『ギミーシェルター』のように輝いて

振矢瑠以洲

第1話

 峰男は沈んでいく深紅の太陽と共に、薄暗くなっていく西の空を、ぼんやりと見つめていた。町並みの中の屋根の間に、ほぼ全体を見せていた巨大な円形は、いつの間にか頭だけを見せてその赤い光を、 周りの雲と空に映していた。今日は、一日晴れ渡った、鮮やかな天気の日曜日であった。そんな日曜日の終わりの日に、鮮やかな夕日を見ているのは、とても寂しく気が滅入るのであった。夏休みが終わって、昼が短くなり、夕方が涼しいと感じられる日がやってくると、寂しいと感じる日が多くなってくるのであるが、日曜日の夕方は、特にそんな気持ちが強くなってくるのである。峰男は、中学3年生の、どこにでもいるような男の子である。普通の男の子と同じように、今彼の頭の中は、進路のことで一杯であった。この時期になると、3年生はほとんどの者が、神経質になりぴりぴりとするようになるのであった。

 峰男は、市内の公立高校を受験することに決めていた。成績優秀な生徒の中で、峰男が受験することに決めていた高校を、受験するものは一人もいなかった。成績優秀な生徒のほとんどは、隣接した市外にある進学校を受験するのであった。学年トップの成績である峰男が、市内にある唯一の高校である、桜岩高校を受験することに対して、峰男の通う中学の教師たちは、こぞって反対していた。桜岩高校は、桜岩市の中心街にある、伝統のある高校であるが、以前から受験を希望するものが少なく、最近はさらに希望者が減っていて、学級減を余儀なくされている。ここ数年市内の志願者もめっきりと減ってきている。明日は三者面談が予定されており、峰男は両親と最終的な話し合いをした。明日予定されている三者面談で進路先の最終決定をしなければならない。峰男はこの年代の男の子にしては珍しくよく両親と会話をする子であった。進路のことに関しては普段からよく話していたので今夜の話し合いもそれほど時間がかからずに済む程度のものであった。

 

峰男の担任の館品先生は至って平凡な普通の男性教諭であった。峰男と峰男の母が並んで座り、机を隔てて館品は二人の間の空間を見つめながら話し出した。

「峰男君は学年でもトップクラスの生徒でして、学区内の高校のどれを受験しても合格圏内です。ですからなぜ桜岩高校にそんなにこだわっているのか私にはまったくわからないのです」

峰男の母親は館品が話した後それほど間を置かずにすぐに話し出した。

「父親も含めて私たち親子はよく話しをする親子なのです。私たちは親子3人で進路のこともよく話してきました。ですから、先生が疑問に思っていることは、私どもには疑問ではありません。だからといってこのことを先生に説明したらおそらく1時間や2時間では終わらないでしょう」

館品はまったく納得しない様子で、峰男との三者面談を終わりにした。時間もたいしてかからずおそらくクラスの中で最も短い三者面談であったかもしれない。


峰男の両親、浜田進とみすずの職業は何かというととりあえず翻訳家と言えるかもしれない。それ以外に進の父親から引きついた広い庭からとれる野草を高級レストランに出荷することで生計を立てていた。進の父親の雁之助は大きな農家を経営していたが、跡を継いで農業をやろうとする気のない進に見切りを付けて、知り合いの農家の人たちに畑のほとんどを手放してしまった。それでもまだ広い庭が残っていて、進はそれを相続したのであった。

 進とみすずはほぼ毎日早朝に起きて庭の手入れから一日を始める。庭の手入れと言ってもほとんどが除草であるが、二人にとって最も楽しいことのひとつとなっている。彼らは膨大な雑草をひとくくりにして見るのをやめて、ひとつひとつ調べることから始めた。ひとつひとつ調べていくと多くの野草がなにかしらの役に立つものであることが分かった。考えようによってはすべての野草がなにかしらの役に立つと考えてもよいように思えた。かなりのものが食用としてつかえることが分かった。そのなかでも高級レストランに出しても遜色のないものを選び出して、これらが増えていく計画で庭の手入れをしていった。

