公園

「それにしても、随分とこの街のことにお詳しいのですね」

 古着屋にしろ、カフェにしろ。およそ貴族には似つかわしくない店だ。

 私に合わせてくれたのは間違いないけれど、知らなければ合わせようもない。

「まあ、休みのたびにぶらついているからな」

 ルークはカップに入ったスープを口にする。ファストフード食べていても、優雅な所作だ。

「お屋敷には戻られないのですか?」

 ほとんどの学生は、休みのたびに家に帰ることが多い。

 エリザベスも帰るようなことを言っていた。そういえば食堂のお仕事の時、ルークはほぼ毎回見かけていたように思う。

「必要なときは帰る。屋敷に帰ると、いろいろうるさくてな」

 ルークはふうっとため息をつく。いや、街でふらふらしていられるってことは、相当ゆるい親御さんだと思うけど、そうじゃないのかな。

 その辺に護衛のひとが影のように付き従っているにしてもだ。

 もっとも、辺りを見回しても、私には全く気配を感じられないけど。

「釣書と肖像画が山と積まれているし、社交にも出なきゃならんし、親もうるさいし鬱陶しい」

「それは、でも次期公爵さまなら仕方がないのでは?」

 気持ちはわからなくもないけれど。

「学生の内は学業に専念しろと言ったのは、父だ」

 ルークは不機嫌そうに鼻を鳴らす。

「屋敷に戻ると、勉強をさせてもらえない。茶会に、夜会に、はては見合いだ」

「大変ですね」

「他人事だと思っているだろう」

 ルークは私を睨みつける。

 そう言われても、他人事である。大変だろうなあとは思うけれど、私に何かできるわけでもない。

「早々にご婚約されればよろしいのでは? お相手が決まれば、少なくとも見合いはなくなりますよ」

「簡単に言うな」

「事実ですよね?」

 婚約が決まれば、少なくとも親御さんは安心するだろうし、釣書も来なくなるに違いない。もっとも、そうなったらそうなったで、婚約者とのお付き合いは当然すべきだろうけれど。

「ひょっとして、理想がとても髙いとか?」

 あの美しいエリザベスが妹だ。妹より素敵な女性を探していたら、そう簡単に見つかるとは思えない。

 ルークに相応しい家柄で、妹と同じくらい綺麗で、公爵家に相応しい知性のある女性となると、そんなにはいないのだろう。妥協できるのは容姿くらいだろうか。とはいえ、ルークの隣に立つにはかなり相手も勇気がいるだろう。

「別に高望みをしているとは思っていない」

 高望みと理想が高いのはちょっと違うような気もする。

 ルークより高貴なひとといったら、直系の皇族くらいのものだ。高望みと揶揄されるような女性で結婚対象になるのはたぶん、グレイの妹くらいのものだ。グレイの妹は、まだ、十一歳だったかな。

「いくら政略結婚でも、せめて居心地の良さそうな相手にしたいだけだ」

 なるほど。ルークが私にエリザベスのことを調べるように言ったのは、妹にも窮屈な思いをさせたくなかったのだろう。

「貴族の方って大変ですね」

 しみじみ思う。

「マクゼガルドさまは、少なくとも『選べる』立場におられます。その気になられればすぐに見つかりますよ」 

「やっぱり他人事だと思っているな」

 ルークはため息をついて、私を恨めしそうに見る。

 いくらルークが誰でも選べるといっても、私が選ばれることは絶対にない。他人事だと思っている方が、心が平和だ。夢を見たら、それは転落への第一歩である。

「まあいい。食事は終わったな。いいところに連れて行ってやる」

「いいところ?」

 食器とトレイを片付けて、私とルークは店を出た。

「いいところって、どこですか?」

「いいところだよ」

 別に変なところに連れて行かれるとは全く思っていないけれど、少しくらい教えてくれてもいいと思う。

 ルークは本当にこの街を知り尽くしているらしくて、迷いなく歩く。

 空は青く、初夏の日差しが眩しい。額に汗がにじんできた。

 石畳の細い坂道を上っていくと、見晴らしのいい丘の上に出た。小さなベンチが置かれていて、公園になっているらしい。

「うわぁっ」

 私は思わず歓声を上げる。

 街と、そして学院が見えた。街の向こうに流れている川がキラキラと光を反射している。

 さあっとわたっていく風がとても心地よい。

「いい風だろう」

 ルークは得意げだ。

「ここは、いつだって風が吹いている」

「はい」

 私は頷いた。

 風の神の神殿育ちの私にとって、風はいつでも身近なものだった。海のそばだったから、いつだって、風は吹いていた。学院の敷地内でも風は感じるけれど、やっぱり開けた場所の風はちょっと違う気がする。

