第30話 預言者と隣国の王子

サムージャの手紙のせいで心ここに在らずのまま、わたしとアブソレムは揃ってアルを玄関先まで送ることになった。

「色々騒がしくして悪かったな」

アルはもう、いつも通りの笑顔になっていた。

「いや。風の石をかなり作ってくれたらしいな。ありがとう」

アブソレムはキセルを持ったまま外に出ている。

風のない空に煙がまっすぐ上がっていた。

「でもなんで妖精はここに来たんだろうなぁ。俺、騙されたのかなぁ」

アルは玄関を背にしてゆっくり歩きながら独り言のようにそう言った。

「君は妖精になんて伝えたんだ?」

「なんてって、預言者の手がかりの残る場所に連れて行ってくれって」

アルの言葉に、アブソレムは目を閉じて軽く頭を振った。

「手がかりという言い方なら、店に来た客が預言者という可能性もあるな」

それを聞いて、アルが勢い良く振り返る。

その目はキラキラと輝いていた。

「本当か!?そうか、これまでここに客として来ているかもしれないのか!最近どんなミナレット派がきたんだ?」

わたしは手を顎に当てて思い出してみるが、これと言って思いつかなかった。

正式にここにお客として来たミナレット派は、アルだけだろう。

「あんまり思いつかないけど……。トーマのところの側近にミナレットの人がいたかも」

「トーマの側近っていうと、リュゴ兄のことかな。リュゴ兄のことはよく知ってるんだ」

どうやらアルの反応から察するに、リュゴは預言者とは違うようだ。

あとは誰かいたかなぁ。

わたしは目を瞑ってよくよく思い出してみる。

「ええと……。今日、アニとアカラを迎えに来た人がいたわね」

「それ、どんなやつだった!?」

アルがわたしの肩を掴み、勢い良く尋ねる。

しかし、今回はあまり後ずさりしないでいられた。少しだけアルの勢いにも慣れて来たかもしれない。

「20歳くらいの青年だったわよ。精悍な顔つきで、ピシッとした感じで」

「そうか!それはもしかしたらもしかするな!ドルジュ家を迎えに来たんだな?」

アルはニコニコと笑って嬉しそうで、こちらまで釣られて笑ってしまいそうになる。

するとアブソレムがわたしの肩からアルの手をどかしながら、口を出した。

「妖精は時間の捉え方も我々と違う。これから先、数日間は可能性があるだろう」

「そういうもんなのか。アブソレム、明日からの予定って何か決まってたりする?」

「明日はハシバミ竜を狩りに行く。それから気は進まぬが、アドリナートとはすぐにでも一度会わねばならぬだろうな」

「えっ!ハシバミ竜って明日狩りに行くの?」

わたしは詳しい予定を聞かされていなかったため、素っ頓狂な声をあげた。

「ハシバミ?ああ、明日はクロスの知恵の日か」

アルは小声でなにやらブツブツ呟きながら考え込んでしまった。

わたしはその隙にアブソレムに「何時から行くの?」と聞いてみる。

「ハシバミ竜は日が暮れる頃目を覚まして動き出すと言われている。日が暮れる頃に出かけることになるだろう」

ということは、夜に外出することになるのね。

狩りはもちろんのこと、夜中に店の外に出るのも初めてで、少し楽しみだ。

「アブソレム。明日なんだけど、俺にその場所まで運ばせてくれないか?」

その申し出に、アブソレムは怪訝な顔をした。

「クロス派とは関わりたくないと、いつもあれほど言っているだろう?」

「そうだけど、その一団の中に預言者がいるかもしれないし」

アルは真剣な顔をしてアブソレムをじっと見つめていた。

クロス派とアルの関係はよく分からないが、何かあるのは確かなようだ。

「箒で飛ぼうと思ってたんだがな」

アブソレムは好きにしろ、というように片手を軽くあげてキセルを吸い込んだ。

「ありがとう!じゃあ、悪いけどまた明日邪魔するよ」

バアッと一瞬で明るい笑顔に戻ったアルは、塀の外まで一足に駆けていき、こちらに向けて大きく手を振った。

「また明日な、アリス!アブソレム!」

わたしが振り返そうと手を上げると一瞬だけ大風が吹き、アルの姿はもうどこにも見えなくなっていた。

「一体なんなんだ……」

アブソレムは店に戻った途端、ドサリと崩れるように椅子に座った。

かなり疲れているように見える。

「君が来てからここ数日、1日たりとも落ち着いた日がない」

わたしは小さくなって向かいの椅子に腰掛けた。

「厄介ごとを持ち込んで、ごめんね……」

