第13話

「遊びに来ましたわ!」

 有言実行というか、この行動力は一体なんなのだろうか。

 プルソン家のご令嬢もといシャルルはドレス姿ではない動きやすい服装だ。その服装が前回来たときに私たちが着ている服を覚えていったようで、細部まで似ている。その記憶力はすごいものだけれど。そして手にはしっかりと軍手。後ろに控えているドミニクにジトッと視線を向ければ彼は眉をハの字に曲げただけだった。

「まだまだ勉強中の身ですけれども、少しでも役に立ってみせますわ!」

「そう……そしたら、雑草抜くの手伝ってちょうだい」

「わかりましたわ!」

 もう諦めである。ここで追い返したところできっとシャルルは再び来るだろうし、こうまで熱量のある人間を無視するなんてきっと先生のほうが気にしてしまう。

 ちらりと下に視線を向ければ前回のようにヒールの高いお洒落な靴ではなく、しっかりとした靴底のブーツ。見よう見まねかもしれないけれどそのやる気を否定すれば本当に私はただの嫌な女だ。

「この辺りを私と一緒に作業しましょ」

「わかりましたわ、ソフィア様!」

「だから人違いだって! 私にはエリーという名前があるの!」

「エリー様!」

「庶民に『様』を使ってるんじゃないわよ!」

 これは中々苦労する。ドミニクが毎日こんな苦労していると思うと涙ぐんでしまうというか……と思っていると脳裏に浮かんだのはセバスチャンの姿。ごめんなさいセバスチャン、あなたから見た私もきっとこんな感じだったのねと心の中で手を合わせて謝罪をする。

「もう……そもそも私のほうがあなたに様を付けなければいけない立場よね。言葉遣いも改めたほうがいいかしら……」

「嫌ですわ! エリー様にそのようなことさせられませんわ!」

「だから『様』っ……もう! あなたがエリー様と呼ぶ限り私だってシャルル様と呼ぶわよ?!」

「嫌ですわー! わたくしのほうが二歳も年下ですのになぜそのようなことをさせなければなりませんの?!」

「ならエリーって呼びなさいよ!」

「……嫌ですわ」

「不貞腐れないの!」

 確かプルソン家は一人娘だったはず。あのご両人はさぞ自由にシャルルを育てたのね、と少しだけ頭を抱えた。別にそれが悪いというわけではないけれど。そのおかげできっと令嬢だというのにこんなにも純粋に育ったのでしょうけれど。

「わかりましたわ……エリーお姉様」

「私にあなたのような妹はいなくってよ」

「……えーん!」

「泣いても絆されないわよ」

「……わかりましたわ。エリーさん、でよろしいですの?」

「……妥協案ね。いいわ」

 一体なんのやり取りよ、と思いつつラディッシュの葉を引き抜こうとしていたところを慌てて引き留める。まだ野菜と雑草の区別がつかないなんてなんて恐ろしいの。成長途中の野菜を引き抜かれてたまるもんですかとしっかりと雑草がこれだと示し、引き抜こうとしている様子をハラハラと見守る。

 初めての作業で興奮が止まらないのか土に突っ込みそうになる勢いで前のめりになるものだから、はらりと落ちた髪が気になって仕方がない。呆れたように息を吐き出してその髪に手を伸ばす。

「ほら、髪が汚れてしまうでしょ。結んであげるわ」

 両サイドにあるリボンを解いてひとつをシャルルに返し、もうひとつを上のほうに束ねた髪を括る。ポニーテールなら余程振りかぶらない限り大丈夫でしょうと手を離してあげれば、出会った頃と同じような目でこっちを見てきた。

「感謝致しますわ!」

「お、お礼を言われるほどでもないわ」

「……わたくしにも、エリーさんのようなお姉様がいればよかったのに」

 一人娘だから歳の近い子どもと無邪気に遊ぶ、なんてことがなかったのだろう。寂しげな顔は無理に笑顔を作った。私は確かに立場上、姉だった。けれど姉らしい振る舞いなど何ひとつしたことなんて……

「きゃーっ?!」

「今度は何?!」

「な、なんですの何かにょろにょろとしたものがっ」

「あれはミミズよ! ミミズがいるっていうことはそれだけいい土だってことなの!」

「あ、あれがミミズ……? わたくしもっと妖精みたいなものかと……」

「……妖精」

 ミミズという文字を見てよく妖精を想像できたものだ。確かに土にとっては妖精……違う違うシャルルの思考に洗脳されるところだった。でも土にとっても野菜を育てている私たちにとってもありがたい存在には変わりない。

