第1章 第8話

 2歳の輝夫はリビングルームの床の上でブロック遊びをしていた。真樹夫と萌子は部屋の中央にあるテーブルを挟んで置かれているソファーに座っていた。萌子はテーブルで新聞を広げ、経済欄を読んでいた。真樹夫はテーブルに置かれた経済誌のページをゆっくりと捲っていた。輝夫が遊んでいるブロックは、非常に小さなユニットからなるプラスチック製のブロックで、時間をかけるとかなり精巧なものが組み立てられるものであった。輝夫の意識は昨日の輝夫の意識と繋がっていた。しかし、時々ほんの一瞬であるが、その連続性を遮るものがあった。輝夫の中のどこかに14年の経験が存在していて、時々瞬間的に目覚めるのである。この瞬間的に目覚める経験によって、2歳児には到底できないであろう状況理解を瞬間的にすることができた。


「サブプライムって聞いたことがあるか?」

「ええ最近新聞の見出しでよく見かけるわ。何かとても大変そうな問題で私達と無関係なことに思えないの。それでサブプライムという言葉を見かけたら注意して読むようにしているの」

「この経済誌、たまに興味がある特集を扱っている時に買ってくるんだけど、今回そのサブプライムが特集のテーマだったんだ」

「サブプライム・ローンはどのようなローンなのかしら」

「最近の新聞や経済誌を読んで、プライムというのは優良な債務者で、サブプライムは低所得者で不良な債務者というようなイメージを持ったんだけど」

「つまり低所得者向けの住宅ローンみたいなものかしら」

「そう、普通だったらとても住宅ローンを組むことが無理な低所得者でも、利用できる住宅ローンなんだろうね。最初は例えば元本は返済しないで、利息だけ返済するようにして毎月の返済額を低所得者でも支払えるくらいの額に抑えるんだ。しかしこの特別の返済の期間はそんなに長く設定できない。その期間は元本は少しも減らないんだから。特別の返済期間が終了すると、正規の毎月の返済額よりも多くなってしまうんだ。正規の毎月の返済額でも、返済が無理な人が返済できるのはまず不可能だということになる」

「そんな誰が考えても無理だと分かるローンできるのかしら」

「それはアメリカで起きてきたことで、住宅は必ず値上がりするという、不動産神話みたいなもの。まず普通では住宅購入のローンがとても組めそうにない低所得者が、サブプライムローンで住宅を購入する。特別の支払い期間の間にその住宅がかなりの額で値上がりする。そのときを見計らって転売するんだ。そうするとその差額がもしかなり大きければ低所得者でも家がもてるという目論見だ」

「でもそれがなぜ問題になってしまったの?」

「サブプライムローンの利用者が増えるに従って住宅の建設ラッシュが起こった。いままで値が上がる一方だった住宅が、住宅過剰とともに値が下がっていくという減少が起きた。それで特別の支払い期間終了後に、返済不能のため差し押さえになる住宅がいっきに増えていったんだ」

「そのことが何か証券会社まで波及しているみたいなんだけど・・・どういうことなの?」

「それがサブプライムローンを証券化して、販売してきたみたいなんだ。サブプライムローンは不良な債権だから、他の優良な債権と組み合わせて販売してきたみたいなんだ。銀行はいいよね。ローンの回収をしなくてよかったのだから。でもその証券を購入した人は大変なことになってしまった。住宅ローンの回収はできないし、差し押さえ物件の住宅も値下がりしているということだからね。つまり一種のバブルが弾けたような感じなんだろうね」

「バブルといえば両親が話していたバブル景気のことを思い出すわ」

「あれは土地神話だったんだね。土地だけは値下がりすることはない。上がるだけだという。なんと一時期、山手線圏内の土地の価格がアメリカ全土の価格になったというんだから驚きだよ」


 輝夫はブロックで高層ビルのようなものを組み立てていた。リビングルームのテレビには東京都心の高層ビルの映像が映されていた。輝夫は時々その映像を見ながらブロックを組み立てていた。2歳の輝夫の内のどこかに存在している14年間の経験が、時々輝夫の右脳に今テレビに映っている東京都心の映像と違った東京都心の映像を送ってくるのであった。輝夫は最初テレビに映されていた東京都心の映像を真似てブロックを組み立てた。輝夫は自分が組み立てた東京都心の様子をしばらく満足そうに見ていた。


「あなた、輝夫がブロックで組み立てたもの見てごらん。いまテレビで映っていた東京都心の様子をうまく表しているわ。この子上手なのね」

「今日は随分熱心にブロックで遊んでいるなと思ったら。こんなもの造っていたのか。すごいね。しかし東京っていうのはどうしてこんなに高層ビルが多いのかね」

「そうね、パリへ行った時は驚いたわ。フランスの首都でしょう。同じ首都でもなぜこんなに違うのかしら。パリの中心部は高層ビルなんてないんですものね。歴史的建造物が至るところに残っていて、首都にいながら歴史と出会えるって感じだわ。エッフェル塔だけが唯我独尊高々と聳えたっているわ」

「確かに東京タワーの周りには、高層ビルが乱立しているね」


 輝夫の脳裏にテレビに映っていた映像とは違った東京都心の映像が浮かんできた。2歳の輝夫の内のどこかに存在している14年間の経験が、その映像と何らかの関係があるのではないかということは2歳の輝夫には知るすべもなかった。輝夫は内から湧き上がってくる何とも言いようのない衝動にかられて、長時間かけて作り上げたテレビの映像を模した東京都心を造り変え始めた。輝夫の脳裏に鮮やかに浮かんでいる映像は、輝夫の内のどこかに内在している14年間の経験から発せられた映像であった。輝夫の右脳と指先が輝夫の意識を超えて繋がっているかのようであった。右脳が送り出す映像に反応して無意識に指が動くような感じであった。輝夫は他のことはいっさい忘れてブロックに専念した。時の経過を忘れて夢中になってブロックに取り組んでいた。突然右脳に浮かんでいた映像が消えた。輝夫の脳裏は真っ暗になってしまった。かわりに輝夫の目に、完成したばかりのブロックの完成品の映像が、飛び込んできた。輝夫には自分が造ったという意識はなかった。ただ目の前に出来た完成品をうっとりと眺めていた。


「あら・・・どうしたの?作り変えたの?でもよく上手につくるのね?」

「へえー今の東京都と随分違うね。輝夫、何を見て造ったんだい?あれ、輝夫寝ちゃったのか。じゃ、ベッドに連れて行くよ」


「あなた、ありがとう。起きなかった」

「完全に熟睡していたよ。相当夢中になってブロックで遊んでいたから疲れたんでしょう。でも、驚いたな。こんなに上手に作るなんて。最初に造ったのも上手だったけど。今ここにできているのはそれよりも遥かに上手にできているね」

「これ都心の風景なんでしょうけど、随分違うわね」

「最初に造ったものは今の都心を模してよく出来ていたので驚いたけど。これは今の都心の風景とは違っているよね。でもいまここに出来ているのはあまりにも見事な出来栄えで驚いたよ。写真に撮っておこうか」

「この東京タワーより高い塔は何かしら?」

「もしかして今計画中の新しいテレビ塔?」

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