第2話 フェアリー
「ほら、うちの医療センター、自立型のロボットシステムを取り入れたでしょ、あの時にメディカルエンジニアの人はロボットのメンテナンスルームに行くか、ロボットのコントロール室に行くのか選択を迫られたのよ。でも、どちらにしても患者さんとの接点は全くないと言うことになって、彼女は辞める道を選んだわけね。まあ、理知的で仕事のできる人だったからみんなに止められたみたいだったけど、おとなしそうに見えて、決めたことはつらぬくタイプだったわね」
医療センターの同僚に話しを聞いて、黒川は小百合の転職先に出向くことになった。バスや電車が着くたびに大勢の人が移動して行く。賑やかな通路に面したロビーのような場所に入って行く。街の中心部の交通の要所にそこはあった。メディカルエンジニアからは想像できない場所ではあった。
「白石さん?ああ、いい子だったけど半年前に辞めたね。仲良かったエリカがもうすぐ来るから、彼女に聞くといい」
劇場の受付にいた役者ロボットアランは、そう言って黒川に待つように指示した。
ここで使われている役者ロボットは、役によってカツラと衣装を変えるだけでなく、伸縮自在の手足や可動式のプロテクターを使って、身長や体格も自在に変えることができる。顔だけは色々な表情ができる人工皮膚製の精巧なものだ。劇のない時間は受付や事務員の行動プログラムを使い、普通にこうして働いている。
病院から紹介されたここは電車と高速バスの大きな駅のロビーホールにあるフリーシアターだった。
いつも大勢の人でにぎわうこの場所で、自由に演劇や音楽などをやってもらおうと言う施設であった。ここは色々な機能がロボット化されていて、ネットで細かいデータを入力しておくと、照明や大道具までロボットがやってくれる。でもロボットでは行き届かない、細かい小道具や衣装などを人間がやっていたそうだ。
子どもから高齢者まで、素人から、サークル、プロまで様々な劇団や音楽関係者がここでイベントを行っている。手間いらずで、低料金が魅力だ。
「あら、小百合さんの昔の同僚だった方?ええ、彼女なかなかセンスが良くて、衣装や小道具なんかを取りそろえたり、手作りしていたんだけど、即興ロボット劇が流行り出してからは、自分が考えていたのと違うってずっと悩んでいで…」
「即興ロボット劇ってなんですか?」
エリカさんの説明によると、即興ロボット劇とは、併設のレストランで事前アンケートを行い、客が食べている間に大道具や照明、音楽などの用意を終わらせ、食後すぐに上演、その日のその客が一番みたい演目を演じると言う即興劇であった。観客とのアンケートから人工知能が演目を決め、さらに客の年齢層や興味に合わせて演出や音楽、照明などを工夫し、瞬時に脚本が用意され、ロボット劇団の役者に細かい演出までが一瞬で配信される。
ロボットだから、台本を覚える時間も練習時間もいらない。そして上演。観客の反応を、拍手や歓声、表情から人工知能がリアルタイムに分析し、客層に合わせてさらに人気が出るように脚本や演出を変えて行くのだ。ロボット役者も、世界的名優の演技を人工知能に学習させることによりどんどん人気がでて、この即興ロボット劇が大評判となってきたのだ。
「でもねえ、そんな触れ合いの劇場もさらにロボット化が進んでね、ある日衣装がロボットによるレンタルシステムに変更になることになってね…彼女やめることを決心したようね。残念だったわ。あ、小さな劇団だけど、彼女が衣装を担当していたところがもうすぐ上演するけど、ちょっと覗いていかない?」
この日の出し物は「劇団恋物語、春、パート3」だ。ここの劇団は女の子が3人しかいない。でも、その三人組のユニットが、衣装やイメージをまったく変えて18人の女の子のミニストーリーやイメージソングを歌って踊るのだ。
黒川は、頭の10分ほどを見て、なるほどと思った。春の講演だけに、卒業や、新しい環境、別れや出会いなどをテーマにした1話3分ほどの恋物語がテンポよく進んで行く。女の子は3人だが、衣装や設定を全く変えて出てくるので、もっと大勢いるように錯覚する。バスや電車の待合室なので、半数以上の観客がすべてを見られないでまた乗り換えて行く。そこがいい商売になる。途中でいなくなっても、18人の恋物語の入ったアルバムの紹介が、上演後にチケットを買った観客の携帯やロボット端末に配信される。もうちょっと見たいと思った人は、バスに乗ってからネットで購入すればいいわけだ。
アルバムの情報をのぞいて見ると、曲名がすべて、「アヤカ」、「ユウカ」などの18人の女子の名前になっている。それぞれの個性的な顔写真も載っている。
そしてその下に、衣装・コーディネート:サユリ・シライシと確かに書いてあった。3人の女子を服装や小物だけを変えてまったく違う18人の主役に変える力は本物だ。でも結局彼女はここを辞めてしまった。
「では、今、彼女は?」
「いろいろな芸術家が住むアパートメントに引っ越したわ。これがアドレスよ」
劇場からさほど遠くなかったので、黒川はさっそく行ってみた。そこは、川べりにある古いオフィスビルを住宅とアトリエに改造した建物で、おしゃれなメガネの管理人がやさしく応対してくれた。
「え、百合さん?ああ、二か月前に引っ越して行ったねえ…。彼女にはちょっとショックな事件もあってね」
そういうとメガネの管理人は、立ち上がって説明を始めた。
「このビルには、有名な作詞家のジェニー・クォーク、陶芸家の三代目蕨澤芳久なんかも住んでいるんです。あ、ほら、あっちを見てください」
そして管理人は、こっそり窓辺で編集者らしき人物と打ち合わせをしている中年の男を指差した。
今度は黒川が驚いた。それはさっきまで読んでいた大ヒット小説の作者、アレクシス・オルパーヴではないか?!
