第49話 ミナレットの願いの魔石
皆が忙しなく帰り支度を整えている間中、アルは部屋の隅に立ち、ずっと眉を寄せて何か思いつめているようだった。
いつも元気すぎてうるさいほどのアルが大人しくしていると、不思議な違和感がある。
どうかしたの、と声をかけようとした時、俯いていたアルがパッと顔を上げて先に口を開いた。
「アリス、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「え、わたしに?なに?」
「アリスは願いの魔石で、なにを願うんだ?」
部屋にいる皆が、一瞬ぴたりと動きを止めた。
聞き耳を立てているのが感覚でわかる。
わたしは予想外の言葉に呆気にとられ、小さく口を開けたまま目線だけでアブソレムを探した。ここで下手なことを答えると、厄介なことになるのはわたしにでも分かる。
トーマと話しているアブソレムは、少しだけ目線を鋭くして大股でこちらに近づいて来た。
「それを聞いてどうするつもりだ」
側に来たアブソレムの声に困惑が混じっている。
彼も発言の意図が見えないのだろう。
「俺、役に立たなかっただろう?」
アルが肩をすくめながら言う。
軽く言うように努めてはいるが、自身の不甲斐なさを心から悔やんでいるようだ。
「まあ、確かに役に立ったとは言い難い出来だな」
「アブソレム!」
アブソレムのいつもの歯に衣着せぬ言葉を慌てて遮ろうとするが、アルは事実だからいいと薄く笑ってみせるだけだった。
「俺、考えなしだからまた魅了されて、みんなを危険に晒しただろう?それを助けてくれて、アリスに感謝してるんだ」
アブソレムがまた何か憎まれ口を挟もうとしているのを、ぎゅっと足を踏んで止める。
今は話を聞いた方が良さそうだ。
「でもそれだけなら、個人的に何か礼をしたらいいかなって思ってたんだ。でも、アリスはヴォジャノーイの森を救い、あの湖からルサールカまで引き取ってくれた。あそこはミナレット派の大切な森なんだ。近くにあるミナレット派の村の若いやつらは、みんなあそこで風邪移動の練習をする。俺もリュド兄も、その兄弟も両親も。それにあの湖は大切な水源で……。まぁ、細かいことはいいか。とにかくものすごく大切にしている森だってことだ」
アルが強固にルサールカをここに置いていけない、と言い張っていた訳がわかった。
ヴォジャノーイの森は思いの外、ミナレット派にとって重要な資源だったらしい。
話している間にも、アブソレムが何度も口を開きかけたが、その度に踏んでいる足に力を入れて止める。どうせ碌なこと言わないはずだ。
それよりもストラと戻って来た2人の兵士が、熱の籠った目で私を見てくるのが気になる。
アルの言い方ではわたしがとても大層なことをしたように感じるが、実際はそんなことないのだ。
どこかで誤解を解かねばならない。
「だから、礼をしたい。本来なら周辺のミナレットの村から正式に願い出るのが筋なんだろうけど、知っての通り今ウチの宗派はそんな余裕がないんだ。だからせめて、代表して俺がアリスの願いを叶えてやりたい」
アルはそこまで言うと、一度息を吐き、アブソレムをじっと見つめた。
どうやらわたしには決定権がないことに気がついているらしい。
自分のことも自分で決められないとは、なんとも情けない気持ちになる。
「話は分かったが、アリスは森を救いたくて救ったわけではない」
アブソレムの言葉に、ストラたちの目が若干曇った。
ナイス、アブソレム!
