女傑、海賊、大詐欺師
黒不素傾
1718年 女海賊の罪状
第1話 君の船はどれだ?
大航海時代が訪れ幾星霜。
カリブ海に浮かぶマルー島は、新世界の一大拠点として商船、軍艦問わず入り乱れ、人も物も溢れかえっていた。
入江に設けられた港は穏やかで、優しい潮風が浜に並んだ無数のヤシの木の間を撫でるように吹き抜けている。
港から街の中心へと伸びた市場には、色とりどりの果物や採れたての魚が並び、地元の住民、荷物下ろしを抜けた水兵、スリ目的の孤児など、ありとあらゆる人々が行き交い賑わっていた。
そんな雑踏の中で貿易商と名乗った女海賊サシャ・コットンと実業家アルマンドロの商談は山場を迎えていた。
「前述の通り
サシャは、熱帯地域の船乗りらしく薄く、動きやすい服を着て、その上にまるで成金の商人のような派手な赤色のロースリーブジャケットを着こみ、自身の業績を誇るように宝石の散りばめた指輪をしている。
それが
偽物の貿易商は、実業家に対して正式な書面を提出し、秘密の合言葉も確認しあい、実業家側からの完璧な信頼を勝ち取った。
「あぁ、分かっている。書面の封をしていたのは偽造など不可能なガスティン家の紋章だ。
それに、“挨拶”も正しくしてもらえた。この挨拶は、この世においてガスティン家当主と私、後は君以外に知りようがない」
「えぇ、こちらも死んでも漏らさないように厳命されております」
実業家への封書は、本当にとある王侯貴族が用意したもので、サシャはそれを襲撃した船で手に入れた。
秘密の合言葉は、その船に乗り込んでいた“特別船員”が自分の命と主人への忠誠を天秤に掛けて、命の代わりにサシャに提供したものだった。
実業家アルマンドロは、シワの隙間に収まった灰色の目でサシャを舐めるように見回しながら、自身の顎髭を撫でる。
「では、女船長。君の船を見せてく——おっ!?」
その時、人とぶつかり大きくよろけた。
あまりも予定調和過ぎて笑いそうになったサシャだったが、取引相手を気遣うフリをした。
「だ、大丈夫ですか!」
「まったく、下民共め」
サシャの心配を気にも留めず、往来の人々に悪態をつくアルマンドロ。
この男は気がつかなかったが、彼にぶつかったのは、日に焼けた筋骨隆々の船乗りだった。その男はサシャの命令に従ってアルマンドロを突き飛ばした。さらに、この後も何度も繰り返し、実業家が人混みの中でみくちゃになるように仕向けた。
そうして、アルマンドロが、船着場まで辿り着いた時、混み合っていた道でやたらと突き飛ばされ足腰は痛み、心には不満が溜まっりヘトヘトになっていた。
「で、君の船はどれだ?」
実業家は、変形したメガネを支えながら港を見渡しながら訪ねる。
サシャは、迷う事なく「あれです」と一つの方向を指差した。
「………何をデタラメ言っているのだ?
あれはオストミアの軍艦ではないか」
サシャは、指の向きを変えずに答えた。
「あの船の後ろです、黒い縞模様のある船。少し鼻先が見えているでしょう? あれが私のクマノミ号です」
アルマンドロは、歪んだメガネを目に押し付けながら並んだ帆船の一つを凝視し、その船が商人の旗とアナハン王国の国旗を掲げている事を確認した。
「タンネ型の中型商船ですが、船内や船倉も確認します?」
サシャは、品の良い笑みを浮かべ、整った綺麗な歯を見せると、アルマンドロは「そこまではしない」と手で制した。
アルマンドロは、船まで行くのが億劫なほど疲れていて、これはサシャの計画通りだった。
もし、サシャの船の中を見られていると、過剰な武装とガラの悪い船員しかおらず、彼女の“クマノミ号”が実際は海賊船“ウツボ号”だと露見するところだった。
実業家は船を観察してから、貿易商だと信じ込んでいるサシャに忠告を促す。
「私から君に運んでもらう“ラム酒”は、最高級品で、容量を一滴も違わずに計量してあるから、
商人はそう言うながら、港の桟橋を指差す。その先には、
「船員も私も肝に銘じておきます」
サシャに、
彼女は自分の行う事で誰が困るかを把握している。
この実業家の酒がなんの特徴もない“普及品”で、樽中には僅かな酒と、動物の胃を袋代わりにした大量の宝石が詰められている事を知っていた。
この実業家と貴族が結託した極秘の密輸ルートを知る者は少なく、ましてやその情報をサシャが知っているのを誰も知らない。
「君。では、しっかりと届けておくれよ」
「お任せください」
そうして、誰も発注しておらず、帳簿に付けていない大量の酒樽が忽然と消え、存在しない商人が大量の宝石と酒を手に入れた。
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