純文学の正しい書き方
九泉
*
私の名は
かつて万年筆一本で一世を風靡した私だが、齢六十を迎えた今、筆が進まなくなりつつあった。
あれほどひっきりなしに訪ねてきた出版関係者も、最近ではめっきり顔を見せなくなった。
このまま徐々に世間から忘れられていくのか、そんな寂寥感を抱えつつ日々を送っていた矢先、一人の若者が私のもとを訪ねてきた。彼が真剣な目で切り出すには、尊敬する小説家である私に、純文学の真髄を学びたいと言うのだ。
私の現状は先の通りだ。私は彼の言葉に、内心有頂天になった。しかし私にはプライドがある。こんな誰とも知らぬ若者の要望を安請け合いしては私の名に傷が付くかもしれぬ。
だから私は断腸の思いで渋る……素振りをみせた。突然訪ねてきて失礼だ、そんな上手い話があるかとまで言った。
だが彼は引かなかった。失礼は承知の上だ、それでも私に教えを説いてほしいと言うのだ。
その一点の曇りもない目を見せつけられ、彼の意気込みは本物だ、そう感じた。
遂に私は、渋々の体を装い、彼の申し出を承諾したのである。
私と彼は、書斎の座卓越しに向かい合って座っていた。彼の前には広げた原稿用紙と、私が愛用している万年筆が置いてある。
彼は興奮を抑え切れない様子で、目を輝かせながら私の万年筆を眺めている。
私は改めて思った。この私に教えを請うとは、なかなか見込みのある若者じゃないか。
喜びを必死で抑えつつ、私は努めて重々しく切り出した。
「いいか、これから純文学において最も重要なことを述べる。よく聞きなさい」
「はい先生!」
彼の背筋がピンと伸びたことを確認し、私はゆっくりと口を開いた。
「よく意味は分からないがなんだか素敵! それが純文学だ!」
「はい先生!」
寸分違わぬ様子で威勢のいい返事をする彼。これを言うと大抵の者は絶句するか怒り出すんだがな。なかなかどうして見込みのある若者じゃないか。
「とはいえ、それだけ言われて『さあ書け』というのは酷だろう。まずは過去の文豪の作品に目を通すのもよいだろうな」
「はい先生!」
言うが早いが、彼はもう万年筆を手にしていた。あれ? 私の話聞いてた?
そして待つこと三十秒、原稿用紙を渡してきた。筆が早い。早すぎる。
受け取ったそれを開いて見る。
――味の多い人生を送ってきました。
「待て」
「はい先生!」
「なにこれ? 君は食道楽なのかな?」
「はい先生! 先生に教わった通り文豪の作品を参考にしました!」
「参考ってそういうことじゃないんだよなー!」
もう帰らせようかな。
……いや待て。待て、私。彼の瞳が不安げに揺れていた。
そうだ、彼は初心者だ。仕方がないのだ。私が導いてやらねば。
大きく深呼吸をした私は、努めて慈悲深い笑みを浮かべ言った。
「参考というのは、もじればよいということではない。もう一度よく考えてみなさい」
「はい先生!」
言うが早いが、彼はもう万年筆を手にしていた。さっき見た気がするなーこれ。
そして待つこと三十秒、原稿用紙を渡してきた。やっぱさっき見たやつだ。
受け取ったそれを開いて見る。
――些事の多い人生を送ってきました。
「人生は些事の積み重ねだもんね。さっきよりはまだマシだけどね。そういうことじゃないんだよね。もう一度」
「はい先生!」
* * *
――無地の多い人生を送ってきました。
「あー柄物ってどう合わせたらいいかわかんなくてさ、結局モノトーンとか無難な色の無地を組み合わせちゃうんだよね、わかる。やり直し」
「はい先生!」
――誤字の多い人生を送ってきました。
「これはね、私も気をつけたい。でもやり直し」
「はい先生!」
――火事の多い人生を送ってきました。
「それは大変だったろう。だが失礼を承知で言うなら、特定の人物の周りでやけに火事が多いとき最も疑わしいのは……」
「にやり」
「不敵な笑みを浮かべない。もう一度」
「はい先生!」
――路地の多い人生を送ってきました。
「旧市街かな? ネタとしても微妙だし、数合わせ感あるよね。やり直し」
「チッ……」
「いま舌打ちしなかった?」
「してません先生!」
――知事の多い人生を送ってきました。
「どういうこと? 連続当選? きみ、政治家じゃないよね、やり直し」
「はい先生!」
――女児の多い人生を送ってきました。
「うらやましい」
「えっ」
「な、なんでもない。ほら次!」
「はい先生!」
――野次の多い人生を送ってきました。
「やっぱり政治家かな? やり直し」
「はい先生!」
――支持の多い人生を送ってきました。
「政治家じゃん! 立派な政治家だよ!」
「はい先生!」
「はいじゃないだろ。次」
「はい先生!」
――桃太郎「雉の多い人生を送ってきました」
「10年前のインターネットSSフォーマットやめろ」
「はい先生!」
――""
「道徳の時間だコラぁ!」
「!?」
「やり直し」
「はい先生!」
* * *
「はあっ、はあっ……」
十数分。たった十数分で私は息も切れ切れになっていた。
疲労困憊な私に対し、しかし眼前の若者はけろりとした様子で、爛々と目を輝かせていた。なんなのこいつマジで。
「もう帰ってくれないか……」
「ええーっ!?」
「これだけふざけてきてどうして驚けるのか。私はそれが驚きだよ。もうやめよう、な?」
「待ってください先生! 最後! 次で最後にしますから!」
「ええー……」
「最後、最後に一度だけ! 先っちょだけ! 先っちょだけお願いします!」
気持ち悪いなあ! だがあまりにもグイグイくるから根負けしてしまい、私は吐き捨てるように言った。
「ここは大喜利会場じゃあないんだよッ! いいか? 次だ。次ふざけたら本当に帰らせるからな?」
「はい先生!」
ほんと、返事はいいんだよなあこいつ。
そして言うが早いが、彼は万年筆を手にしていた。
そして待つこと三十秒、「できました!」原稿用紙を渡してきた。
やだなー見たくないなーと思いながらも受け取ったそれを開いて見る。
――虹の多い人生を送ってきました。
「これは……」
「はい先生!」
「……よく意味は分からないが、なんだか素敵!」
「はい先生! これが」
「純文学だ!」
完!!!!!!
純文学の正しい書き方 九泉 @nils00000
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