ルークの誕生日 1
私のお仕事は朝の厨房を手伝うこと。
今日の献立は、ふわっふわのパンケーキにたっぷりの蜂蜜。そして、フルーツの盛り合わせにホットミルクだ。
シェフのオクトの指導の下、私はパンケーキの生地をぐるぐるかきまぜる。これをこのまま食べたらお腹を壊すことは間違いないんだけど、この状態で既においしそう。
なんでも、ルークはこのデザートのような朝食が大好きなのだそうだ。
そういえば、チーズケーキとかアップルパイとか、とても好きだったように見えた。あと、結構食事でデザート食べているし。甘いものイケル口なのだろう。クールな雰囲気からはあまり想像できないけれど。
今日はルークの誕生日。
だから朝から大好きなメニュー、ということみたい。
夏は社交シーズンではないので、今日のお祝いはあくまで仮のものなのらしい。秋になってから本式な夜会を開くという話だけど、二回も誕生日のお祝いがあるのは、嬉しいのか面倒なのかよくわからない。費用は倍とは言わないまでもかかりそうだなと思うけど、ルークは公子で、ゆくゆくはこの国を動かす人の一人になるのは間違いない。お金がかかるからやめるってものではないだろう。
なんにせよ、お誕生日がきちんとあるというのは、素敵なことだ。私自身の誕生日は、オーフェの祝祭の日と神官長が決めてくれたもの。本当はいつの生まれかわからない。それが悲しいとは思わないけれど、生まれた日をきちんと覚えてくれている人がいるって幸せだろうなと思う。
「アリサちゃん、それはその辺でいいから、こっちの桃の皮、向いてくれない?」
「はーい」
私はボールを置いて、桃の皮むきを始める。桃の皮って、手でむけるけど、丁寧にやらないといけないから気を使う。こういうのって、面倒って思っちゃダメって、学院の食堂でも教わっている。
「アリサちゃんは基本が出来ているから、本当に助かるよ」
「ありがとうございます」
オクトは本当に人を褒めるのが上手だ。
「私、魔術師になれなかったら、オクトさんの下で働きたいです」
「おやおや。それは嬉しいねえ」
オクトはパンケーキを焼き始める。バターのいい香りが漂う。
実際、料理人になるにしても、マクゼガルド家の使用人になるのは無理だけど。だって、私は孤児だ。身元は神官長が保証してくれるにしても、公爵家で働けるとは思えないし、天才的な舌を持っているわけでもない。
それでも、マクゼガルド家の人はみんないい人だから、つい夢を見てしまう。
「今日の午後は大きなケーキを焼くんだ」
「わぁ。私、手伝いに来てもいいですか?」
「それはありがたいけど……今日の午後は無理じゃないかなあ」
オクトは首を傾げる。
そっか。今日は内輪だけとはいえ、来客もあるパーティだ。お客さまにお出しするものを、私みたいな素人が手を出すのは失礼だろう。
「アリサちゃんの気持ちは嬉しいけど、たぶん、魔道灯の点灯に人手がいるから、そっちのヘルプを頼まれると思うよ」
「ああ、なるほど」
そう言えば、エリザベスの夜会の時も、魔道灯の点灯を手伝った。
もちろんマクゼガルド家の使用人たちの多くは魔術が使えて、魔道灯の点灯もできるのだけど、何しろ普段の何倍もの数になるからたいへんなのだ。
「では、時間が出来たら来てもいいですか?」
「そうだね。期待しないで待っているよ。おっと、桃が終わったら、ミルクをとってきて」
「はい!」
私はむいた桃をまな板に置く。
頑張って魔道灯の点灯を早めに終わらせて、ケーキ造りを手伝えたらいいなって思った。
朝食の片付けを終えると、エリザベスの部屋で刺繍の仕上げをした。
「何とか間にあってよかったです」
私はほっと胸をなでおろす。当日の朝とか、本当にギリギリすぎだ。
「私もこれでいいかな」
エリザベスのほうも終わったみたい。エリザベスの刺繍は本当に芸術品だ。
隣に並べるの、ちょっと嫌かも。
「じゃあ、お兄さまに渡しに行きましょう」
「い、今ですか?」
「お昼から忙しくなるわ。今なら時間あるから。お客さまたちと一緒に渡さなくてもいいでしょ?」
言われてみればそうか。
それに、誕生日に間に合うようにって、あらかじめアクセサリーなどを用意するのも貴族の風習みたいだし。何もパーティの時に渡さなきゃいけないってものでもない。
