第二章 昨非今是(2)


 刀は長さからして太刀ではないようだった。

 脇差である。

 また隊服のほうも伊織が現代で着ていたレプリカだ。

「仕事……って、これ……?」

 鼻先に突きつけられた隊服と脇差が、小姓の仕事とどう関係するのかと疑問に思いながら、土方の顔へと視線を滑らせる。

「木屋町で不審火があった。既に何人か先行させたが、おめぇも原田に付いて周辺の取り締まりにあたれ」

 極めて真剣に、土方が言う。

 だが、すぐには土方の言葉が理解できなかった。

 だって、それは隊士の仕事ではないのか。

「今、門に集まってるのが原田の隊だ。おめぇのことは話してある、早く行け」

 土方は簡潔に冷静に命ずる。

 予想だにしていなかった。これほど性急に監察見習いをさせられるなど、どうして予測出来ただろうか。

 瞠目して戸惑う伊織の様子を見ても、土方は眉一つ動かさない。

「どうした。行かねぇのか」

 言葉とは相反して、土方はさらに隊服と脇差を突き出す。

 それを伊織は、押し切られる形で受け取ってしまった。

「行って……何をすればいいんですか……」

「原田の指示に従え。遅れをとるぞ、急げ」

 それだけ言い残し、土方はその場を後にした。

 土方が廊下の角を曲がるまで見送り、伊織は意を決して隊服に袖を通すと、渡された脇差を腰に差した。

 行かなければならないんだ。

 これは副長命令なのだ。逆らえばどうなるかわからない。

 伊織はローファーに裸足を突っ込み、門に集まる隊士の一団へ向けて走った。

「原田さん! ……あのっ、原田さんは……」

 とにかく言われる通りにすれば間違いはないのだと、隊士たちに原田の所在を訊く。

 『原田』と言われて思いつく人物は、ただの一人しかいない。

 原田左之助であるに違いないと思った。

「遅ぇぞっ!!!」

 地に響く怒号が飛んだ。

「ひぇっ! すみませんっ! あの、私……っ」

 隊士たちが左右に退いて、原田と伊織との間に道を開いた。

「他の隊はとっくに出ちまっただろうが!!」

 背の高い美丈夫然とした風貌に似合わず、傲然と怒鳴る。

 その気迫に萎縮して、伊織はもう一度詫びたが、もう原田の眼中にはないらしかった。

「原田隊、出動ォッ!!!」

 原田の号令と共に、隊は新選組の屯所を出発した。

 隊の最後尾に遅れてついて、伊織も門をくぐる。

 一歩外に出てみれば、そこは薄闇に広がる一面の田畑だった。

 高い建造物や電柱など、どこにも見えない。空を仰いでみても、電線の格子などそこにはなかった。

(本当に……幕末なんだ、今……)

 今更ながら、改めて驚嘆する。

 知らずと半開きになった口を引き結び、さらに離れてしまった隊との距離を縮めた。

 原田たちとはぐれて迷子にもなっては大変である。

 京都の地理など、右も左もわからないのだから。

 足早に現場付近へと向かう隊士たちの後をついていくだけで、伊織には精一杯だった。

 ただでさえ小柄で、歩幅も広くはないのに、腰の脇差しのせいでひどく歩きにくかった。


     ***


 自分の進む方角が北か南かも判然としないまま町中らしい界隈までやって来ると、隊士たちは諸処に散らばった。

 火事の現場からはまだ少し離れた場所らしく、現場からの喧噪は届くものの、火そのものは見えない。あるいは既に消火された後なのかもしれなかった。

(どうしよう……何をすればいいんだろう)

 他の隊士が巡回や付近の民家商家への聞き込みにあたる中、伊織は所在なく往来の真ん中に佇む。

「おいっ! 何やってんだよ、こっちだ!」

 見れば、真正面から原田が苛々とがなりながら伊織を睨んでいた。

「す、すみません!」

「ボサッとしてんじゃねぇ! 火付けの犯人が潜んでるかもしれねぇんだぞ!」

 びくびくしながらも原田の側へ駆け寄ると、原田はフンと鼻を鳴らして踵を返した。慌てて伊織もそれに続く。

 と、伊織の視界のぎりぎりのところを何かの影が通った。

「えっ──!」

 ほとんど影しか見えなかったが、明らかに隊服は着ていなかった。隊士ではない。

 即座に影を目で追ったが、そこには誰の姿もなく、深い堀のようになった川に沿って家屋敷が軒を連ねるばかりだった。


 

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