何とも言えない哀愁を帯びたその風貌、かなりシャイらしく、時々照れ笑いをうかべながら話しをしている。
「ここの空間は、アーティストたちの交流ラウンジなんですよ。ここで親しくなって影響を与えあうアーティストも少なくないんです。ここに移り住んでから、いろいろな有名アーティストがいることが分かって、彼女は会える日を心待ちにしていたんです」
やがて社交的な小百合も彼らと親しくなった。夢がかなったのである。
でも、ロボットに職を追われてここまで来た小百合にはショックな事実が色々分かって来た。時代をしっかりつかんだ作詞をすると評判だったジェニー・クォークは、ビックデータの膨大な記録の中から、人工知能を使ってキーワードを決めている事実がわかってきた。陶芸家の三代目蕨澤芳久は、ネオ琳はと名乗り、自分のアイデアの通りに、ロボットに下絵を描かせていた。まあ、それもありだと思えなくもないが、彼女はかなりがっかりしていた。
そして致命的なショックを受けたのは、そのアートが売れるかどうか、アート作品を診断するコンピュータソフトの存在でした。実にこの芸術家アパートの住人の8割以上が、本人が望む望まずにかかわらず、アートの種類にかかわらず、この診断ソフトの洗礼を受けていたのです。
人工知能が過去のヒット作品の傾向を分析し、ヒットの予測をする。しかもそれが実によく当たるわけで…。さらに、こうすればヒットするとか、このポイントを押さえれば今年の流行に一致するとか、こういうやり方はほとんどやった人がいないとかアドバイスやその具体的方法まで教えてくれるのです。こうなると、もう何がアートだかなんだか分からなくなってくる。有名な芸術家もそれをヒントにしている事実を彼女は知ってしまった。
彼女のところにもバイヤーがやってきて、聞いて見ると、ネットにあげた彼女の作品が診断ソフトに売れると出たからだと言われたそうです。
さらに驚くべきことに出会う。アレクシス・オルパーヴは実は去年、病気で亡くなっていたのだ。じゃあ、あの窓辺にいるあの男は一体誰なのだ?!