「素敵な風です」

 私は目を細める。

 久しぶりにオーフェの力に包まれ、私はほっとした。

 こうして風の力に包まれて気づく。

 ルークを見ている『存在』に。ルークが気にしていないということは、敵ではない。やっぱり公爵家の嫡男だから、さりげなく護衛がついているのだろう。

 ここは気が付かないふりをしていた方がよさそうだ。

「とてもいいところに連れてきていただきまして、ありがとうございます」

「いや、俺が来たかっただけだけど」

 ルークは大きく伸びをした。

 風になびくアイスブルーの髪。細めた優しい瞳。

 それはまるで、絵に描いたような美しさで、私は呆けたように見つめてしまう。

 カッコいいを通り越して、本当に尊いのである。

「どうした?」

 私が突然黙ってしまったからだろう。ルークは首をかしげた。

「えっと。綺麗だなあと思いまして」

「ああ、そうだな」

 ルークは頷いて街を見下ろす。綺麗だと思っていたのは、ルークのことなのだけれど、さすがに本当のことは言えない。

「アリサは、本当に面白いな」

「は?」

 急に何を言われたのかわからなかった。今、何もしていないのに何が面白かったのだろう。

「俺と買い物をして、自分で金を払った女は、お前が初めてだ」

 くくっとルークは笑う。

「自分のものは自分で払うのは普通では?」

 何がそんなにおかしいのだろう。

「アリサはいつだって自分で立っている。自分で稼いで、自分で買う。当たり前かもしれないが、なかなかできることじゃない」

 ルークは私の頭に手をのせた。

「お前が普通だと思っていることは、かなりたいへんなことだ。少なくともまだ学生である俺たちにはな」

「……そんなことは」

 ない、と言おうとした。

 すっとルークの手が私の髪に触れる。細い指で、私の髪をすくう。

「アリサは、俺をもっと頼っていい」

 そう言って、ルークは私の髪に唇を落とした。

「マ、マクゼガルドさま」

 一気に顔に熱が集まる。心臓が飛び出すかと思った。

「じょ、冗談はやめてくださいっ」

 私は慌てて抗議する。もう、全身が熱い。

 貴族の男女なら、この程度は社交辞令なのかもしれないけれど、私は免疫がないのだ。

「面白いなあ、アリサは」

 ルークにとってみれば、髪にキスするくらいあいさつ代わりなのかもしれない。

「面白がらないでくださいっ」

 口を膨らませて抗議する。正直に言えば、嫌ではなかった。

 でも。こんなことをされたら、免疫のない私は簡単に勘違いしてしまう。

「すまなかった。悪気はない」

 ルークは申し訳なさそうに頭を下げた。

「マクゼガルドさまは、無防備すぎます」

 このまま勘違い路線まっしぐらだと、私は闇落ちだ。手に入らないものを手に入れようとすると、絶対にひずみがでてくるのだから。

「このまま私を調子に乗らせると、ルークさまとお呼びしますからね」

 平民の私が、公子に向かって名前呼びなんて、いくらルークが寛大でも許されるべきではない。

 ここで、「だめ」って言われて、それでこの会話終わり……そう思ったのに。

「ん? 構わんが」

 ルークから返ってきたのは意外にも了承の言葉だった。

「いや、えっと。ダメですよね。そこは断るところですよね?」

「なぜ? 部員はみんな名前呼びだ。俺もアリサをアリサって呼んでいるし」

 ルークは何を言っているんだというような顔をする。

 確かに、部活の中では、みんな名前呼びだったような気はするけれど。

「とにかく、マクゼガルドさまは、隙が多すぎです。気をつけてくださいね」

「そんなことを言われたのは、アリサが初めてだ」

 くすくすとルークは笑う。私の抗議は、全く届いていないようだった。

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