第22話 ディワーリの手紙

廊下の奥でバタンと戸が止まる音がした。アブソレムは早々に休んでしまったようだ。

明日も薬草の世話があるから、早朝には起床だろう。

わたしも早く寝てしまわなければと思いながらも、ディワーリへ空飛ぶお手紙だけ出そう、とサンテ・ポルタへと来ていた。

サンテ・ポルタは既に真っ暗だったが、わたしがドアを開けると勝手にアピの魔石に光が灯った。

この家のドアなら簡単に開けられるんだよなあ、とわたしは食事の時の話を思い出す。

魔石を作らないと、どの扉も開けられないなんて。とても恐ろしい。

アブソレムが最初に言っていた、加護がないと生きていけないというのはこういうことも含まれていたのか。

そういえば、魔石の形も考えなければいけない。

わたしなら何の形にするだろう?

人が興味を持たなくて、でも自分にとっては少し特別なものがいいらしい。

アブソレムの石のナイフは、何か思い入れのあるものなのかな。

そんなことを考えながら、空飛ぶお手紙、正式名称ミナレット紙の箱を棚から取り出した。

どれで手紙を出そうかと中の紙を1枚ずつよく見ると、その全てがかなり手の込んだものだと気がついた。

銀で柄が箔押しされていたり、手書きのインクで枠がつけてあったり。エンボス加工のようなものもある。どれも高価そうだ。

アブソレムは金貨を持っていなかったはずだから、これも店主の好意で譲り受けたものだろう。

子を取り上げてもらったスパイス店の店主のように、何か感謝されるような過去があるのかもしれない。

わたしはディワーリの好きそうな、端に手編みのレースがつけられているラブリーなものを選んだ。

結婚式の日程も聞かなくちゃいけないし、これくらい可愛い方がいいよね。

「さて、なんて書こうかな……」

テーブルに腰掛けて文面を考える。

言わなくてはいけないことがいくつかあるけれど、紙のサイズは決まっているから、短くまとめないといけないな。

大体の文脈だけ頭の中に作ると、わたしはいつも持ち歩いているペンでこう書きつけた。

-

ディワーリとサムージャへ

今日は着替えをありがとう。

アブソレムにOKの返事を貰いました。作ってくれるそうです。結婚式はいつですか?

次会えるのを楽しみにしています。

アリス

-

ペンを置いてから数回読み返して、内容を確認する。

かなり素っ気ない内容なってしまったけれど、最低限伝えなければならない事柄はなんとか入れることができた。

夕方にアブソレムが送っていた手順を思い出しながら、わたしは紙を二つ折りにする。

確か、窓を開けて手のひらに乗せて宛先を言うのよね?

テーブル横の出窓を開けた。冷えた外気が入ってくる。

手紙を手のひらに乗せて、わたしはディワーリの家を思い出しながら、「ディワーリのところへ」と言う。

手紙はふわりと浮き上がって、ふらふらと空へ飛んで行った。

たまに木の葉を避けきれず、頭から突っ込んだり、風に飛ばされかけたりしている。

なんだかアブソレムの時と比べて、力が弱い気がするけど大丈夫かな?

森の向こうに消えて見えなくなるまで手紙を見送り、息をつく。

これで今日やらないといけないことは終わったわ。

また明日、早起きして庭に出て、そしてロータス派の人と会う。

ここでの暮らしはその繰り返しなのだろう。

わたしは真っ暗な空を見上げる。

街灯も民家の灯もない夜は、ぞっとするほど深い黒をしていた。

アブソレムが一体何歳か聞いたことはないけれど、こんなポツンとしたところでたった1人で、一体いつから過ごしているのか。

そういえば彼は誰から魔法使いの術を学んだんだろう?

家族はいるのだろうか?