「え、彼が今年出版した大ヒット小説を僕もついさっきまで読んでいたんですけど…一体どういうことなんですか…?」
すると管理人はそっと続けた。
「もう業界ではみんな知っている話なのでお教えしましょう。今このビルにいる彼は、なりかわりロボットなのです」
「なりかわりロボット?」
「アレクシス・オルパーヴは、まだまだ書きたい作品がありながら重病で命を失うことになった…。そんな時、彼はあるプロジェクトの噂を聞き、自分で実験台を申し出たというのです。最新の研究の成果を生かし、作品の題材を選ぶ視点、切り口や展開のパターン、ラストの落ちのつけ方まで、彼のありとあらゆる著作をすべて分析しつくした人工知能に、さらにヒット診断ソフトのアドバイスをプラスした、完全なヒットメーカーを作り上げたのです。さらに日常の細かな癖まで覚えさせ、彼にそっくりなアンドロイドボディも用意し、彼が本当は書きたかった作品を託したわけなのです。本人が死ぬ前に書き残したメモに従って取材旅行に出かけ、いろいろな人とふれあい、その取材や体験の中から、全7冊の作品を書き上げることになっています。あなたが読んだのはたぶんその最初の1冊ですね」
じゃあ、自分はロボットの書いたものを本人の作品だと思って感動していたのか?…私でもショックなのに、ロボットに職を追われた小百合はかなりの衝撃を受けたに違いない。
「じゃあ、白石小百合さんは…?」
すると管理人は黒川の名刺を受取って、奥の部屋で電話を始めた。少しすると出てきて笑顔で言った。
「今電話したら、黒川先生は長い間お世話になったとても優秀な外科医で、彼女はあなたならぜひ会いたいと言っていました。今、彼女は売れっ子のネットアーティストとして、それなりに人気が出てきたところですよ。ええっと今の彼女のアトリエは、ここから5分ほどの同じようなアーティストのアパートメントです。あっちのビルには、彼女のお気に入りの庭があるそうですよ」
「ありがとうございます」
わたしは、おしゃれなメガネの管理人にお礼を言って、川沿いの散策路をゆっくりと歩いて行った。
科学が進歩し、特にここ数年のロボット技術の発達は目覚ましいものがある。重労働や雑務から解放されて、人間はもっと人間らしく過ごせるはずだったのに、どこかがおかしい…。自分自身もますます時間に追われて、余裕がなくなっている気がする。運動不足になってダイエットに悩んだり、ジムに通ったりしている。それどころか、場合によっては仕事を奪われ、自分にしかできないこと、人間にしかできないことまでロボットに追い越されて、存在意義まで危うくなってきている。さらに科学技術が作ってくれた時間や余裕を、我々はまた科学技術が生んだネットや効率化によって消費してしまう。そしてまたさらなる時短や便利さを求めて科学技術に依存する。こんなことを繰り返していては人間にはいつまでたっても本当に豊かな暮らしは訪れはしない…。
環境整備が進み、川べりの桜は青々と茂り、水は澄み、浅瀬では白鷺が、小石を長い足でけって小魚を追い出してはつついていた。
「あ、あの建物だな…」
おやおやご本人のお出迎えだ。黒川を見つけて、入り口から手をふって歩きだしたのは、すらっと細長い、ロングヘアーの女性だった。
「黒川先生お久しぶり、全然変わってないのね。安心したわ」
「元気そうで良かった。でも君の方はもう、いっぱしのアーティストだね、なんかかっこいいよ」
小百合は、あの頃の病院の白衣とは違い、カラフルな服に、シンプルで美しいアクセサリーをあちこちにつけていた。
「恋物語春は君のコーディネートなんだってねえ」
女の子3人の舞台を見てきたことを話し、衣装や小道具を変えるだけで18人の違った人生、違った恋物語を表現する巧みさに感心したと言うと、彼女は目を輝かせて喜んだ。
「君もカラフルでいいね。ペンダントも、指輪もブレスレッドも、シンプルだけどインパクトのあるいい感じだ」
すると小百合はにこっとうなずいてペンダントを見せてくれた。
「相変わらず、つぼをきちんと押さえてくるわね。これ、私のオリジナルアクセサリーで、今ネットで人気なんです。でも、先生よくここが分かったわね、今ネットでは、サユリっていう名前しか出してないから、みんな知らないはずなのに」
調査隊の会議室から、一度病院の事務室に戻り、さらにそこから、フリーシアター、そして一つ眼のアーティストアパートメントと捜索してきた話しをすると、小百合は労をねぎらい、喜んで黒川を案内した。そしてそのまま1階にある彼女のアトリエに通される。
すぐに部屋に通してくれるなんて、よほど外科医として信頼されているのかな、それとも男性として意識されていないと言うことか?
「黒川先生、はじめまして。ちょうどよかった。いま、例のハーブティーが届いたところですよ」
アトリエに入った途端、ソフトドリンクのコースターほどの大きさのものが空中を飛んでくる。花の形をした超小型のドローンが、ふわふわと近づき、ドローンの上にのっかった花の妖精の人形が話しかけてきた。
「はは、小百合さんのロボット端末はフェアリーなんだね。でも、デザインはオリジナルっぽいね。シンプルでエレガントだ」
小百合はフェアリーのオリジナルデザインもやっていて、人気らしい。フェアリーはふわふわ浮きながら、二人の間を飛び回る。
アトリエは思ったより広く、高機能のパソコンといくつもの3Dプリンターのほか、あちこちにいろいろな天然石などが並んでいる。なんでも今彼女は手づくりでオリジナルアクセサリーや妖精のフィギアを売りだし、やっと儲かってきたところなのだと言う。
「彫金で私のデザインを打ち出して、パワーストーンやチェーンをつけるだけで、すばらしいアクセサリーになるんです。今はその人の思い出やアイデアを生かした宇宙に一つしかないオリジナルな作品を私がデザインするのが大評判なんですよ」
彼女は以前より生き生きとして見える。知的だが地味な印象だったのが、今は自信にあふれ、輝いている感じだ。
小百合はフェアリーに話しかけた。
「今の時間はガーデンシェア空いてるかしら?」
「小百合さん、ラッキー、今日は2時まで予約なしです。早速お取りしましょう」
ガーデンシェアって一体なんだ?