「いや、いい。責めているわけではない。君のせいではないことも多いからな。そもそもは拾った私の責任だ」

また捨て猫扱いをされた。

思うところはあるが、あまりにぐったりしている姿を前にして、何も文句は言えない。

「ここしばらくは落ち着いた毎日を送っていたんだがな。まぁゴード戦争の時はそれなりに慌ただしかったが」

彼は目頭を手で揉んでいる。

わたしは大人しく、何も言わずにノートを広げて今日聞いたことをまとめることにした。

「ミナレットの預言者の件、アドリナートの件。君に注意しておかねばならないことがいくつかある」

机に対して体を真横に向けたアブソレムは、足を組み直してからどこを見ているのか分からない目のまま話し始めた。

「まずは預言者についてだが、君には見れば誰が預言者かわかるだろう。でもそれを他のものに伝えてはいけない。もちろんアルにも」

「えっ?わたしにわかるの?」

驚いて手を止め、ノートから顔を上げる。

「預言者はミナレット神から加護を強く賜っているため、その加護が精霊や妖精の姿として、我々には見えると言われている」

加護って具現化すると妖精に近いのか。

わたしはリリスと名付けられたあの妖精の白い眼を思い出し、ぶるっと震えた。

「みんなには見えないのね?」

「そうだ。庭の花と同じで、声も聞こえなければ姿も見えない」

庭の花とは、あのおしゃべり花のことだろう。

あの花についてはすっかり聞くタイミングを無くしていたので、ついでに聞いておこう。

「あの花たちって、夜しか話さないの?すんごくいじわるだったんだけど」

「花に人格を期待するな。相手は花だぞ」

アブソレムの呆れ声に、確かに、と思い何も言えなくなってしまった。

全く意味不明だけれど、なんとなく言いくるめられてしまったようで悔しい。

「どうして伝えてはいけないの?アルはあんなにも探しているのに……」

あの必死さを見ていると、つい伝えたくなってしまいそうだ。

「これまでもミナレットの者が見つけ出せていないだけで、預言者はいつの世も存在している。預言者はそれだけでは機能し得ない。必ず同族が、預言者を見つけ出さねばならない」

なるほど。見つけ出してこその預言者なのか。

アルはそのことを分かっているのだろうか。

アニとアカラを迎えに来たあの青年には何も見えなかった。

ということは、彼は預言者ではなさそうね。

「それからアドリナートだが」

「あ、はい」

アブソレムの言葉が、わたしの思考を遮る。

「隣国、ペルシア国の王子だと説明したと思うが、彼は少々面倒臭い」

「面倒臭い?」

アブソレムは組んだ足をぶらぶら揺らしている。少し子供っぽい。

その様子は来客がある時とは違ってリラックスして見えた。

少しずつわたしに素を見せるようになって来たのかもしれない。

「ペルシア国には魔法使いがいない。そのため我々との接し方を知らないんだ」

「わたしたちとの接し方……?」

「トーマを思い出してみろ。トーマも一国の王子だが、こちらに身分相応の対応を求めては来なかっただろう」

確かにトーマは、敬えとも言葉を正せとも何も言わなかった。

従者は睨みつけてきてはいたけど。

「忘れがちだがトーマは、謁見するのもかなり難しい王族だ」

「ああ、そうね。あまりに普通に話してくれるから、すっかり忘れていたわ」

アブソレムはキセルを吸いながら、テーブル側の左手で頬杖をついた。

「それは魔法使いが階級の外側にいるためだ。それに、垣根の上では集まった人々の間の階級差も無いものとする」

ふんふん。要は強制無礼講エリアってことね。

「だが、ペルシア国のアドリナートが、その辺りを理解しているとは思えない。非常に厄介なことを求められるかもしれない」

うーん。そうか。

でも、ペルシア国には魔法使いがいないから、それは仕方がないことかもしれない。

王子は日常的に周りに傅かれているのだから、敬語も使わないわたし達を不敬だというかもしれないな。

「ただし、どんな請求をされたとしても、周りの者と扱いを変えないように」

「わかったわ。魔法使いは中立、だもんね」

アブソレムは疲れ切ったように、「分かればよろしい」と呟くと目を瞑ってしまった。

わたしはうたた寝しているらしいアブソレムをしばらく眺めてから、今日手に入れた知識をノートにまとめ始めた。

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