第11話

 あれから森に魔物が出てくることもなく、いつも通りの生活を送っていた。ドミニクの進言が通ったのかもしれない。報告しに来たときは感謝しなきゃと思いながらポテトを土から掘り起こす。今日はポテトサラダでもいいかもしれない、なんてメニューを考えながら次にキャロットの場所へ移動する。

 すると家のドアに掛けてあったベルがカランと鳴った。これは来訪者が来たという合図。敷地に入る手前に先生が設置してくれた魔法具で、滅多に作動しないものだった。

「ドミニクかしら?」

「だと思いますが……? おや、馬車……?」

「馬車?」

 ドミニクひとりなら馬車の必要なんてまったくないのに。馬車が必要になるということは……とそこまで考えてなぜか嫌な予感がした。持っていたキャロットをカゴに入れ服についている土を軽く叩き入り口のほうに視線を向ける。何やら騒がしい。しかもドミニクのような男性の声じゃなくどちらかと言えば、社交場でよく聞いていた甲高い声。

「はぁっはぁっ……坂なんて初めて登りましたわ……!」

「だから馬車にいたほうが良いとあれほど……」

「いいえわたくしは行くと決めましたもの!」

「嫌な予感しかしないわよ」

 聞こえてくる会話にげっそりする。あんな口調で喋る人間なんて限られている。やがて現れたのは鎧をしっかりと身に着けているドミニク。と、もうひとり。ドミニクに支えられるように歩いているロータスピンクの髪を両サイドに結んでエメラルドグリーンの目をキラキラさせている、きらびやかなドレスをまとった少女の面影を残す女性。

 その目が私を見た瞬間、星でも入れたのと聞きたくなるほどキラキラと輝きだしてしかも真っ先にこっちに走ってきた。

「お会いしたかったですソフィア様!」

「人違いよ!」

「そんなっ、わたくしがソフィア様を見間違うわけがありませんわ! はっ、あの美しい御髪はどうなされたのです?!」

「人違いよ!!」

 さっきまで土いじりをしていたせいで軍手は汚れているというのに、それに構うことなく私の両手をガッと掴んで離さない。少し遠くで様子を眺めていた先生を必死に探して、そして叫んだ。

「助けて先生ー!」

 そして慌てて走ってくる先生と置いてけぼりにされたドミニク。中々離さない少女をドミニクはやや強引に私から引き剥がした。

「シャルル様、突然あのような行動をされたら相手にも失礼でしょう」

「でもっ」

「あのドミニクさん、そちらのかたは……?」

「シャルル様」

 でもでもと手足をばたつかせる少女にドミニクがピシャリと言う。きっと日頃からこうやって宥めているのね、と思っていると動きをピタリと止め地面に下ろされた少女はスカートの端を摘み上げ丁寧に頭を下げる。

「紹介が遅れましたわ。わたくしはシャルル・フェリサ・プルソン。プルソン家の娘でございます」

 挨拶は一応令嬢らしい振る舞いだ。さっきの駄々っ子はなんだったんだろうと思うぐらい。

「これはご丁寧に。私はセイファー・オリアス。そしたこちらが……」

「ソフィア様ですね!」

「エリー・ヘスティアよ」

「えっ?」

「えっと、ここではなんですので家に入りませんか?」

 この騒動を落ち着かせるために先生の提案は間違ってはいないけれど、私はどちらかというと家に上げたくはないのだけれど。でもこの畑の中心で騒がれるの嫌だと思い、渋々その提案に首を縦に振った。私と先生は汚れているから先にドミニクに家へ案内させてもらい、その間に必要最低限の身なりを整える。

 家の中に入れば物珍しげにあちこちを見て回る令嬢。遠慮という文字がないのかしらと呆れと苛立ち両方に襲い掛かってくる。そんな私の気持ちに気付いたのかドミニクと目配せをした先生は自身はお茶を淹れに、ドミニクは令嬢に大人しく座るように促していた。

「ところでシャルル様、ソフィア様と面識があるんですか?」

 シャルルと対面に座った私と先生、椅子がひとつ足りないからドミニクはシャルルの後ろに控えるように立っている。たったふたつだけでいいと思っていた椅子がまさかまた作らなきゃと思う日が来ようとは。

 出されたお茶に口を付けて「不思議な味ですのね!」と正直に感想を述べる少女に、昔の私ならきっと水をかけていた。でもシャルルの感想もごもっとも、舌の肥えた貴族が口にするような味ではないことは私だってわかっている。それでも美味しいと思って私たちは飲んでいるのだ。

「聞いてくださる? わたくしとソフィア様との出会い」

「巻きでお願い」

「巻き……? えっとですね、あれはわたくしが社交界デビューして間もない頃でしたわ。あの頃のわたくしはまだ勝手がわからずただ俯いて立つことしかできなかったのです。でもそのせいで他の令嬢に色々と言われてしまい……そのときに颯爽と現れたのがソフィア様ですわ!」

 先生の視線を受けて小さく首を左右に振る。申し訳ないけれどまったく覚えていない。

「『貴族であるならば背筋を伸ばして立っていなさいよ!』と言ってくださったのです。そのときのソフィア様はどの令嬢よりも強く美しかったですわ……」

 惚れ惚れとするシャルルを他所に先生の視線を受けた私は小さく頭を抱えた。

「本当のところは?」

「言い返さないあの子に腹を立てて言ったわ。八つ当たりね」

「それがあのお嬢様の中では美化されてしまったと」

「そういうことね……」

 まだどこかに意識を飛ばしているシャルルの前でコソコソと先生と会話をする。今の今まで忘れていたというのにあの子はずっと覚えていたなんて。しかも八つ当たりだったものをだ。健気と言えばいいのか純粋と言えばいいのか……または、まだ未成熟と言えばいいのか。

