地雷女と韻を踏む
最早無白
地雷女と韻を踏む
僕と同じか一つ二つほど年下の集団と思しき声が、アパートの薄い壁を伝って耳に届いてくる。
壁から少しだけ顔を出した喧騒をおせっかいにも鼓膜は掬ってきて、脳みそへ情報として寄こしてきた。要は外がうるさいのだ。僕を守ってくれるモノが、また一つ消えてしまった瞬間である。
「はぁ……どうしたものか……」
外でうるさくすることに関して、怒りの感情はこれっぽっちもない。もともと僕は気は長い方で、なんなら人を叱るのに苦手意識がある。今回の件も大学生のよくあるノリだ、仕方のないことなのだ、と自分で勝手に結論づけ、余計な干渉を未然に防ぐつもりだ。
しかし正直なことを言えば、周りが静かなのに越したことはない。特に深夜はぐっすり眠りたいし。引っ越すか? いやぁ、そんな金もないしなぁ……。
「話も止みそうにないし、音楽聴きながらやりますか」
イヤホンを耳に突っ込んで、外界を遮断した気分になる。鉛筆を握り、誰に聴かせる訳でもない歌の歌詞を書き殴っていく。
「『踊らされている
この行為には明確な目的がない。逆に何かしらの行為をする、というのが当面の目的だ。僕は社会のレールから外れた。詳しい説明は話すと長くなりそうなので割愛する、というか自分で傷口を抉りたくない。一言でいえば、就活に失敗した。
まあそんな訳で、当然歌詞のコンセプトなどは持ち合わせていない。
……と、ひとりごとを頭の中で呟くと、心が少し軽くなる。だからこそ、『歌詞』という選択肢をとったのだろう。ひとりごとを洗練したモノを、文字に起こしていく。幼い頃の思い出や、後ろ向きな考え方も。今まで生きてきた中で見て、聞いて、感じた事象を全て使って、一つの世界を構築する。
その世界に枠組みはない。境界線も引かれていない。ただ、広がっていくのみである。調律をしてくれるイヴは……今のところ見つかっていない。
「ふわぁ……ねむ。今何時だ……ってもう二時かよ、寝よ寝よ」
未だ聞こえる彼ら彼女らの声をよそに、僕は視界を真っ暗闇にした。
――事件が起きたのは、それから約五時間後のことだった。
「あっ、おはざいま~す! 外寒かったんでここ借りてました! お詫びにメシ作ってるんで、それでチャラってことで~……いいすか?」
「……いや、えっ? てかあなた誰!?」
得体の知れない女が、キッチンで朝ご飯を作っていた。さらさらとして綺麗な金髪に、ピアスが左耳に二つと右に四つ。おまけに涙袋を赤色でメイクしているときた。
僕が苦手としている部類の人間、陽キャ……しかも特に苦手な『地雷女』だということは一瞬で把握できたのだが、なぜここへ来て、ここでご飯を作っているのか。寝起きということもあり、この女の顔が好みなこと以外全く理解できなかった。しかしそれも、コイツのメイク力によるモノなのかもしれないという現実。ぴえん。
「アタシっすか? そこに住んでるヤツの友達ってとこっすかね! アイツ、昨日はアタシを泊める約束してたのに男連れてきて。んで、アタシ追い出されたんすよね~」
その後の展開は聞かずとも察せた。まあ、そういうことなのだろう。うまくいくといいね。
「とりあえずあったかいうちに食ってくださいよ~! ほい、卵かけご飯とみそ汁っす!」
「あ、ありがとう……」
ご丁寧に溝を作ってくれていたので、そこに黄身を落としてかき混ぜていく。醤油は気持ち多め。近い将来、確実に塩分過多で倒れるだろう。
「てかあんた、リアクション薄くないすか? 朝起きたら知らない女がいたなんて、フツー通報案件でしょ? それかワンチャンあるとか思ってんすか?」
「いや、思ってないよ。リアクションが薄いのは驚きすぎて逆にって感じかな……。遊びに来る人もいないから、鍵閉めてなかったのかな?」