たくさんの疑問が頭に浮かぶが、わたしは自分もアブソレムに何ひとつ教えていないことに気がついた。

家族も、歳も聞かれてすらいない。

ここでは魔法使いという肩書き以外、なにも必要とされないのだろう。

もしそうだとしても、明日はアブソレムに歳を聞いてみよう。

わたしは窓を閉めながら、そう思った。

翌朝、日の出前にあくびを噛み殺しながら食堂へ向かうと、アブソレムは既に起きていた。

水差しからグラスに水をうつしている。

「おはよう、アブソレム」

わたしが挨拶すると、彼は水を飲みながらキッチン横を指差した。

なんだろう?と思いながら見ると、そこには小包が置いてある。

「なあに?これ」

小包は布で包まれていて、その上から十字に赤いリボンが結ばれていた。

アブソレムが無言ということは、開けていいってことかな?と推理して小包の前にしゃがみ込む。

リボンの端には手紙がついていた。ディワーリからのようだ。

アブソレムのミナレット紙も高価そうだったけれど、ディワーリの方は高価というより豪華だった。

透かし入りの紙で、押し花まで入っている。

サイズも少し大きい。

-

アリスへ

お手紙ありがとう。

魔法使い様から花冠を作っていただけるなんて、夢みたいよ。

アリスのおかげです。本当にありがとう。

結婚式は、7日後です。もし良ければお祝いにも参加してもらえると嬉しいわ。

一緒にエプロンとズボンの試作品も送ります。

あんまり嬉しくて、徹夜で作りました。残りはまた送ります。

ディワーリ

-

「わあ、エプロン!」

わたしは手紙を読みながら歓声をあげる。

こんなに早く作ってもらえるなんて思ってもみなかった。

アブソレムに花冠を作ってもらえると聞いて、興奮した勢いで仕立て上げるディワーリの姿が眼に浮かぶ。

「アブソレム、ディワーリの結婚式は7日後だそうよ!」

彼は何も言わずに眉を少しあげた。

わかった、の合図だろう。

「ディワーリがこれを作ってくれたの。着替えて来てもいい?」

今度は手を振って、さっさと行けの仕草をした。

わたしは小包を抱きかかえると、今来たばかりの廊下をるんるんと戻って行った。

ディワーリの仕立ててくれたガウチョパンツ型のズボンと、ノートの入る大きなポケットのついたエプロンを着て、わたしはくるりと回ってみた。

ズボンは濃い藍色で裾に細い蔦の柄が銀色の糸で刺繍されている。

布もたっぷりとっていて、一見するとスカートにしか見えないだろう。

エプロンは真っ白で、腰のところからふわっとなるように切り替えてあり、肩紐を背中でクロスして結ぶようになっていた。

くるりと回っても足に鬱陶しく絡みつくことなく、ストンと素直に落ちる。

この生地、きっとものすごく高価なものだ。

つるつるきらきらしたズボンの生地をそっとつまむ。

ひっかけたり汚したりしないように気をつけないと。

エプロンも良い生地だが、まだ少しは洗いやすそうで安心した。

しかし改めて眺めて見ると、絵本で見たアリスの服装そのままだ。

ちょっと年甲斐がないけれど、機能性が第一だよね。

脱いだ服を軽くたたんでから、急いで食堂に向かう。

今朝の庭仕事を早く終えなくては。

食堂のドアを開けると、アブソレムは箱を手に持っていた。

昨日、ガスッガスッと動いていたあの箱だ。

「アブソレム~、見てみて。これを作ってもらったの」

そう言ってその場でエプロンの裾を少し持ち上げてみせる。

彼はわたしの服装をじっと見るが特に何も言わず、庭へ出ていってしまった。

いつものことだけれど、一言くらい何か言ってくれてもいいのに。

わたしも追いかけて庭へ出る。

ギリギリ日の出前のようだ。まだあたりは薄暗い。

「その箱、何が入っているの?昨日、動いていたのよ」

そう聞くと、アブソレムはハーブ畑の真ん中にしゃがみこみ、箱を土の上に置いた。

「そろそろ虫となめくじが増えてくるから、一匹もらってきた」

あ、やっぱり生き物だったみたい。虫を食べるってことは、なんだろう?

鳥系かな?

隣にしゃがみ込んで見ていると、箱がまたガスッと動いて、中からものすごく大きなカエルがビヨーンと飛び出して来た。

「ぎゃあっ!!」

まさかカエルだとは!

