庇っていただきました
五月になった。
ようやくここでの生活に慣れてきた。大変だけれど、食事は美味しいし勉強も楽しい。
その日も朝の教室はざわついていた。いつもの通りそっと席につくと、女性が三人ほどやってきた。
フィリア・デルナーゼ侯爵令嬢と、セリナ・ナーターク子爵令嬢とライナ・ムリーグ子爵令嬢。
フィリアは制服姿だけれど、耳にイヤリングをつけている。別に校則違反ではないのだけれど、ドレスに似合う感じの華美なデザインなので、あまり似合っていない気がしている。個人の好みなので、それを指摘する気はないけれど。セリナとライナはそれほど目立つ格好をしていない。どちらかといえば、フィリアの引き立て役を自らに任じているかのように見える。
「トラウさん、あなた食堂で何をなさっているの?」
侮蔑を含んだ棘のある口調で、質問をしてきたのは、フィリア。
土日だけとはいえ、毎週家に帰らない人だっているから、さすがにみんなに知られてしまったようだ。
「仕事です。皿洗いとかをさせていただいております」
「皿洗い?」
いかにも軽蔑する、といったような口調。
「まあ。なんて下品な」
「人が食べて汚れた皿を洗うなんて」
信じられませんというようにセリナとライナが首を振る。
「なぜ、学生のあなたがなぜそのようなことをなさるの? 特待生ともあろう人が?」
三人で目配せをしながらくすくすと笑う。
「そのようなことでは勉学がおろそかになるのではなくって?」
フィリアはにやりと口の端をあげる。
たぶん。彼女たちは、勤労するってことは卑しいことだと思っているんだろうなと思う。貴族は『収支勘定』のことを考えるのすら、卑しいと考えていると聞いたことがある。使いたいだけ使って、足りなくなったら税を増やせばいいと、簡単に思っているような貴族も少なくないとか。お金は稼ぐものではなく、勝手に入ってくると考えているのだろう。
ついでに、特待生ってそこそこ目立つからやっかみもある。これはしょうがない。だって、目立つくらい勉強ができないと、すぐ奨学金がおりなくなるから死活問題になる。
「ご心配いただいてありがとうございます。勉学に支障が出るようなことは致しませんので、ご安心を」
私は丁寧に頭を下げた。
裏の意味を考えず、表の意味だけで返事する。
いちいち、卑しい人間と思われたからといって、屈したりはしない。
私は手に職をつけるためにここに来ているのだ。そして、神殿では仕事は美徳とされている。おろそかにする者こそ、愚かだと育てられた。価値観を押し付けるつもりはないが、押し付けられるつもりもないのだ。
「まあ、とんだ自信家だこと」
フィリアが私を睨む。
二人の取り巻きは、私が受け流してしまったので、どう対応していいのかわからないらしい。
「デルナーゼさん」
キリっとした張りのある鋭い声がした。
「マクゼガルドさま」
フィリアたちが一斉に頭を下げる。
私たちのやりとりを聞いていたのだろう。
エリザベス・マクゼガルドが、フィリアのそばまで歩いてきた。長い銀髪がさらりとゆれる。
思わず見とれてしまうほど美しい。
私も慌てて頭を下げた。
「デルナーゼさんは、洗っていないお皿でお食事をされるのがお好きですか?」
「え?」
エリザベスが何を言い出したのかわからず、フィリアは首をかしげる。
「私は嫌だわ。清潔な食器に、美味しい料理。あなたも私も自分で作ることはないでしょうけれど、毎日食事ができるということは、それは誰かがしてくれたことよね。その誰かがいなければ、それが用意されることはないことは、わかっておられますか?」
ふっと小さな笑みを浮かべる。ただし、目は全く笑っていない。つり目で端整な顔立ちだからこそ、その表情はとても怖かった。
「トラウさんの学業を心配なさるお気持ちはともかく、仕事をすることを蔑むのはどうかと。あなたがたがやりたくない仕事をなさっているというのであれば、そこは尊敬をすべきところではないのですか?」
「でも、マクゼガルドさま」
フィリナは何か言いたげだ。
使用人の仕事をいちいち尊敬したり感謝をしたりはしていないのだろうと思う。
彼女たちにとって、自分のやりたくない仕事をやる人間は、卑しい者なのだ。
「あなたや私が貴族であることは、私たち自身の手柄ではありません。それに見合う努力と品格があってこそ、尊敬されるというもの。まして、この学院内にいる間は、貴族も平民もありません。自らの努力の力だけで、この学院に入学した特待生であるトラウさんに、現在
優美な仕草で、挑戦的な笑みを浮かべる。
さすが公爵令嬢。相手を嘲る姿ですら、美しい。つい、うっとりと見惚れてしまった。
「くっ」
フィリアは悔しそうに唇を噛む。相手が自分より格上のエリザベスだから、反論できないらしい。
自分より下の人間にマウントをとってくるタイプは、逆に自分より上の人間に弱い。
フィリアは典型的にそのタイプだったようだ。
「トラウさん。お仕事なさるには理由があるのでしょうけれど、くれぐれも勉強はおろそかになさらないようにね」
「はい。ご心配いただきまして、ありがとうございます」
頭を下げながらも、私は動揺していた。
まさか、エリザベスに庇ってもらえるとは思っていなかった。
原作のエリザベスも、とても高潔なひとで、不正が嫌いな人だった。
たぶん、今も、黙っていられなかったのだろう。
「ふんっ」
フィリアたちは、不満げな視線だけ向けて、私から離れていく。
「マクゼガルドさま、本当にありがとうございました」
「お礼はいいわ。勉強、がんばってね」
にこりとエリザベスが笑う。
今度の笑みは、春の日差しのような柔らかさ。
本当に綺麗。ついうっとりとしてしまった。
チャイムが鳴って、席に戻っていくエリザベスの背を目で追いながら、ふと不安になる。
エリザベスは、公女で、皇太子の婚約者だ。私を庇ったことで、面と向かって悪口を言われたりすることはないだろうけれど、陰で変な噂を流されたりというようなことがあるかもしれない。原作でも、エリザベスは、言われなき悪評を立てられたりもしていた。
原作でそれをしたのは、
恩は返すべきだし、何より推しは守りたい。だけど、原作の強制力が働いて、私が闇落ちしない保証はない。自分が自分を信用できないって辛い……私は、白い何もない天井を仰ぐのだった。
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