青い傘

小畑 こぱん

第1話 傘から声が聞こえた日

 青って綺麗だけど、冷たいイメージがある。


 ほら、空をジッと見つめていると何だか自分がちっぽけで、一人取り残されているような気がしない?

 落ち着いた冷静な色って言うけれど。


 でも私は、あんまりこの色を好きじゃない。





 今日も私は一人、筆記用具やノートを抱えて廊下を歩く。

 歩きながら窓の外を見ると灰色の曇天で、今にもパラパラと小雨が降り出しそうな天気だった。


「お昼食堂で食べる?」

「外雨降りそうだもんねー」


 窓の外を見ながら歩いていた私の横を追い抜いて、同じクラスの子が楽しそうにお喋りしながら同じ特別教室への道のりを先導して行く。

 会話の内容を耳に拾って、あの子達は食堂なんだ、と少しホッとする。


 雨の降りそうな今日は中庭で食べる子も少ない筈。

 教室でお昼を摂られてしまうと、友達のいない自分の惨めさをより痛感するだけの空間に成り果ててしまう。


 元々私は内気で恥ずかしがり屋で人見知りの、とてつもなく人とコミュニケーションが取りにくい性格をしている。

 そして最悪なことに中学の入学式の日で、よりによって季節外れの風邪にかかって高熱を出してしまい、三日ほど休んでしまった。

 登校した時には既に地元の子同士、または席の近い子同士で既にグループが出来上がっていた。私の家は転勤族で小学校卒業のタイミングで他県へと引っ越し、誰も知り合いのいない中学校へと入学することになったのだ。


 出だしで躓いたのと、どうしようもない私自身の性格のせいで、最初は話し掛けてくれていた子達も今では避けられてしまうようになっていた。

 熱を出して休んだのも、上手く人と話せないのも、全部私が悪い。


 ギュウッと抱えているものを強く抱きしめ、俯きながら存在を消すように、静かに歩いて行った。





◇+◇+◇+◇+◇+





 お昼はやっぱり教室で食べる人が多くて居辛く、部室で一人電気も点けずに黙々とお弁当を食べる。

 これでもどうしようもない性格をどうにかしたいと思って、せめてと部活には頑張って所属した。

 私が入っているのは美術部で、ここなら作品作りに集中するから会話は少ないだろうと、比較的入りやすいかなと思ったからだった。


 それに絵を描くこと自体は好きだ。

 絵を描いている時だけは、自分が一人だって思わずに集中していられるから。


 卵焼きを箸で掴んで口に入れようとした時、パッといきなり電気が点いた。


「っ!?」

「わっ、居たのかよ!? つか居るんなら電気点けろっての!」


 そう言って私と同じように驚き、部室に入って近づいてきたのは三年生で部長の相楽さがら先輩。


「あ、あの、あの、わたっ、私っ」

「あー落ち着け。別に怒ってる訳じゃないし。ていうか本当に熱心だよな、浅倉って。昼休憩まで部室に来るの、お前も続き描きに来たんだろ?」

「え。……あ、はい」


 ここにはお弁当を食べに来ただけだったのに、つい頷いてしまう。

 そして彼は一度窓の外に視線を向けたと思ったら、再度私へと戻して笑顔を見せた。


「特に今日雨だしな。教室うるせーから俺も来た」


 ニシシっと歯を見せて笑う先輩に、その笑顔が何だか眩しくて思わず見つめてしまった。

 何だか心臓がドキドキとしている。頬まで熱くなってきたような。


「卵焼き落としそうになってんぞ」

「……はっ、わっ!」

「食事の邪魔して悪かったな。ゆっくり食べろー」


 気づいた途端にボトッとご飯の上に落としてしまった横を笑いの含んだ声で言いながら通って、私の後ろにある部員の作品置き場から先輩がキャンバスを取る。

 近くにあるイーゼルも一緒に抱えて、離れた場所で彼はそのまま作品の続きに取り掛かった。


 私もそんな先輩の邪魔をしないように静かにお弁当を食べ進める。

 けれど筆をキャンバスに滑らす先輩の真剣な横顔を、時折そっと盗み見た。


 相楽先輩は私と違ってコミュニケーションを良くとる人で、他の部員にも毎日一言は必ず話し掛けている。

 先輩を相楽部長と呼ばないのも前に彼が、『あーそんな堅苦しく呼ばなくていいから。顧問から頼まれた雇われ部長みたいなもんだし』と言っていたから。

 いつも明るくて冗談もよく言う先輩だけど、絵を描いている時はすごく真剣で、完成した作品も全てレベルが高い。二年生の時の先輩の作品も顧問の先生に見せてもらったことがあるけれど、どれもコンクールに入選したというものばかり。