驚いて尻餅をついているわたしを気にもかけず、カエルはピョコピョコ行ってしまった。

ものすごく大きい。子猫くらいはありそうだ。

「カエル……だったのね」

尻餅をついたまま呆然とカエルのたくましい背中を見送っていると、アブソレムが手を貸してくれた。

その手を掴んで立ち上がる。

「ここの池にもたくさんいたんだが、少し前に干物が大量に必要になってな」

うう、干物が必要になったって、カエルを捕まえて干したってことか。

わたしがいる間にはカエルの干物が必要になる事態が起こりませんように、と心の中で祈る。

「カエルは1日に自分の体重と同じだけの虫やナメクジを食べる。害虫駆除にもってこいだ」

アブソレムがカエルについて説明しだしたので、エプロンからノートを取り出してメモしていく。

ああ、手元にいつもノートがあるって、なんて便利なんだろう。

「鳥じゃダメなの?たまごも産むじゃない」

「鳥は作物自体も食害するだろう」

「あ、そっか」

確かに、小学校で飼っていた鶏にはよくキャベツや大根の葉をあげていた。

「アブソレム。害虫駆除とは別に、鶏を飼ってはダメ?たまごが欲しいの」

いい機会だったのでついでに聞いてみた。

朝ごはんにたまご料理が食べたいのだ。

「……必ず自分で世話をするなら」

「ありがとう!絶対に自分で世話をするわ」

わたしはやったあ!と両手を上げて歓声をあげる。

これでアブソレム健康化計画も一歩進んだ。たまごの栄養はすごいのよ。

アブソレムは面倒臭そうに、「小屋がいるではないか」とブツブツ言いながら歩き出した。

ペットを飼う許可をもらうなんて、なんだかお父さんと娘みたいだ。

「そういえば、アブソレムって何歳?」

わたしは昨夜、疑問に思ったことを聞いてみた。

彼は背の高いハーブの前で立ち止まり、わたしにカゴを持たせた。

このハーブを収穫するらしい。

「なぜそんなことを聞く」

パチンパチンと鋏で切ったハーブを、カゴで受け止めていく。

ハーブの切り口からは鮮烈な青い香りがする。

「聞いてなかったな、と思って。ちなみにわたしは28よ」

わたしがそう言うや否や、アブソレムは目を見開いてこちらを見た。

「……28?」

「え、そうだけど?なに?」

「成人しているとはとても思えない」

一瞬若く見られたと思い喜びそうになったが、すぐに「年の割にしっかりしていない」という方向の言葉だと気がついた。

「悪かったわね、落ち着いていなくて」

フンと口を尖らすと、アブソレムはまたハーブを切りながら「そんなことはいいからハーブについて学びなさい」と言った。

あ、この感じは講義が始まるわ、と気がついて、カゴを土に置こうとあたふたしていると、スッとアブソレムがカゴを持ってくれた。

ありがたい。わたしはノートとペンを持って準備万端と頷いてみせる。

「これはマグワートだ。表は濃い緑色だが、裏は銀緑の色をしている」

カゴの中の葉を1枚ひっくり返して見せくれる。

確かにちょっと銀色がかって見える不思議な葉だ。

「今はまだ時期が早いが、初夏には花が咲き、強い香りを放つ」

今のところ、見た目も香りもヨモギに近い感じがする。

「今日訪れるロータス派では、聖なる植物とされている大切なものだ。夏至祭にはこの葉でベルトを編んで身につけて祭りを行う」

「なるほど。ということは、今日はこれを受け取りに来るの?」

「いや違う。お茶として出すだけだ」

アブソレムはそれだけ言うとさっさと食堂の方へ戻っていってしまった。

確かにこの気温だと、夏至はまだ先だろう。

お祭りにも使って、お茶にしても飲むなんて、ロータス派はよっぽどマグワートが好きなのね。

メモを書き終えると、空が明るくなってきた。日の出らしい。

朝ごはんの準備をしなくてはと、わたしは野菜畑のほうに寄ってトマトを少し収穫して戻る。

今朝はピザトーストにする予定だ。

うまく作れたピザトーストと昨日の残りのスープという朝食を食べながら、アブソレムに今日の予定を聞いてみた。

「今日はドルジュ家のものがくる」

あまりにも説明が足りないが、これはきっと、来ると行っていたロータス派の人の名前だろう。

「何時にくるの?」

「わからん。ロータス派のものは私たちと時間の流れ方が少し違う」

「え?」

「まあ、会えばわかる」

わたしは謎がたくさん浮かんだ頭のまま、ピザトーストを手づかみで持って食べる。

採れたての野菜って、それだけで美味しい。

「訪れるのを待つ間、森に薪を取りに行く」

「薪?」

「鶏小屋がいるのだろう」

早速鶏小屋を作ってくれるらしい。

たまご料理が食べられる日も遠くなさそうだ。

「ありがとう!わたしも一緒に森に……」

「いつ来るかわからないのだから、君は留守番していなさい」

アブソレムにピシャリと言われてしまった。

うーん、森に行って薪拾いがしてみたかったんだけど。

「庭を一通り回って、何がどこにあるか大体把握するといい。誰か来たらミナレット紙で知らせなさい」

「わかったわ」

そう言うと、アブソレムは満足そうにスープを飲んだ。

「いい番犬が手に入ったものだ」

番犬呼ばわりされたわたしは、じとっと不満げな目をしながら最後のパンを口に放り込んだ。

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