土曜日の夜は、赤いきつねの日

柚鼓ユズ

第1話 土曜日の夜は、赤いきつねの日

「土曜日の夜だから、『赤いきつねの日』だねぇ」


 それがばぁちゃんの口癖だった。うちは両親が共働きで、小さな食堂を経営していた。

 元々が近所の常連や、近くの工場の人達がメインの客層でそこそこに賑わっていた。特に週末にもなると常連さんの要望で、食堂というよりは居酒屋のようになっていた。

 そんな感じだから、学校が終わって家に帰っても、一人で用意されたご飯を温めて食べるだけの日々だった。寂しくなかったと言えば嘘になるが、仕事だから仕方ないとも思ったし、子供ながらにそういうものだと受け入れていた。

 両親もそんな自分を気にしていたのか、閉店が遅くなる週末は近くに住むばぁちゃんの家に行くように言われていた。


「おうおう、よく来たねえ。おかえりおかえり」

 いつも変わらぬ台詞で、ばぁちゃんは自分を玄関に出迎えに来てくれた。そうして荷物を置いて二人で歩いて近くのスーパーに向かうのが日課だった。

「さ、好きなお菓子一つと、あれ持っておいで」

 そう言ってスーパーに着くと、買い物かごを持ってばぁちゃんは言う。

 ばぁちゃんに言われると同時に自分は駆け出し、お菓子を真剣に悩みながら選び、ばぁちゃんの所に戻る前にカップ麺売り場の棚に向かい、『赤いきつね』を二つ手に取る。

 両親がカップ麺を好まないため、家にはカップ麺の類が置かれることはなかった。そんな自分が唯一食べることが出来るのが、この土曜日の夜であった。


 なぜ『赤いきつね』だったのか。多分、家では時々親がラーメンを作るし、日曜日にばぁちゃんとのお昼ご飯に行きつけのお蕎麦屋さんに行くことがあったからだと思う。だから自分の中ではお湯を注ぐだけで、甘いお揚げとうどんが食べられる赤いきつねが特別な感じがしたのだろう。お菓子と赤いきつねを両手に抱え、明日の食事のための買い物をしているばぁちゃんの姿を探して駆け寄る。

「はいはい。ごくろうさま。じゃ、レジに行こうかね」

 そう言って自分の手から商品を受け取り、かごに入れ、会計を済ませて買い物袋を抱えて家まで歩いて帰る。帰宅して二人でお湯を沸かし、テレビを観ながら赤いきつねをすする。それが土曜日の夜のお約束であった。今思うと、自分も付き合って食べる必要はなかっただろうけど、嬉しそうに食べる自分の横でばぁちゃんも一緒にうどんをすすっていた。


 そんな日々を過ごしていたが、自分が中学に上がり、部活を始めるとばぁちゃんの家に行く機会は徐々に減っていった。更に高校に上がると新たな友人関係が増え、バイトも始めたため、ばぁちゃんの家に行く日はますます少なくなった。

 それでもばぁちゃんは決まって家に行くと『赤いきつね』をにこにこと作ってくれた。流石にその頃は一緒にスーパーには行かず、ばぁちゃんが事前に用意してくれたものではあったけれど。

「あんたが行くと、ばぁちゃんが喜ぶからさ。たまには付き合ってあげて」

 高校生にもなれば、自分のお金で買い食いもしていたし、カップ麺よりも美味しいものはある程度自分でも手に入る。現金だがこの頃は惰性で一緒に食べていた。


「差し入れ届いたよ。ありがとう。うん、ばぁちゃんにもよろしく言っといて」

 高校を出て県外の大学に進学した自分に、月に一度の差し入れが届く。米や野菜、レトルト食品の中には決まって『赤いきつね』が何個か入っていた。

「ばぁちゃんがね、入れてくれって毎回言うからさ。もう大人だし、都会には色々あるからって言ってもきかないのよ」

 電話から聞こえる親の声に苦笑する。

 この頃になるとばぁちゃんは足腰が弱くなり、一人で買い物に行くことが困難になっていた。そのため親が買出しに付き添ったり、希望するものを変わりに買いに行くようになっていた。その時に決まって『赤いきつね』が入っているのだと言う。

「あの子はこれが好きだからねえ。いつでも食べられるようにね。お願いね」

 ばぁちゃんに、認知の症状が表れだしたのはこの辺りの時期だった。


「…ばぁちゃんがね、いよいよ危ないかもだから、帰ってこれる?」

 親からの連絡で、慌てて実家へと帰り支度をして向かう。

 ここ一、二年でばぁちゃんの容態はみるみる悪化し、要介護のステージが高くなったため、この頃にはばぁちゃんは病院で生活していた。

 駅に着き、タクシーを拾い病院にまっすぐ向かい、受付でばぁちゃんの部屋の階と番号を聞いて走りたい衝動を必死で押さえ向かう。そこには家族と、眠っているように見えるばぁちゃんの姿があった。

「明け方までね、ばぁちゃん頑張っていたんだけどね…。もうすぐあんたが来るから!今向かってるから!って言ったらね、一瞬目がニコってしたんだけどね…」

 声を詰まらせる親の横で、ばぁちゃんの手を握りながら自分も泣いた。


「もしもし。うん、今アパート着いたから。うん、明日からまた仕事だから。またね」

 あれから、ばぁちゃんの葬儀を終え、様々な手続きを済ませてアパートに戻ってきた。部屋に入り、着替えて明日の準備を済ませる頃には夜になっていた。

 今から何か買いに行くのも面倒だし、家にあるもので適当に済ませてしまおうと台所に向かうと、キッチンの横に置いてある『赤いきつね』が目に入った。


「もうばぁちゃんね、あんたが今いくつになったかもあんまり分からなくなっていてね。行くたびに『あたしの代わりに、赤いきつね買ってあげて』って言ってるのよ」

 そう言ってばぁちゃんが入院してからもずっと届いている、『赤いきつね』だ。

 無言でお湯を沸かし、フィルムを剥がしてお湯を注ぐ。

 パッケージ通りの時間を待って、蓋を剥がして麺をすする。


「土曜日の夜だから、『赤いきつねの日』だねぇ』


 ばぁちゃんの声が聞こえた気がした。

 久々に食べる『赤いきつね』は、いつもより美味しいけれど、少ししょっぱく感じた。

 これから先も、きっと自分はこれを食べるたびに、ばぁちゃんを思い出すのだろう。

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