 言っていた通り少しは勉強しているようだけれどまだまだね、と小さく息を吐いて私も草むしりをしようと身を屈めた。

「ひぃっ?! なんですのこの白い物体は?!」

「もう! それは幼虫よ!」

「この下は絵本で読んだような魔界に繋がっておりますの?!」

「ただの土の中よッ!!」

 虫を見るたびに叫んで私にしがみついてくるものだから、ひとりだとあっという間に終わらせる草むしりも全然進まない。一体あとどれほどこのやり取りをしなければならないのだろうか。

 それから隣からシャルルの悲鳴を聞きつつ怖がる度に説明をしつつ、少しずつだけれど草むしりは進んでいきようやく一列が終わった。この一列終わらせるために気力も根気も失われたのだけれど。ぐったりしている私に気付いてくれたのか、先生がシャルルを手招きして今度はこっちを手伝ってほしいと言っていた。

 ようやく悲鳴から開放された私は鍬を取りに行き、シャルルの言っていた魔界を耕す作業に入る。先生がシャルルを呼んでくれてよかったのかもしれない、土を耕していると色んなものも発見されるから下手するとシャルルは失神する。

「あ、それは毛虫なので触らないでくださいね」

「きゃーっ?!」

 どうやら向こうで悲鳴劇場はまだまだ続いていたみたい。

 土を耕し種を植え水をやって、としている中でも時折向こうから聞こえる悲鳴に鍬に顎を乗せて溜息をつく。貴族の娘だから今まで虫を見たことがなかったということはわかる。悲鳴を上げるのも仕方がないけれど、よくそれでもめげずにやろうと思ったものだ。折角綺麗に手入れをされている指や爪、髪に汚れがついてしまうというのに。

「エリー嬢、セイファー殿が良いと言っていたものを収穫してきました」

「あら。わざわざドミニクも働かなくてもいいのよ?」

「シャルル様も手伝っていることですしそういうわけには」

「そのシャルルだけど、今頃ご両親嘆いていらっしゃるんじゃないんかしら。貴族の娘があんな土まみれなんて……」

「いいえ、寧ろ喜んでいらっしゃいます」

 思いもよらない言葉が返ってきて目を見張って視線をシャルルからドミニクに向ける。シャルルを眺めるその瞳は優しげで、本当に大事なのだということが伝わってきた。

「シャルル様はソフィア嬢が行方不明だと耳にしショックを受け、それ以降ずっと伏せておられたんです。ですがここ最近以前のように……いえ、以前以上に活発になられた。主も奥方様も随分と喜んでおられました」

「……プルソン家は本当にシャルル令嬢を大切にしておられるのね」

「はい。ですので、シャルル様を元気付けなさったおふたりに是非お礼をしたいと」

 笑顔でさらっとぶっ込んできたドミニクにこっちの頬が引き攣る。シャルルにははっきりと断ったけれどまさかその両親にまでそう言われるとは。

 庶民相手にあまりにも大きすぎるわ、と今回も断りたかったけれどそうもいかない。

「……わかったわ。ここで断ったら逆に失礼にあたるものね。でも品はこちらで決めさせてほしいのだけれど」

「勿論です。なんなりと」

「ではグローブとローブをお願いするわ」

「承知しました。ではそのように」

「でもドミニクも大変ね。だって討伐の任務をこなしつつシャルルの護衛もでしょう?」

「あ、いえ。元はシャルル様の護衛だったんです。ですが伏せておられたのでその間は討伐のほうへ」

 身体を鈍らせないためか、と納得したけれどそのせいで彼は一度危ない目に合っているのだから良し悪しだ。けれどシャルルも外に出るようになったためお役目が元に戻ったのだろう。

「お姉様ー!」

 話がまとまったかと思ったらまた頭を抱えるような声。だからあなたのような妹を持ったつもりはないのだけれど、と顔を歪めていると隣からまた「お許しください」と苦笑混じりの声が聞こえた。

「シャルル様はご兄妹がいらっしゃらずひとりで寂しかったと思います。どうか呼び方だけでもお許しください」

「……大切に育てられたと思ったけど、そこそこに甘やかしてもいるのね」

「それが主のご意向なので」

 プルソン家の主は大らかな人物で奥方も確か元は庶民の出身だと聞いた覚えがある。当時かなり噂になり貴族たちが一方的に問題視していたけれど、口出しさせないほどの経営力を発揮しあっという間に安定できる地位まで上り詰めた。以後国王からも国の経済の一端を任されている。

 話を聞く限り破天荒な人物だとは思っていたけれど、どうやらシャルルはその血をしっかりと引き継いだらしい。

 そのシャルルがコーンを両手に持ってパタパタとこっちに走ってくる。なんだか既視感。そう……まるで前世で見た某アニメの妹のような、大中小の妖精が出てくるような。机で書き物でもしていればお花を添えてくれそう。