 相楽先輩は雇われとか言うけど、人柄も実力も部長に相応しい人だと部員は皆思っている。それはもちろん、私も含めて。


 お弁当を食べ終わって、続きを描きに来たと頷いたのもあり、私もいそいそと昨日の続きに取り組むことに。

 私がいま描いているのは、校庭の風景画。

 写真を準備室のコピー機で印刷してもらって、それを参考にキャンバスに描いている。

 けれど植物の多い風景画は色々な緑系統の絵の具を使用しても、私の力量ではのっぺりと平たくなる。どうすれば立体的に良くなるのか分からなくて、繰り返し色々な緑を塗り重ねていると。


「緑だけじゃなくて黄色とか、赤とかも入れてみたら?」

「へ……せ、先輩っ!?」


 いつの間に近くにいたのか、背後から声がして振り向くと先輩がジッと私の絵を見ていた。

 先輩は焦る私に構わず、淡々とアドバイスを告げてくる。


「単純に緑だけじゃなくてさ、光の当たり方とかでそういう色も見えたりするだろ? 写真見てその通りに描いていたんじゃ、オリジナリティなんて出せないぞ」

「え、えっと」

「想像力だよ、想像力。そのままを描くんだったら写真でも別に良いわけだし。絵って言うのは個性で、想像力だ。その通りに描かなくても、浅倉の好きなように描いていいんだぞ?」


 そこまで口にして、ハッとしたように自身の頭を掻く。


「あっ! つか、これ俺の意見な。悪い、強制とかじゃない」


 強制だとは思わなかったけれど、きっと部長だから後輩への自分の発言力をマイナスな方向で取ってしまったのだろう。

 首を横に振って、少し躊躇ったけど意を決して先輩へと訊ねてみる。


「……あの、相楽先輩、は、想像して描いているんですか?」


 緊張で擦れた声だったけれど、先輩の耳にはちゃんと届いたようだ。


「まぁな。俺、あんな偉そうなこと言ったけど実は受け売りなんだ。自分の描くものなんて、ただの景色としか見てなかった。だから俺の絵を見て言ったヤツの言葉聞いて、すっげーショック受けた。技術が上手いだけじゃダメなんだって。伝わるものがないと、それはただのガラクタなんだって思い知らされた。だからただ上手いだけのヤツにはなりたくないって、そう思って想像しながら描き始めたんだよ」


 苦笑して話してくれた内容を聞いて驚くとともに、納得もした。

 だから先輩の絵は人を惹きつけるんだ。いつもコンクールに入選しているのも。


「絵を見た人の、きっかけになった言葉。何て、言われたんですか?」

「つまらない、ただ一言だけ。小学校低学年の頃のことだけど、突き刺さったからよく覚えてる。それまで上手くて周りから褒められて鼻伸ばしてたから、ポキッと折られた感じ。言ったヤツがヤツだったから、あ、マジで言ってるって思って本当ショックだった……あ」


 キーンコーンカーンとチャイムが鳴り、時間がいつの間にか予鈴が鳴るところまで経過していたようだ。

 話は途中で終わってしまったけれど、授業に遅刻する訳にはいかないから、私も先輩も慌てて片づけて教室へと戻って行った。

 その後授業を受けて放課後になったけれど、あれから土砂降りになった雨に警報まで出てしまって、部活はせずに下校しなさいと放送された。


 ちょっぴり残念な気持ちになりながら、下駄箱のすぐ傍にある傘立てから自分の青い傘を取る。

 引っ越すと同時に使っていた傘は古いからと捨てられ、お母さんが買って来てくれた新品の青い傘。パッと開くと目の前に一面の青が広がって、更に憂鬱な気持ちになりながら俯いて土砂降りの中を歩き始める。


 青い色は好きじゃない。

 だって、何だか寂しい気持ちになるから。



『あーあ。ほんっと暗い子だわぁ。前見て歩かないと転ぶってー』



 ザアアアァァ――ッと傘に激しく雨粒が叩きつけられる中、頭上からそんな声が聞こえた。

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