「多分そっすね! めちゃめちゃ鍵開いてましたよ!」
危なっ! コイツが良識のある人間で良かった……いや、勝手に家に入ってる時点で良識はないな。やっぱり気のせいか。
「あ、アタシ今日大学昼からなんで、もうちょいここいていいっすか?」
「まあいいけど、別に何も出せないよ?」
「あー全然大丈夫っす! メシはテキトーに買っていきますし、大学も寝に行くようなもんなんで!」
「それ、本当に大丈夫なの……?」
明らかにヤバそうな雰囲気を醸し出しているが、人は見かけによらない。単位をほぼ取り切っている可能性に賭けよう、僕に人の心配をしている余裕はないのだ。
困惑している僕の心境などお構いなしに、彼女は机の上に置いたままだった歌詞のなり損ないに手をかけていた。
「おっ、この紙なんすか?」
「ちょ、それは見ないで! 大事な書類だからぁ!」
口を衝いて出た薄っぺらいでまかせ。確かに僕としては大事なモノなのだが、書類などという大層なモノではない。共通しているのは紙製な点だけである。
「えぇ~!? もう見ちゃいましたよ! んでこれ、あんたが歌うんすか?」
「まさか。ただ趣味でやってるだけだよ、それに作曲とかその辺は全然できないし……」
「いやでも、これを形にしないのはちょい勿体ないっすよ。作曲か……トラックならアタシ一応できますけど。いっちょやってみます?」
「トラック……って何? 車のアレ?」
「あ~、そっちじゃないっすね~。兄さん、HIP HOPって分かります?」
いきなり兄さん呼びかよ。『妹』という存在に憧れていた僕にとっては、少々刺激の強い一言だった。しかしそこにいちいち突っ込むと、話が進まないのでスルー。
「な、なんとなく……韻を踏むヤツ、だよね?」
「他にも色々ありますけど、まあそんな感じっす。んで兄さんは意識的にかは分かんないっすけど、実は韻踏んでます。ほらここ、『人形』と『し夜中』。どっちも母音がいおああなんすよ。これが韻っす」
「へぇ~、これ韻だったんだ! これだとなんか語感がいいなと思ったからさ。じゃあたくさん韻を踏めば、いいモノができたりするの?」
「意識してなかったんすね。そうやって韻を踏んだり、あとは声量や声の抑揚、それとリズムに乗り切って歌うのが大事なんすよ。めちゃめちゃ奥深いっすよ!」
当たり前だけど、たくさんの要素が組み合わさって一つの作品ができあがるんだよな。自分が歌う訳でもないのに、つい熱くなってしまった。
「お、もうこんな時間。んじゃアタシ学校行きますね! それとちょい鉛筆借りますね!」
「え、あ、うん……」
彼女は紙の隅っこに、自身の連絡先と思しき文字列を書き始めた。恐らくそれで間違いないのだろうが……。
「っし。気を取り直して行きますね~! お邪魔しました~! また来ま~す!」
「ちょ、『また』ってどういう……」
扉を閉める音のみが、部屋中に響き渡った。突如現れ、風のように去っていった女。かわいかったなぁ……まさかアイツがイヴになる、のか? いやないだろ! でもワンチャン……とにかく今は、紙に書かれた『Y_Tbana』の文字列を、SNSで検索するほかなかった。
「これか……」
検索結果に映る、『タチバナユキナ』の七文字。プロフィール画像はさっきの彼女その人であるため、本人のアカウントとみて間違いないだろう。これは偏見だけど、自分の顔をプロフィールにするなんて相当な陽キャか、単純にネットリテラシーがないかの二択だ。仮に前者なのだとしたら、その自信とノリはどこから湧いてくるのか。甚だ疑問である。
え、ちょっと待って。僕、コイツに『友達追加しました!』みたいなメッセージを送らなきゃいけないの!? いややっぱり無理無理無理! ハードル高すぎるって!