ぜひその調子で、妙な誤解を解いていただきたい。
「え、そうなのか?俺には森やミナレット派のことを考えて、自分までも犠牲にしてなんとか救おうとしていたようにしか見えなかったけど……」
ストラたちがまたパッと顔を上げる。
頼むからその尊敬に満ちた目をやめてほしい。
訂正を期待して、アブソレムの発言を待つ。
「いや、全く違う。アリスはそんなこと露ほども考えてないだろう」
そうそう!と肯定する意味で、コクコクと首を動かす。
どう考えても底意地悪く貶されているが、今のわたしには願ってもない言葉だ。
「そうなのか……?それじゃあアリスは一体何のためにあんなことをしたんだ?」
「大方、ハシバミ竜とルサールカが何気なく口にした願いをお節介で叶えてやったのだろう。全く理解できないが、アリスは彼らと友人になったらしいからな」
それを聞いて、ストラと2人の兵士はお互い顔を見合わせると、感嘆したような顔で頷き合った。
ストラに至っては胸の前で祈るように手まで組んでいる。
壮大な勘違いがすっかり刷り込まれてしまったようで、わたしは目の前がくらりと歪むのを感じた。
「それに、アリスの願いは君には叶えることはできない。もちろんトーマや、それに私にも到底無理なことだ」
そりゃそうだ。元の世界に帰りたいなんて、突然言われても理解できないだろうし、叶えるのも絶対に無理だろう。
一体どんな大それた願いなのかと、皆の視線がこちらに向くが、アブソレムが軽くローブの裾を引き、わたしを隠すような仕草をする。
願いの内容については答えるつもりはないので聞くな、と言うジェスチャのようだ。
アルはそうか、と呟いたきりすっかりしょげ返り、肩を落として唇を噛んだ。
「ねぇアル、わたし本当に、お礼を言われるようなことは何もしていないのよ」
「……それって、アリスにとってはこれくらいの人助けはして当然だという意味か?」
いや、全く違う。
急に意思疎通が図れなくなり、思わず遠い目をしてしまった。
「よし。俺にアリスの希望を叶えるのが無理なら、せめて俺の作った願いの魔石を受け取ってくれ」
アルの言葉に、トーマがハッと息を飲み、ストラ達が口を抑えた。
わたしは願いの魔石への第一歩として喜んでいいはずが、周りの反応を見て不安になってきた。
もしかして思っているよりずっと、願いの魔石を受け取るのって大変なことなのだろうか?
アブソレムは少しの間考えるそぶりを見せたが、割と早い段階で「それならばいいだろう」と答えた。
決断までがいつもよりも早かったのと、少しだけにやりとした口元を見て、最初から願いの魔石を渡すように仕向けたんだろうかと疑ってしまう。
だがアルはホッとしたような表情になり、しきりにありがとう、ありがとうとわたしとアブソレムに繰り返す。
ありがとうを言わなければならないのはどう考えてもこちらなのに。
「アル、本当にいいの?わたし、まだ魔石のことはよくわからないけれど……大切なものなんでしょう?」
「いいんだ。今回アリスがしたことは、ミナレット派になってはそれくらいの意味があるんだ」
ニコニコと付き物の落ちたような顔でそう言われると、それ以上止めることもできない。
そうしている間にもふたりは魔石の準備について細かいことを打ち合わせ始めた。
わたしはありがとうと小さく言って、成り行きをただ見守るしかなかった。
「それではアブソレム、今回も本当にありがとう。礼については追って使いを出そう」
アルとアブソレムの話し合いにひと段落ついた隙を見て、トーマが言った。
トーマはすっかり王子様としての話し方になっていて、わたしはそれを少し寂しく思う。
「アリスもありがとう。新しい服の仕立ての件、忘れていないからね」
「ええ。ありがとう。楽しみにしているわ」
彼はそう言って振り返り玄関に数歩進んだところで、ふと足を留めてこちらに戻ってきた。
なんだろうと思っていると、アルの前で立ち止まる。
「アル、君にも礼を言わなければ。本当にありがとう。また会えるだろうか」
これにはストラやマーサも驚いた顔をした。
特にアルは呆気にとられて数秒固まっていたが、すぐに気を取り直してトーマと固く握手をした。
「もちろんだ」
それを聞くとトーマは嬉しそうに頷いて、玄関から外へ出ていった。
その足取りは堂々とした王子そのもので、知恵の日で竜の鱗を何枚も手にいれたのだという自信に満ち溢れているように見えた。
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