私もエリザベスのプレゼントは、パーティ関係なく渡してた。
「お兄さまは、外にいるわ。行きましょう」
エリザベスに連れられて、別荘の庭に出る。ルークは朝の鍛錬中だ。
すらりとしていて泥臭さを少しも感じさせないけれど、努力の人なのだなって思う。もちろん、天才であるということは否定しない。
「お兄さま」
エリザベスが声をかけると、ルークは剣を振る手を止めた。
ふわっと振り返ったその目は、とても優しい。呼んだのがエリザベスだからなのだろう。
「何だ、エリザベス、アリサも」
「お兄さま、お誕生日おめでとうございます」
エリザベスは美しい刺繍の入ったマントをルークに手渡す。
「相変らずエリザベスは器用だな。ありがとう」
マントを広げ、ルークは嬉しそうに微笑んだ。
水色の生地に浮かぶ睡蓮は本当に綺麗。比べることじゃないけれど、私の刺繍って必要ないのではないかなって思う。
「ほら、アリサ」
エリザベスが私の袖を引く。
私は思わず自分の刺繍を見てちょっとためらう。でも、これ、よく考えたらエリザベスに全部材料から何から何まで用意してもらったのだし。
持って帰って自分のものにしちゃうのもおかしい気がする
「ルークさま。お誕生日おめでとうございます。これは、エリザベスさまに教えていただきながら作りました」
私は意を決して、ハンカチをルークに差し出す。
下手くそではないと思うけれど、上手いわけではない。
それに生地も糸も高級品だし、下絵を描いたのはエリザベスだから、ある意味では私からと言っていいのかどうか微妙だと思う。
「アリサが俺に?」
ルークはハンカチを受け取るとまじまじとそれを見る。
「アリサは刺繍が初めてだそうだけど、とても上手でしょ?」
「初めてなのか?」
ルークが驚いた顔をする。
「刺繍は、ですけど」
私は補足する。刺繍は初めてでも、針と糸を持ったことがないわけではない。
「下絵はエリザベスさまに描いていただいたのです。色などもエリザベスさまに決めていただきましたから、私は本当に縫っただけなので」
「アリサは器用だな」
ルークは私の顔を見ながら首を傾げる。
「ハンカチに刺繍しようと思ったのは、アリサか?」
「えっと。エリザベスさまがすすめてくださったので」
「ふうん」
ルークがちらりとエリザベスに視線を送る。
「なんですの? お兄さま」
エリザベスは可愛らしく首を傾げた。
「アリサのハンカチ、受け取らないのですか?」
「いや。そんなことは言ってない」
ルークは首を振る。
「ありがとう、アリサ」
「いえ、その……」
優しい笑みを浮かべるルークに、私はどぎまぎする。
そもそも、材料も下絵もエリザベスのもので、一番おいしいところだけしかやっていない気がするから、申し訳ない気分だ。
「次はもっと上手にできるように頑張ります」
「へ?」
ルークがびっくりしたような顔をしたのを見て、気づく。
「すみません」
次。次ってなんだ、私。来年もルークにプレゼントする前提で話していることに気づいて、おもわずあわあわした。来年になったら、ルークは学院を卒業している。エリザベスとはずっと友達でいると思う。でも、ルークは部活の先輩ではなくなってしまう。会えなくなる可能性の方が高いのだ。
「楽しみにしてるよ」
ルークに頷かれて、思わず顔から熱くなる。自分の図々しさが恥ずかしい。
「アリサの誕生日はいつだ?」
お返しをってことなのだろうか。
「お気を使っていただなくても」
私は思わず首を振る。自分からのプレゼントというにはちょっとおこがましい品だ。出来栄えだって、及第点とは言い難いと思う。
それに。そもそも私の誕生日を私は知らない。
「アリサの誕生日は、オーフェの祝祭の日だそうですよ」
エリザベスが口をはさむ。前に話したことを覚えていてくれたのだろう。
「オーフェの?」
「そうよ。アリサにぴったりでしょ」
驚くルークに、ニコリとエリザベスは微笑む。
「本当の誕生日がわからないので、神官長さまがそう決めてくださったのです」
嘘をつくのも変なので、私は正直に話す。
「なるほどな。いい誕生日だ」
ルークは得心したらしい。
「覚えておく」
ルークは柔らかく微笑む。胸がドキリと音を立てた。
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