――あの件から数日が経った。もちろんタチバナさんとは一切の連絡をとっていない。彼女は僕のメッセージを待っているのかもしれないが、どうもその期待には応えられそうにない。だって怖いもん。
歌詞の方はやはりというべきか、韻を意識するようになった。無法地帯だった世界に『決まりごと』が制定されて多少窮屈になったものの、それゆえに世界が構築しやすくなっていった。HIP HOPについても多少調べ、その長い歴史と文化を知った。
今日も今日とて意気揚々と鉛筆を走らせていると、インターホンが鳴った。出前をとったとかそういう訳ではないし、こんな日付を跨ごうかという時間に、地元の友達が急に来たとも考えにくい。となれば答えは一つ……あの女である。
うわ、めちゃめちゃピンポン連打してきたし。人の家のインターホンで早押しクイズするなよ。せっかく書き続けてきた歌詞が活かせないのは惜しいけど、このままやり過ごそう。うん、絶対それがいいと思う。
「ちょっと~、なんで連絡の一つもくれないんすか~? あれ、いないんすか~!?」
アイツ外で何言ってんの!? しかもこんな夜中に! あぁ、このままじゃ近所の方達にあらぬ噂を立てられて……なんだかとてもまずいことになってしまいそうだ! 仕方ない、中に入れてやるしかないか……。回したドアノブの感触はやたらと重かった。
「な、何……?」
「何? じゃないっすよこのバカ! どんだけ待ったと思ってるんすか! ……っていうのもありますけど、フツーに友達と遊んだ帰りに寄っただけっす。ほら、男連れ込んだってヤツ。この前は結構喋り倒して近所に迷惑かけたっぽいんで、早めに切り上げた感じっす」
あの時騒いでたのはタチバナさん達だったのか……まあ、なんとなくそうだとは思ってたけど。
「いやだって、さ……ねっ?」
「はぁ……もういいっす。こうなるとは思ってましたし、アタシが信用ならないってのも分かります。だからって、なんで居留守なんてセコい手使おうとしたんすか」
タチバナさんは僕の行いに対して、ぶーぶー文句を垂れている。そんなこと聞かなくたって、おおよその察しはついているだろうに。あなたみたいな人に苦手意識があるんだよ。と、ストレートに言う訳にもいかないので……。
「せっかく連絡先を教えてもらったのに、まだ挨拶すらしてないから、かな……」
遠回しに、あくまで嘘はつかずに。挨拶をよこしていない理由は、さすがに理解してくれているはずだ。
「じゃあなんで入れてくれたんすか。コイツ遊んでそうだしやっぱワンチャンあるとか思ったんすか? 一切連絡くれないのもアタシのこと焦らしてたからなんすか!? わざわざ家に来させるためにっ!?」
「全然違うよ……家の前で浮気された女みたいなこと言いだしてきたから、仕方なく入れただけだよ……。連絡してないのは、えっと……」
「大丈夫、だいたい分かってますから。浮気された女ってのはよく分かんないすけど。でもアタシそんな明るくないっすよ? むしろ明るいの髪色だけっす、酒弱いし」
やはり人は見かけによらないな。彼女が『明るくない』一面を持ち合わせているということに、なぜか安心感を覚えた。あと、お酒弱いのはそんなに関係ないと思う。
「そうなんだ。気が向いたら連絡するから、今日はもう大丈夫……」
「ちょいちょいちょいちょ~い! 兄さん、なにアタシのこと帰そうとしてんすか!? そうだトラック! さわりだけでも聴いてくださいよ~!」
そう言ってタチバナさんはリュックからパソコンを取り出し、音楽ソフトを立ち上げる。キーボードを叩く彼女の慣れた手つきに関心していると、ほい、とイヤホンをこちらに差し出した。
――調律された世界が鼓膜を震わせ脳へ、そして全身へと広がっていった。
「すご……」
僕の口から言えたのはこの二文字のみ、あとは何もいらないくらいに。あまり多く言葉を並べると、この世界を壊しかねない。
「ま、こんなもんっす。コイツを仕上げたあとにリリック……歌詞をのっけて歌えばほぼほぼ完成っす。音源化するならまた別に色々と準備が要りますけど、その辺はアタシがやりますわ」
「そっか。タチバナさんってなんでもできるんだね」
「あ、あざっす……なんでもって訳じゃないっすけどね。あとユキナでいいっす」
さっきまでのノリはどこへやら、タチバナさんa.k.a.ユキナさんはしおらしくなってしまった。もしかして褒められ慣れてないとか? 地雷系って褒められ界の最頂点みたいなとこあるのに。なんて思った次の瞬間には、与えられた自身の役になりきるかのように調子を取り戻し、
「そうだ兄さん。アタシもここ住んでいいすか? こっちの方が大学近いんで。平日は基本バイト戦士してるので生活費半分ずつで! どうすか?」
と、とんでもないことを言い放ってきた。
「へぇっ!?」
ピンチとチャンスが同時に襲いかかる。バイトしていた時の貯金もそろそろ危なかったし、こんなかわいい子と一緒に暮らせる……だけど怖すぎるだろ! 自分の家なのに気が休まらないって!
