カーテンコールが終わるまで
家宇治 克
第1話 演劇に魅せられた少女
ざわめく会場が、ブザーの音で静かになる。
会場がゆっくりと暗くなるのと同時に、胸が高鳴っていく。
真っ赤なカーテンに照明が当たって、光の円を描いた。
カーテンが開くと、綺麗な衣装をまとった役者が喋りだす。
まるで本当に起きたことのように。
今ここで、起きていることのように。
台詞の一つ一つが、動きの細微が、表情が。
ステージという小さな世界で、大きな輝きを放つ。
息を呑むほど美しかった。
本物だと信じてしまいそうだった。
呼吸を忘れるくらい魅了された。
舞台の役者と目が合った時の、恋に落ちたかのような胸の苦しさを覚えている。
これが彼女の、演劇を志すきっかけとなった。
***
青葉県立高等学校。
月日はあっという間に流れ、小雪は高校3年生となった。
まだ6月だというのに、汗ばむような暑さが続く。それは夕方になっても衰えを知らない。
黄色がかった光が差し込む小さな教室で、小雪は壁際に座って台本を
彼女が所属する演劇部は今、今度の文化祭で上演する「白雪姫」の練習をしていた。
文化祭には、子供を連れたお客さんが多いため、分かりやすい演目がいいと言う、めんどくさがりな顧問の提案から始まった舞台練習だった。誰もが知る有名な話の演目に、部活内は気が緩んでいた。
その中で、小雪はナレーションと共に進むシーンを確認しながら、台本に書き込みを入れる。
今のナレーションは伝わりにくい。分かりやすく、かみ砕いた文章がいい。
この台詞はもっと力を込めて。弱いと雰囲気が壊れかねない。
動きは大げさでもいいかもしれない。小さくて、遠くからだと見えにくい。
小雪がシャーペンだらけの台本とにらめっこしていると、横から誰かが覗き込んだ。
「ねぇ、また書いてるの?」
茶髪が綺麗な、小雪の友達――
小雪は台本から目を離さずに、「そうだよ」と返す。美和は真剣な小雪に「ふぅん」と言って、小雪の横に座った。
「はー、マメだねぇ。あたしそういうの苦手だからさぁ」
「1年の頃からそうだよね。逆に書かないで演じられんの、すごいんだけど」
「えへへ。でしょでしょ」
美和はこの暑い中、小雪をぎゅっと抱きしめた。人懐こい彼女は愛おしくて、小雪は笑いながら美和の腕を叩き、「ほら次だよ」と、美和の出番を教えてあげる。
美和は立ち上がると、台本を持って教室の真ん中へ向かった。
ノリが軽く、いつも笑っている美和は、よく『ギャルだ』と言われる。けれど、それは演劇を見ていない人の印象だ。
「『おのれ、白雪姫!!』」
一度舞台に立った彼女は、本人かと疑うくらい表情が変わる。
1年生の時、練習を見て思い知った。
『彼女は生粋の役者なのだ』と。
書き込みはしないが、台本はボロボロになるまで読み込むし、台詞だってシーンの雰囲気に合わせて強弱を変えて、役の印象を強く見せる。
さっきまで小雪にくっついていた、かわいい年頃の女の子ではない、本物の、悪の女王を思わせる演技に、駄弁っていた1年生も見入ってしまう。
「『今度こそ、息の根を止めてやる!』」
表情が、女王の心情を物語る。
声が、女王の執念を醸し出す。
美和の動きが、本当にそう動いていたかのように思わせる。
彼女はこの演目において、一番の適役と言える。そのくらい、彼女の演技力が部内でずば抜けているのだ。
けれど、そんな美和の演技をため息が遮った。
「感情込めすぎだろぉ。ホラーじゃないんだから、もっと軽く軽く!」
顧問の佐伯だ。
1年生の数学を担当している教師だが、演劇には疎く、いつも的外れなアドバイスをする。
「お客さんを怖がらせるわけじゃないんだからさぁ。もっと明るくできないのか?」
「いや、ここ女王が執念燃やすシーンだし。つーか、女王が魔法でおばあさんになる大事なシーンじゃん。それ明るくとか無理じゃね?」
佐伯の言葉をものともせず、美和は強めに言い返す。
佐伯はため息をつくと、「じゃあそれでいいよ」と投げやりな態度を取った。
「あんまり日野を怖がらせるんじゃないぞ? お前たちと違って、演劇慣れてないんだから」
佐伯はそう言って台本に目を戻した。
小雪と美和は日野に目を向ける。
教室の隅っこで友達との話に夢中になる、黒の長髪、目と胸が大きくて、いかにも清楚系な女の子だ。
白雪姫にはぴったりの見た目だが、顧問の趣味が全開の配役だ。
佐伯はその的外れな口出しと、拗らせた趣味のせいで、演劇部からは嫌われていた。
おかげでどんなに演技力があっても、どんなに練習をしようと、日野のような見た目の女の子が、いつも主役に選ばれる。
美和は唇を噛んだ。誰にも気づかれない彼女の苛立ちを、小雪だけが知っている。
小雪は台本の書きこみを続けた。
唯一、女王の台詞だけ綺麗なままで。
***
部活が終わった教室に、小雪と美和が残ってお菓子を食べていた。
ポッキーを咥えた美和が「マジ最悪」と文句を言う。
「あのエロジジイ何で変なとこで止めてくんの? 何で雰囲気に合わないこと言ってくんの?」
「演劇知らないんじゃない? ほら、趣味の子追っかけすぎて」
「ウケる。ホント顧問辞めてほしい」
「それな」
二人で駄弁っていると、美和は小雪の台本を勝手に捲る。最初のページから書き込まれた文字の羅列に、美和は真剣に目を通していく。
「ホント、マメだねぇ。1年生の台詞にまで書いて」
「だって癖になってるんだもん」
「はぁー、シーンの雰囲気とか、演じてほしいキャラの心理とか。小雪ってそのうち、演目とか自分で書きそー」
「しないよ。興味はあるけどさ」
「あるんじゃーん! 絶対書くってー! あたしわかるもん」
「テキトー言うなし~」
二人で台本を覗きながら、キャアキャア笑って放課後を過ごす。このかけがえのない時間が、小雪の宝物だった。
「ねぇ、いつか二人で主役やろーね。こんな台詞一個だけじゃなくて、たくさん喋るやつ」
美和はいつも同じことを、口癖のように言う。小雪は飽き飽きしていたが、口にはしなかった。
自分の代わりに夢を言ってくれる彼女に、そんなこと言えなかった。
「やりたいねぇ。でも台詞覚えられるかな」
「できるよぉ。だって小雪だもん」
「どんな自信? 意味分かんないんだけど」
いつものように、小雪は軽く流して、帰り支度をする。
美和も追いかけるようにカバンに荷物を詰めた。
「明日さぁ、1年に最初のシーンの演じ方、ちょっと言ってみんね。やっぱり文化祭だし、お客さんが観るもんだから、テキトーなの出せないし」
「うん。お願いしていい? 私、家庭科部に衣装見せてもらってから行くね」
「了解。じゃ、また明日ね」
「うん。また明日」
小雪は校門で美和と別れると、住宅街の方へと歩いていく。
オレンジ色に染まった空を見上げて、息をこぼした。
『いつか二人が主役の舞台を』
本当は、誰よりも願っている。
できない夢を。学校生活では叶わない夢を。
来ることがあるかも分からない『いつか』を、二人の少女が真剣に願っていた。
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