「ソフィア様が行方不明になったと聞いて気が気でありませんでしたわ! フォルネウス家は何の声明も出してくれませんでしたし様々な噂が飛び交ってもうわたくしどうすればと!」

 その噂というものは誰かと駆け落ちしたとか家出をして野盗に襲われたとかまたは病死したとか。中には家の財産をすべて使い果たし修道院送りになったとか。

 本当に貴族は信憑性のない噂話が好きよね、ともう呆れるしかない。どうせそれも一ヶ月ぐらいで飽きて今はもう誰も話題にはしなかったはずだ。その程度の噂で慌てふためいたかと思うと、とちらりとドミニクに視線を向け彼は静かに目を閉じた。

「でも無事でよかったですわ、ソフィア様!」

「人違いよ」

「えぇっ?! このような気の強そうな綺麗な令嬢が他にいまして?!」

「気の強そうなっていうのは余計よ」

 はぁ、と重く溜息をつく。こっちはドミニクの報告だけでよかったのに、まさか令嬢がやってくるだなんて。早く話題を変えたくて頭を抱えていた手を離し、真っ直ぐシャルルとドミニクに視線を向ける。

「それで、令嬢がここに来た理由は何?」

 真剣さが伝わったのかさっきまで騒いでいたシャルルは小さく身体を跳ねさせ、そして伺うようにドミニクに視線を向ける。小さく頷き返されて彼女は姿勢を正した。

「わたくしの護衛騎士がお世話になったようで、そのお礼に伺いましたの」

「別にいらないわ。お礼欲しさに助けたわけじゃないもの」

 それよりも、とずっと口を挟まずにいたドミニクに対して今度は口を開く。

「何かわかったの?」

「……例の『核』のことですが、セイファー殿の仰った通り禁術が使われていました。今はその出処を探っています。申し訳ありません、しっかりとしたご報告ではなくて……」

「いいんですよ、禁術の使い手がそんな表立って活動しているわけがありませんから。特定に時間が掛かるのは仕方のないことです」

 確かに如何にもな組織がそうわかりやすく動くわけがない。証拠だって滅多に残さないだろうし、先生の言う通り時間が掛かっても仕方がない。それよりもドミニクがこうして眉を下げて謝っている姿を見て、建前ではなく真剣に特定しようとしていることはわかる。

 難しい顔をしている私たちの間に「あの」と可愛らしい声が響く。三人の姿勢が一斉に向いたことによって少し怖気づいたようだけれど、すぐに顔を上げた。

「こ、こちらには色んなものがあるのですね。地面に葉っぱが生えていたり……」

「レタスよ」

「プ、プランターに雑草が生えていたり」

「薬草ですね」

「赤と黒の変な虫が飛んでいたり……!」

「てんとう虫よ」

 目に入る物すべてが物珍しい、ということが言葉の数々でよーくわかる。はぁ、と隠すことなく息を吐き出し腕を組んでシャルルに向き直る。

「さっきも言った通りお礼はいいわ。それよりもご令嬢がこんなところに来ては駄目よ。貴族が庶民に会いに行くだなんて常識外れでしょう?」

「け、けれどわたくしはっ」

「綺麗なドレスが汚れてしまっているわ。あなたの行動であなたの家の品格が問われるのよ。自分が貴族の娘である自覚があるのなら、ちゃんと慎みを覚えなさい」

 人のことを言えないけれど。ええ頭を打つ前の私には決して言われたくないセリフだろうけれど。でも社交界は何が噂の種になるかわかったものではない。周りに弱点を知られるようなことがあってはならないのだ。この子が庶民に会いに行った、それだけで根拠のない噂が次から次へと湧いて出る。

 だからドミニクだって馬車に残っていろと言ったはず。忠告も聞かずにこの場にやってきたこの子にこれぐらいの説教をしてもいいはずだ。ごめんなさい、と震える声で俯かれても残念ながら私の良心は痛まなかった。

「わかりましたわ……わたくしが、軽率でした……こんなドレスを着ていたら、人に見つかるかもしれませんものね……」

「……わかってくれたのならもう」

「ならば『お友達』として伺いますわ!」

「はぁっ?!」

 ガバッと顔を上げてとんでもない言葉を言い出したお嬢様に驚いたのは私だけじゃない、隣にいた先生も目の前に立っていたドミニクすらも目を見張っていた。そんな私たちの反応お構いなしにシャルルはテーブルから身を乗り出してくる。

「葉っぱも雑草も虫の名も覚えますわ! 格好も動きやすい服装であれば大丈夫ですのよね?!」

「ちょっとっ」

「では早速勉強を! 専門の家庭教師も雇わなければなりませんわね! ドミニク、帰りますわよ!」

「シャ、シャルル様何もそんな性急な」

「また遊びに来ますわね!」

 思いきり立ち上がったかと思いきやこっちの言葉も聞き入れず言いたいことだけ言ってドミニクを急かし、そしてすぐさま家から飛び出すように帰っていった。止める隙なんて何ひとつなく。

「ちょっとー!」

 来訪者が去った合図のベルがカランと虚しく鳴っただけだった。

「……まるで嵐が去ったあとのようですね」

 そんな少し呑気な先生の言葉に尚更頭を抱えて肩を落とすしかなかった。令嬢ではなくなったのに別の令嬢が遊びに来るだなんて一体どんな一般人なのよ。

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