「ちょい狭くなりますけど、アタシ全然床で寝ますし。というか家にいない時間の方が長いんで大丈夫だと思うんすけど……いいっすかね?」
確かに。ユキナさんは僕と違って昼間は大学に行っているし、初めて会った時のように僕が寝ている間に家に帰ってくるのだとしたら、窮屈さもさほど気にならない。
「でもそれならさ、友達の家でよくない?」
「いや~……それは思ったんすけど、これがまあアツアツなもんでして。さすがに邪魔しちゃまずいっていうか……だから頼んでるって訳っす。女と同棲、生活費半々……悪い話じゃないっすよね?」
ユキナさんはこちらにすり寄り、耳元で囁く。実際悪い話ではない。ただ、『女が家に出入りする』という事実が、最大のメリットでありデメリットなのである。近所にユキナさんの友達も住んでいるため、下手な真似ができないからだ。
しかしこの状況下で、理性など保てる訳もなく……。
「まあ僕達、行動時間はあまり被ってないし割と一緒に住んでも大丈夫かも……でももうちょっと考えさせて。急には難しいからさ」
二秒後には、保険をかけつつ前向きに検討していた自分がいた。一体何をやっているんだと思考を整えると、別の問題が発生していることに気づく。
「待ってユキナさん、終電は!?」
「はは……そういうことっすよ」
今晩彼女を泊めることが確定した。数日ぶり二度目、しかしあの日と違ってまだ意識は落ちきっていない。変なムードに呑まれかけたところを、ユキナさんの携帯が救ってくれた。どうやら電話のようだ。
「ん? あぁ……なんでもないっす」
そう言って彼女は携帯の電源を切る。まるで一切の繋がりを断つように。
「出なくてよかったの?」
「はい、ただのダル絡みなんで。もう寝ましょ」
彼女のプライベートな部分に触れかかったことを自省し、僕達は横になる。さすがに客人を床に寝かせる訳にはいかないので、いつも使っているベッドを明け渡す。
消灯しようとしたその瞬間、んしょ、とベッドによじ登る彼女の脚が異様に赤く、腫れあがっていることに気づく。どこかで転んだのだろうか、気になる……。聞くべきか、聞かざるべきか……。
「なんすか兄さん、アタシの脚なんてじろじろ見て……ああ、これっすか」
「あ、ごめん。その……大丈夫?」
「赤くなってますけど今は痛くないんで大丈夫っす。うん、本当に、大丈夫っすから……」
明らかに大丈夫ではない表情と震えた声。しかも脚だけはでなく腕や首などの至る所に傷の跡があり、凄惨な状況下にあることが見て取れた。『大丈夫』という言葉も、あえて自身を見失おうとしているように感じた。
「大丈夫じゃ、ないよね?」
例えいくら地雷を踏むことになろうとも。僕はユキナさんと向き合うことにした。その言葉を待っていたかのように目元が潤み、やがて一筋の涙がこぼれる。最初からメイクなんて施されていなかったのだ。
ユキナさんは多分、地雷原の真ん中にずっと一人ぼっちで立っている。なんとなくそんな気がしてならなかった。
「ってことはさっきの電話も?」
「正解っす」
「……ここに、逃げて来たんだ?」
「……正解っす」
ユキナさんが言えなかった地雷の数々を、代わりに僕が全て踏み抜く。そうすれば彼女は自由になれる。今僕にできることはそれしかない。しかし予想に反して、ユキナさんは僕に全てを打ち明けてくれた。
「アタシの家って親がちょい厳しくて。小さい頃から勉強や習いごとで友達と全然遊べなかったり、嫌なことがあるとすぐアタシのせいにされたり。所謂親ガチャ失敗ってヤツっす」
「そっか……バイト戦士だって言ってたから、てっきり一人暮らしだと思ってた」
「ああ、なんか高校卒業したらなんか急に呆れられちゃって。髪染めたりしたのもその反動っす。まあさっきみたいに電話はかかってくるし、家にいたらボコられるんすけどね」
ユキナさんは携帯の電源を点け、一枚の写真を見せる。そこには長い黒髪がよく似合う少女の姿。どうやらピアノのコンクールで優勝した時のモノらしい。彼女のトラックの技術はここに隠されていたのか。
「実はこんな感じだったんすよ、アタシ。髪型ずっとこれで、別に好きじゃないピアノもやらされて、ザ・清楚! みたいな。この時はマジでキツかったっすね~……」
そしてもう一枚。今度はどうやら友達とのプリクラのようだ。オレンジの文字で『京都!』と書かれている。