「じゃあ、お茶でも飲みましょうか、黒川先生」
小百合は、そのまま1階の外に通じるドアを開け放つ。すると木陰におしゃれなテーブルやいすが置いてあった。
「ほら、いいでしょ、ここのアパートメントは川に面した広いお庭があるんですけど、予約をすると、その時間予約した人以外は庭を使わないガーデンシェア制度があるんです。ふふ、これからお茶を飲んでいる間は二人だけの庭になりますよ」
なるほど周囲を木立に囲まれ、すぐ先には先ほどの白鷺のいた川が穏やかに流れ、季節の花も風に揺れていた。このアパートメントの庭や自然を自分の庭のように眺めることができるわけだ。
黒川は、遠い開拓惑星から取り寄せたと言う薬草をブレンドしたハーブティーとレーズンクッキーを勧められ、さっそく味わうことに…。そのあまりのおいしさに言葉をなくす。
どうしたのだろう、川を臨む庭に小百合と二人きり、涼しげな木立に囲まれ、川沿いには季節の花が、アパートメント側には住人が世話するバラの鉢や盆栽なんかが置かれて、なんともしっとりとした風情だ。ロボットに職を追われ、やっとたどり着いたところがこんな場所だったのは、なんとなくわかる気がする。バラと紅茶の香りに包まれ、二人だけの庭が広がる。
「なんだろう、この感じは…」
「黒川先生、何か?」
「いや、ここんところ仕事に追われていて、こんな穏やかな時間がなかったもので…」
「そうですか…」
小百合の目の前で、うまく言えなかったが、最近すっかり忘れていた、幸せが湧きあがるような感じが今ここにある。紅茶の青果、バラの香りか、川から吹く優しい風か、小百合のまなざしか…どれ1つと決められないのだが、息をするほどに何かが、温かいものが湧きあがってくるのだ。
「いやあ、いい場所だ。実に幸せな庭ですね…」
黒川がそう言うと、小百合もうなずいた。
「ありがとう、今日は紅茶が一段とおいしい気がします…」
小百合の瞳がこちらを静かに見ている。
黒川は、調査隊のことを話し、「君も宇宙航行訓練の二級の資格を持っていると聞いた。よければ調査隊に加わってほしい、無理は言わない。参加できない場合はアドバイザーとして、メールで得た知識をみんなに教えてくれるだけでいい」と、静かに話しだした。
小百合はその場では決められず、ちょっとあちこちに連絡をとった後で、夕方に連絡をくれると言う。
「黒川先生は参加するんですよね?」
「ああ、もちろんだとも。実は僕はあのミューズ26で生まれて12才まであの星でそだったんだよ。子どもだったからよくわからなかったけど、何かの事件のせいで開拓民が大挙して惑星を引き揚げる大騒動があったんだ。今ならあのときの大騒動の原因がわかるかもしれない。行くしかないじゃないか」
やがて夕方、病院の受付のおちゃめなエミリさんから連絡が入った。
「ちょっと黒川先生、まじめ一筋だと思っていたら、隅に置けないわね。あの理数系知的美人の白石小百合さんから電話よ。なんでもお話をお受けすることになったって言っていたそうだけど…一体どんなお話をしたの?」
おっとっと、下手なことをしゃべると大事になりそうだ。エミリさんには黙ったまま電話をとると、小百合は思いがけず乗り気だった。
「…そういうわけで、ミューズ26のメル友のステラ・フォスターともう一度連絡をとったら大変な事になっていたんです」
「大変な事?」
「詳しい事はわからないけれど、なんでも街に巨大生物が出たらしいのです…」
カペリウス隊長は巨大生物の話しなどひとつもしていなかった。一体どういうことなんだ?小百合は、真剣な声でこう続けた。
「なんとかしてステラを助けなければ!…私にもぜひ協力させてください」
そして、小百合を新たに隊員に加えて、調査隊は、予定通り宇宙船に乗り、ミューズ26に飛び立っていったのだった。
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