「エリーお姉様見てくださいまし!」

「あなたのお姉様ではないけれど……まぁ、ドミニクに免して許してあげるわ」

「本当ですの?! では改めてエリーお姉様、見てくださいまし! セイファーさんに手伝ってもらって大きいのを収穫しましたの!」

 私と先生はほぼ毎日と言っていいほど見ているサイズだけれど。それでも初めて畑仕事をしたシャルルにとっては立派なものらしい。私も初めてプチトマトを育ててセバスチャンに見せたとき、こんな顔をしていたのかしら。

 よくやったわね、と言おうとした口は突然聞こえてきたきゅるるる~っという音に止められた。音の出どころに視線を向ければ真っ赤な顔がお腹を押さえながら俯く。

「……ふふっ、そうね、そろそろご飯にしましょう。シャルル、そのコーン使っていいかしら?」

「もっ、もちろんですわ!」

「ついでにふたりとも一緒に食べましょ? 手伝ってくれたお礼よ」

 パッと顔を輝かせて頭を何度も縦に振るその様子がまるで子犬のよう。先にドミニクと一緒に手を洗ってきてと告げれば汚れている手でドミニクの手を掴み引っ張っていく。そんな走っていくふたりの後ろ姿を見たあと先生と顔を合わせ、苦笑する。こうやって穏やかな日々だけが過ぎていけばいいのに、と思わずにはいられなかった。


***

 酷い雨だ。ここに来てこれほどの酷い雨は初めてかもしれない。窓から外の様子を眺めてみるけれど、雲は相変わらず分厚く雨もまだまだ止みそうにない。この天気だし畑仕事もできず、室内で大人しくしているとドアのベルがカランと鳴る。

 タンスからタオルを取り出しドアの前で待ってみる。しばらくすればノックする音が聞こえ躊躇いなく開ければ、そこにはローブをぐっしょり濡らしているドミニクの姿。

「すみません、このようなときに」

「いいわ。それよりも中に入ってタオルで拭いて。先生、ローブ任せてもいいかしら」

「大丈夫ですよ。微風ではありますが魔法で少し乾かしますね。ドミニクさん、温かい飲み物を淹れておきましたので飲んでください」

「申し訳ない」

 私たちがパタパタと動く中タオルで濡れた箇所を拭いたドミニクは椅子に座り、先生が勧めてくれたお茶に口を付ける。

 こんな天気の悪い日にシャルルが来るわけがない。それでもこうやって彼がやってきたということは……私と先生も対面するように椅子に座り姿勢を正す。

「禁術に関してのご報告に参りました。使い手がわかりました――『オスクリタ』という組織の一員です」

「魔法省に務めているときによく耳にしました。強盗傷害、様々な事件の裏で手を引いているのがその組織だということを」

「そうなの?」

「ええ。ただ厄介な連中なんです。魔法省や騎士たちが連携して捜索に当たったんですが、隠れるのが上手いんです」

 すべての騒動がその『オスクリタ』という組織の仕業ではないけれど、けれど国に被害が及びそうな事件にはほぼ関与しているらしい。けれどそれだけ動いていれば尻尾を捕まえるのも難しそうには思えないけれど、もしかしたら先生の言う「隠れるのが上手い」ということなのだろうか。

 もしかしてゲーム内での騒動もその組織が手を引いていた? そんな設定はどこにもなかったはずだけれど、でもあれは恋愛シミュレーションゲーム。恋愛がメインであってそういう細々とした設定は決められていなかったのかもしれない。

「隠れるのが上手いっていうのは魔法で、という意味で?」

「卑怯な連中なんです。裏で手を引いておきながら実際犯行を起こした人間は自分たちの捜査の手が及ぶ前に切り捨てる。使い捨てにするんです」

「恐らくそのときも禁術を使っているんでしょうね。魔法を使えば何かしら痕跡が残るのに切り捨てられた人物には一切残らないんです。魔法省の上層部も頭を抱えていました」

「予想以上に事態は重いかもしれません。周辺の結界を強化してもらいましたがおふたりとも、今後どうかお気を付けください」

 どうやら報告だけに来てくれたドミニクは少しだけ乾いたローブを羽織り、ドアを開ける。雨脚はまだ強い。坂の下で待機させている馬が心配だとぼやいたドミニクに先生は手をかざした。その手から淡い光が発せられる。

「撥水を施しました。弱い魔法ですが来るときほどびしょ濡れにはならないと思います。帰りもお気を付けて」

「感謝します。それでは」

 バシャバシャと泥を跳ねさせながらドミニクは走っていく。先生、そんな器用なこともできたのね、と言おうとした口が思うように動かない。ただじっと視線を向けるだけで、そんな私に先生は緩やかな笑みを向ける。

「……先生、もしかして私、酷い顔してる?」

「いいえ、大丈夫ですよ……きっと大丈夫です」

 そんな根拠がないことぐらい知っている。それでも冷えてしまった私の手を握ってくれる温かい手を握り返し、目を伏せる。

 そうよね、大丈夫。という私の声は雨音に消えた。

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