41.
探した名前はまだ、八百キロ近く離れた支部教会の主任牧師の位置にあった。教会と幼稚園名を挙げて取り次ぎを頼むと、枯れた声の女性はすぐに牧師室へと繋いでくれた。
「先生、お久し振りです。ご無沙汰しております」
「本当に、久し振りだね」
穏やかに受け止める榎木の心の声は当然、聞こえない。少ししわがれてはいるが温かい、恋しくなるような優しい声だけだ。ひとまずの安堵に胸を撫で、ベッドへ腰を下ろす。
「それで、こんな遠くまでどうしたの?」
「少しお伺いしたいことがあって、ご連絡申し上げました。お時間、よろしいでしょうか」
「うん、構わないよ」
ふふ、と好々爺の口振りで、私を招くように答える。榎木の耳にも、薫子の一件は当然耳に入っているだろう。私が担任をしていたことも、知っているかもしれない。
「ご存知かもしれませんが、この前の事件で亡くなった園児は、私が受け持っていた子でした」
「ああ、本当に痛ましい事件だったね。君もつらい思いをしてるだろう。真瀬くんが、とても気に掛けていたよ」
「そのこと、なんですが」
切り出すより早く与えられた切っ掛けに、思わず身を乗り出した。
「私の採用は真瀬牧師が強く推したからというのは、本当なんでしょうか」
「半分は合ってるけど、半分は違うなあ。彼が何か言わなくても、君は採用予定者に入ってたよ。確かに彼も、君を採用して欲しいと言ったけどね」
「それは、どうしてですか」
核心に踏み込んだ榎木に、待てない口を挟む。榎木は少し間を置いた。
「君がそれを私に聞くのは、彼には聞けない事情があるからだね?」
変わらぬ穏やかさで尋ねる声に、小さく「はい」と答える。既に園長は、私に事実を隠した。たとえ問い詰めたとしても、はぐらかされるのは分かっている。
「私は牧師ではあるけど、彼のように見えないものに精通しているわけではないんだ。神や魂、霊の存在は感じるが、見えはしない。一方で、彼は見える人だ。もちろんそれをひけらかすようなことも、公にして悩む人を集めるようなこともない。必要な人が扉を叩いた時、ひっそりと力添えを行うだけでね」
「実は今、私も真瀬牧師のその力のお世話になっているんです。ただ少し、信じていいのかと迷うことがあって」
濁した私に驚く様子もなく、うん、と榎木はまた少し間を置いた。
「彼は、君を採用する時に『いつか僕の力が必要になると思う』とね。いつ必要になるの、と聞いたら、それは分からないし勤めているうちには来ないかも、と言ってた。それでも、いつも君のことを気に掛けて大事に見守っていたよ。君を守り、助けたい気持ちに嘘はないだろう。とはいえ君に迷いが生じるということは、何かしら彼のやり方に問題があって神が引き止めてらっしゃるとも言える」
榎木は経緯を語り、同職の見立てを伝える。園長は、私が「いつか」こうなると分かっていたのか。何もなければ言わないまま、ずっと見守り続けるつもりだったのか。
「悪を祓い魂を救うのは彼ではなく、神だ。導管に曇りがあれば、神の力は正しく導かれない。彼が信仰のあるべき姿を忘れているとすれば、神はお応えくださらないだろう」
「私に、できることはありませんか?」
「彼が本来の信仰に立ち戻れるように、祈るといい」
土壇場でふわっとする、そういえばこの人はそういう牧師だった。もちろん、間違っているわけではないだろう。「行動の間違い」は「信仰の間違い」なのだから、行動の間違いだけを取り上げて「問い詰めて全部吐かせろ」や「殴って分からせろ」が出てくるわけがない。全ては、信仰に集約される。
「そうします」
ほかに言える言葉もなく、苦笑する。榎木はあまり教義に厳格な方ではないから、この程度で済んだのかもしれない。入谷なら「信仰が足らない」「神はお望みにならない」と、怒涛のように園長に悔い改めを求めるところだろう。
「私も、彼が光を掴めるよう心から祈っているよ」
榎木は私の気持ちを見透かしたように、園長の行く末を祈った。
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