「んでこっちは高校の時の修学旅行っす。親の目が行き届かない所なんて、ここくらいしかなかったんすよ……まあ、そういうことっす」
ユキナさんは泣き笑いで語ると、ふっと力が抜けたようにこちらにもたれかかる。今まで気を張っていた分、疲れてしまったのだろう。僕の胸に顔を預けながらとろけ切った声で、
「……いい?」
と一言だけ、そうつぶやく。
「……うん」
断るという選択肢は夜にもみ消されていった。
――あれから一夜。特にそういうこともなく、今は二人で朝の日差しを浴びている。
「そうだ。リリック書けたよ」
「お、マジっすか。早く見せてくださいよ~」
「はいはい。そこに紙置いてあるから」
ウキウキでリリックを読み進めるユキナさん。なんか恥ずかしいな……。
「MINE、っすか……ちょいちょい兄さん、これってもしかして……アタシのことっすか?」
「さあ? どうだろうね~」
「もしアタシのことなんだとしたら……よろしくお願いします」
「ありがと。これからよろしくお願いします」
「んんん~!」
ユキナさんは僕を抱き寄せ、そのまま唇を奪う。ちなみに初めてだったのはここだけの秘密だ。お互いへたくそなキスを二回、三回……。
「アタシ、イヴなんて大層なもんじゃないっすけど……?」
「ちょ、ま、まあ……。僕がそう思ってるだけだから……」
「ははっ、そういうことにしときますね。んじゃアタシ、大学行ってきますね、ついでに家帰って、最後に一発ボコされときますわ!」
『最後に』。ユキナさんは家族にもう会わないつもりなのだろう。話を聞く限りその方が良いと思うし、何より僕は絶対に会いたくない。しかし、
「僕も一緒にボコボコにされに行くよ。それでユキナさんの親が認めてくれるなら……」
「ダメっす。彼氏がボコされるのなんて見たくないっすもん。あと話がややこしくなるんで。気持ちだけとっときます」
断られてしまった。まあ当然っちゃ当然である。
「いってきま~す!」「いってらっしゃい!」
……ああああああああ! かわいい! ものすんごくかわいい!
再び一人だけとなった部屋で僕は悶え、のたうち回る。昨日のとかさ、あんなのズルでしょ! 断れる訳ないじゃん!
五分ほどして冷静さを取り戻すと、自分にユキナさんの恋人が務まる訳がないという事実に今さら気づいてしまった。ヤバ、どうしよう……。とりあえず履歴書買いに行くか? しかしなぁ……ユキナさんとの出会いで、何かを掴めたような気がするのだ。何かの正体はまだ分からないけど。
というか眠い……。昨日は心臓が暴れすぎていて結局一睡もできなかったからな。よし、二度寝するか……。
「あっ、兄さんおはざいま~す! 鍵開いてたから勝手に入っちゃいました!」
ドアが開いた音で目が覚める。一体何時間寝ていたのだろう。
「ちょい荷物多くなりますけど、兄さんに迷惑かけないように頑張りますね!」
リュックを床に置いた彼女の細い腕が一瞬目に映る。見ているだけでも痛々しい生傷達。寝起きで視界がぼやけていて良かった。
「いや~、めちゃめちゃボコられましたね~! 腕とかお腹とかマジヤバいっす! 自分の娘にここまでするか? って感じっすよ。ねぇ……アタシ今ボロボロっすけど、兄さんのこと、ぎゅってして……」
皆まで言わせない、体は勝手に動いていた。ユキナさんをきつく抱き寄せ、僕達は壊れていった。でも今だけはこれでいいんだ。彼女の受けた生傷を、僕のキスで上書きする。嫌になった記憶を塗り替えて誤魔化す。
「てか、アタシは引っ越ししたかっただけなのに、なんやかんや付き合うまでいっちゃいましたね~……」
「だね~。まあでも一緒に住むんだし、いずれはこうなるかな~……って」
「ほら~、やっぱワンチャンあると思ってたんじゃないすか~!」
「「……あはははっ!」」
僕達は互いを抱き締め合いながら、いつまでも二人だけの世界に浸っていた。
あれから数年が経ち、僕達はそれなりに名の知れたクルーとなった。二人が出会ったあの家からも良い所に引っ越しているし、交際関係の方も順調である。
「それでは次に、タチバナさんのご家族についてお伺いしたいのですが……」
「「あぁ……それは地雷ですね! すみません!」」
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