 天気の良い日は午前中に庭の手入れをして、昼食をとってから午後に翻訳の仕事を始める。朝から雨の日は庭の手入れは諦めて朝から翻訳の仕事に取り掛かるのがいつもの日課である。今日は朝から生憎の雨だったので、進とみすずは早速書斎に入って翻訳の仕事に取り掛かった。 彼らは文学作品の翻訳が得意で、小説や戯曲等の翻訳の仕事をしたいと思っているのだが、最近はそういう関係の仕事はあまりなく、IT関係の仕事が増えている。そのためこの1年間はインターネットを通してIT関係の知識を吸収することにかなりの時間を費やしてきた。彼らは二人共大学で学んだことは英米文学で、根っから文系であるが、いざPC関係の技術を独学で勉強してみると、興味が湧いてきて意外と理解できるようになってきたような気がする。

「コンピュータ言語という言語の意味は、日本語や英語といった言語の意味と違うんだね」

プログラム関係の専門書を開きながら進は言った。

「たとえは悪いけれど、コンピュータ言語のそれぞれの違いは、ラテン語系のスペイン語とポルトガル語の違いに近いのかな」

PC画面に写ったウィキペディアを見ながらみすずは言った。

「C言語というコンピュータ言語をよく見かけるし、とても重要な位置を占めているようだね。プログラマーにとってC言語を習得していることはプログラミングの力量ととても関連しているみたいだね。優秀なプログラマーは相当の部分をC言語で書いてしまうみたいだね」

進は自分が今開いているプログラムの専門書をじっと見つめながら言った。

「C言語と他の言語はどう違うのかしら」

コンピュータの画面から目を離して専門書を見ている進の方を見ながらみすずは言った。

「C言語はCPUにある命令やメモリーを直接操作できるみたいだよ。だからC言語で書くと実行速度が早いプログラムが書けるみたいだよ」

「有能なプログラマーはC言語が得意で、ほとんどをまずC言語で書いてしまうというのはそういうことからなのね。コンピュータ関係の翻訳は下調べで時間がかかりそうね。ああ、また文学関係の翻訳がまわってこないかしらね。・・・・そろそろお茶にしません?」


 みすずはダイニングキッチンのテーブルに、コーヒーを注いだばかりの2つのコーヒーカップを置いてから椅子に座った。進はテーブルの反対側の椅子に腰を下ろした。カップからコーヒーを一口飲んでから進が言った。

「峰男はあれから何か新しいことを言ったかい?」

「いいえ、特に何も言ってないわ。でも、あれだけ勉強が出来て桜岩高校というのは、ついとてももったいないと思ってしまうけど。さんざん話し合ったことだから。でも、最近驚いたことにあの子ヘミングウェイの原書を読んでいたわ」

「えーなんて言う作品なんだ?」

「確か、『老人と海』だったと思う。びっくりしたわ。まだ中学生でヘミングウェイを原書で読めるなんて。中学で学んだ単語力では読めるものではないと思うけど」

「確かその本なら僕が峰男に渡したものかもしれない。最近ヘミングウェイの作品を読んで感動したらしく、原書でも読みたいと言っていたんだ」

「思うに、あの子は進学校に入っても、受験勉強で潰されるタイプかな、と最近思うようになったの。通学時間も短く、模擬試験と課外漬けにあうこともないし。自分の時間を十分に持てるだろうから。そういうことがあの子にとってベストじゃないか、と最近わたしは思うようになったわ。それに英語だけでもずば抜けて出来れば入れる大学がけっこうあるみたいだわ」

「結局あの子は自分たちの後ろ姿を見ているんだね。質素な生活をしているからね。自分たちの余暇の楽しみ方は草花の手入れをして、読書をしていることが多いから、ほとんどお金がかからない。それでも毎日楽しんでいる。そんなところを見て育っているからね」

 ダイニングキッチンの隅には机と椅子があり、デスクトップのパソコンが設置してあった。みすずはデスクトップのパソコンの電源を入れてから、椅子に座った。パソコンが起動した後、みすずはしばらくの間グーグルで検索していた。

 「近くのパソコンショップでインストラクター募集しているわよ。教える時間も報酬も少なくてボランティアみたいなものだけど、前からパソコンを教えてみたいって、言ってたわよね?」

パソコンショップのホーム・ページを見ながらみすずが言った。

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