており、普通にデータを開くと

ハッブル先生が捉えた数々の宇宙の神秘を堪能できる仕組みになっているのだ。

備えあれば憂いなしである。

私はカバンからタブレット取り出すと、USBメモリを差し込み、いつも通りの

パスワードで素早くファイルを解凍、出てきた連番の画像データをタップした。


「どうだ見給え! ハッブル先生が捉えた宇宙の神秘の数々を!」


「!!!っ ;・%&@!!<#$2*#=?!」


「ほほう、美しすぎて言葉も出ないか? 

 それとも謝罪の言葉でも考えているのかね? ん?」


「……やっぱり言った通りだったじゃない!! 

 なんてもの見せんのよ、馬鹿っ!!!」


彼女は顔から耳まで真っ赤にし、肩を震わせ、目には溢れんばかりの

涙を溜めていた。


「ん……あれ?」

意外な彼女の反応に一体どうしたことかと覗き込んだ画面には

大マゼラン星雲でもアンドロメダ銀河でもバラ星雲でもない、剥き出しの男女の

くんずほぐれつが大きく映し出されていた。

どうせバレやしないというその慢心が悲劇を呼ぶ、どうやら友人Mが

『手抜き』をしていたようだ。


「馬鹿ぁっ! 何でこんな意地悪するの? 

 何で私のこと覚えてないのよ! 馬鹿ぁあああぁぁ~!!」


後悔するも時既に遅し。

彼女の悲痛な叫びと共に閃光のような回し蹴りが私の顔面目掛けて飛んできた。

パンツは白であった。


『天罰覿面か……』


彼女の嗚咽が校舎裏から遠ざかっていく。


遠のく意識の中、彼女との昔の思い出が走馬灯のように次々と浮かんできた。

彼女と仲良くなった時のこと、一緒に遊んだときのこと。

淡いピンク色のノート、その匂い、それで交換日記をしていたこと、

私が引っ越した後も、手紙を書くと約束したこと……。

何もかもが懐かしいく、心に突き刺さり、とても痛い……。



次に気がついた時は保健室のベッドの上、養護教諭である野口先生が

ニヤニヤしながら私を覗き込んでいた。


「お、生きてた生きてた! お前、女の子泣かすとかマジ最低だな! ガハハハ!」

豪快な笑い声が胸元のたわわな二つの果実をプルンプルンと揺らしていた。


先生曰く、正気に戻った彼女が心配になって校舎裏に戻ったら、私がぐでんと

情けなくのびていたらしく、血相を変えて保健室まで先生を呼びに来たのだそうだ。

先生の見立てによると、幸い私に怪我はなく、誰がどう見てもただの気絶だった

らしい。 どうやら私は彼女のキックをなんとか躱そうと咄嗟に持っていた

タブレットを盾にしてしまったようで、それが折れた瞬間、小心者の私は『当った』

と思い込み見事に気絶してしまったようだ、恥ずかしいやつめ。

その証拠に、先生から渡されたタブレットはバッキバキに折れ曲がり、まごうことな

き粗大ゴミへと生まれ変わっていた。 

もし顔面にあのキックが直撃していたらと想像し、私は戦慄した。


彼女は私が気が付くまで側にいると泣いて離れなかったらしいが

『この馬鹿はただの気絶だから大丈夫。日も落ちかけているからさっさと帰れ』

と家に帰えるよう先生が説得してくれたらしい。 


「彼女を泣かせた原因はこれだろ? 

 お前のことだからどうせ中身は碌でもないものに違いない」

私の目の前に先生がプラプラと摘んで見せたそれは『レポート』であった。

どうやらこれだけは難を逃れたようで無傷であった。


「さすが先生、ご彗眼恐れ入ります……どうかここは穏便に」


「うむ、ではこれは卒業するまで先生が預かっといてやろう。

 それから、清崎にはちゃんと謝っとけよ」


そう言うと先生は『レポート』を事務机の引き出しに入れ、厳重な封印を施した。

果たして卒業後に本当に返してくれるのだろうか? 

細かいことを気にしない先生のことだから三日後にはケロリと忘れていそうだ。

モノがモノだけに面と向かって返してくれとも言い難い。

これは実質『永遠のお別れ』と言っても差し支えないであろう。


「今日は色々とご迷惑をお掛けしました」


「いいってことよ! ってことでお前もさっさと帰れ! ガハハハハ!」


帰り支度を済ませた頃には既に日は落ち、通学路は街灯で明るく照らされていた。


何かを得るには、何かを犠牲にしなければならないと誰だったかが言っていたが。

もしや、これはこういうことなのだろうか?  

確かに得たものは大きい、しかしこれは彼女が望んでいたことで、私の望みでは

ないではないか。どうにもモヤモヤする、釈然としない。


釈然としないが、彼女のことを想うと何とも心が痛い、本当に痛い。


『まずは彼女に謝ろう』 


夜空を眺めながら私はそう思った。 


-完-

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