第二章 昨非今是(7)


「それは土方さんのせいじゃないでしょう? あなたは逃げることも出来たでしょうに。むしろ土方さんは、今日の隊務で、うまく逃げて身を守ることを教えたかったんじゃないですか?」

 それなのに、原田を差し置いて手柄を上げてしまうのだから驚きだ、と沖田は朗らかに笑った。

「土方さんがあなたに監察職を命じたのは、何も危険を冒して仕事しろってことじゃないんですよ?」

「──じゃあ、どういうことなんですか」

 沖田は相変わらずにこにこと笑顔を向けている。

「ここでちゃんと生きてゆけるようにってことです。いくら私たちでも、あなたを守ることにばかりかまけていられませんからね」

「つまり、自分の身を守れるようになれ、ってこと……?」

 沖田は、ふふっと声に出して笑い、立ち上がった。

「まぁ、そういうことになりますかね」


     ***


 日の光は、もうほとんど残っていなかった。

 いつの間にこんなに暗くなってしまったのか、立ち上がった沖田の姿も薄闇がかかって、鮮明にとらえることが出来ない。

 沖田がそのまま闇に紛れ込んで行ってしまいそうに思えて、伊織も立ち上がった。

「やっぱりここにいやがったか」

 そこに、第三の声が届いた。

 提灯を下げた土方が、大股でこちらへ歩いてくるのが見えた。

 日暮れとともに肌寒くなった空気を、提灯の火が暖かな色で染める。

「土方さん、やっぱり来たんですね~」

 あはは、とわざとらしく笑う沖田に対し、土方は決まり悪そうに眉を寄せる。

「うるせぇ、じきに夜になるってのに、いつまでも戻らねぇから来てやったんだ」

「ほらね、高宮さんのことが心配で迎えに来たんですよ」

 と、沖田は伊織を顧みる。

 けれど、当の伊織は、ただ呆然と土方を見たままである。

「何ぼさっとしてんだ! 早く戻らねぇと飯抜きだぞ!!」

「えーっ!? 嫌ですよォ」

「馬鹿、おめぇじゃねぇ、伊織に言ってんだ!」

「なーんだ、よかったァ。じゃあ私の夕飯は抜かれないんですね」

 他愛もなくじゃれつく沖田と、無愛想ではあるが戯れ言にちゃんと受け答える土方。

 そんな二人の姿を見て、伊織の目から涙がこぼれた。

 ぽとぽとと粒を成して落ちる涙は、止まる気配がない。

「あれれ、泣いちゃった。んもー、土方さんが御飯抜きだなんて言うからですよー?」

「なんでだよ! んなことぐれぇで泣くんじゃねぇや」

 いつ命を落とすかも知れない日常を過ごす者の、くだらない会話。

 伊織は、涙にむせびながらも声を絞り出した。

「ここで──、私も、生きていける……?」

 土方と沖田は互いに顔を見合わせた。

 やがて土方は伊織に視線を戻し、意地悪く鼻で笑う。

「生きていくつもりなら、まず屯所に帰って飯を食うこった」

 言って、さっさと踵を返し、元来た道を歩きだした。

「は、……はいっ!!」

 伊織は、心底から嬉しいと思った。

 沖田の言葉に、感謝した。

 土方がついていてくれるなら、この幕末の世でも生きていけると、漠然と思うことが出来る気がした。

「遅ぇぞ! 飯いらねぇのか!?」

 少し歩いたところで振り向いた土方の元へと、伊織は走り出した。

「いらなくないですっ!!」

 幕末の空に、暮れ六つの鐘が響き渡った。



【第三章へ続く】

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